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香港デモと情報戦争(2) 香港の若者は何と闘っているのか

新型コロナウイルスの封じ込めで卓越した成功を収めているのは、台湾だけではない。香港もまた、感染の封じ込めで見事な成果を出している。だから香港では、4月下旬になってデモが復活している。

のみならず、ここに来て香港情勢は緊迫の度合いを一気に高めた。香港のデモを警戒する北京の習近平政権は、5月22日の全人代(全国人民代表大会)の開幕に合わせ、香港に対する国家安全法を全人代が制定すると発表したのだ。

一国二制度のもと、大陸とは違う独自の法体系による統治がなされてきたのが香港である。ところが、習近平政権はそんな一国二制度の根幹を反故にし、香港立法会での審議なしで直接香港の取り締まりを行うための法律制定に打って出た。香港市民がこれに猛反発したのは当然である。

5月24日、大勢の人々が繰り出した香港の街頭はすし詰め状態となり、これに対し警官隊は抗議運動を抑え込もうと催涙弾の発射もいとわず、そのため警官隊と市民による衝突も発生する。



一国二制度を平然と無視して香港に国家安全法を施行しようとする北京の習近平、これに対する香港市民の怒りは極めて大きい。昨年香港のデモを主催してきた民間人権陣戦は、招集人の岑子杰(ジミー・シャム)がフェイスブックの投稿を通じ、再び200万人のデモで香港の民意を北京に示そうと呼びかけた。


以下は、記者会見で発言する民間人権陣戦の岑子杰の様子である。


明確なリーダー不在、流水のごときデモ、昨年行われた香港のデモの特徴だが、とはいえもちろんデモを主催する団体は存在する。それが民間人権陣戦である。

昨年、香港のデモは世界各国で大きな反響を呼び、メディアではデモに参加する様々な無名の若者たちの声が頻繁に紹介され、また黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や周庭(アグネス・チョウ)といった雨傘運動以来の著名な活動家の声も色々と取り上げられたのに対し、デモを主催した民間人権陣戦については残念なことにあまり取り上げられていない。岑子杰についても、読者のなかにはいま彼の名前を初めて知ったという方も多いだろう。

民間人権陣戦にはどのような人々がいて、彼らはどんな思いで香港のデモを主催してきたのか? この部分はいまだ日本では殆ど知られていないのが現状だ。

そんななか、今年の1月27日、東京の明治大学では民間人権陣戦のメンバーを招き、彼らの講演が行われた。


私も講演に参加し、彼らの声をじかに聞いてきた。

全人代による香港への国家安全法の制定で、今後香港情勢は益々激動してゆくだろう。香港の今後を見通すうえでも、民間人権陣戦がどのような思いでデモを主催してきたかを知ることはとても重要だ。

この明治大学の講演、タイトルは「香港の若者は何と闘っているのか?」で、司会は明治大学教授の鈴木賢先生が務め、コメンテーターは東京大学准教授の阿古智子先生、そして登壇した講演者は民間人権陣戦招集人の岑子杰(ジミー・シャム)と、民間人権陣戦副招集人の陳皓恒(フィーゴ・チャン)である。

まず最初に、陳皓恒が壇上に上がった。

「いま香港で何が起きているのか語ってほしいと鈴木先生から言われたとき、僕は何を話していいのか解りませんでした」、陳皓恒はこのように切り出した。香港でデモを主催してきた彼がどうして何を話せばいいか解らないと感じたのか、それはひとえに香港が経てきた歴史による。

昨年来香港で起きている抗議運動について語るには「まず香港の過去20年間の歴史をさかのぼらなくてはなりません」、そう語った陳皓恒は、しかしそのまま香港の歴史を振り返るのではなく、真っ先に彼が言及したのは1989年に起きた天安門広場での抗議行動だった。「すべてはここから始まっているのです」、彼は端的にそう言った。

そのうえで、彼は2003年に香港で起きた基本法23条(国家安全条例)に反対する抗議デモについて語った。「この基本法23条は、国家分裂、政権転覆、叛乱扇動、外部勢力との連携などを企てたとみなされた者を処罰する内容で、中国共産党の意向を受けた香港当局による恣意的な逮捕や過度な言論弾圧などが強く懸念されました。当時香港では、多くの人々がこの基本法23条の制定に断固反対の意思を示し、多い日には一日で50万人が参加という大規模なデモによって、ついに香港政府を相手に条例撤回に追い込みました」。

陳皓恒は、この基本法23条がいかに危険であるかを様々に語った。彼は当時まだ7歳だったため、彼自身がこの抗議運動を経験したわけではないが、彼の後で壇上に立った岑子杰(当時16歳)によると、香港の人々にとって抗議行動で撤回を勝ち取ったことは大きな自信になったという。陳皓恒の話からは、当時を経験していない彼の世代にもその詳細と精神が脈々と受け継がれていることがよく解った。

その後彼は、いよいよ昨年始まった逃亡犯条例改正案(通称、反送中)デモについて詳しく語り始めた。「私たちはどうしてこの逃亡犯条例改正案がこんなにも怖いのか? その原因は天安門なのです」、陳皓恒は明確に断言した。民主化運動を武力による血の弾圧でおさめた天安門事件、その後中国では実に数多くの活動家やジャーナリストや弁護士や宗教家などが逮捕・投獄の憂き目に遭ってきた。今回の逃亡犯条例の改正を認めてしまえば、香港でも中国本土と同様に数多くの人々が逮捕・投獄され、のみならず自由を求める言論活動はたとえ些細なものでも徹底的に弾圧されるようになるのではないかという恐怖、それが今回の逃亡犯条例改正案に反対する最大の理由だと彼は言う。

こうして彼の話は街頭での抗議運動へと移る。3月31日、民間人権陣戦は最初の抗議デモを行った。当時の参加者は1万2000人。ついで4月28日、民間人権陣戦は二度目のデモを行い、参加者は13万人へと急増する。そして6月9日、三度目のデモが行われ、ここで参加者は103万人となり、一気に100万人を超える。

事態が変化するのは6月12日である。この日は民間人権陣戦によるデモがあったわけではない。しかし重要なことがあった。陳皓恒によると「3日前の大規模デモの流れを受け、市民による座り込みなど自発的な抗議行動が行われていたところ、それらの抗議者を香港警察が暴徒であるとして暴力的な取り締まりを行ったのです」。その後長期にわたり続く香港警察と抗議者による衝突の発端である。

そして6月15日、香港人たちにとって決して忘れられない事件が発生する。この日、梁凌杰という青年が転落死を遂げるのだ。「後に五大請求として香港政府に突きつける5つの要求は、この梁凌杰が元なのです」と彼は明かした。「梁凌杰が4つの要求を掲げていて、後に1つを加えて五大請求となった」のだそうだ。

さて、この二日後の6月16日、この日のデモは民間人権陣戦が呼びかけたものではないが、6月16日のデモで参加者はなんと200万人と越える。

夏になると、民間人権陣戦によるデモは7月1日、そして7月21日に行われる。このいずれのデモでも際立った事件が発生している。7月1日は、いわゆる香港立法会の扉の破壊、そして7月21日には香港マフィアである三合会による市民への無差別な襲撃が起きた。

この三合会による香港市民への襲撃事件だが、陳皓恒が語ったところによると「これについては三合会メンバーが香港警察と並んでいる写真がネット上で出回り、これで三合会と香港警察が裏でつるんでいるという疑惑が膨らみ、香港市民の怒りに火を注ぐことになった」という。

この写真については、私も見たことがある。以下のツイートにある右の写真をクリックすると、白シャツを着た三合会メンバーのすぐ横に香港警察がいる。


この三合会による無差別な襲撃は新型コロナウイルスの感染拡大によりデモができなかったこの冬においても、香港市民のなかには21日という日付になると当時の模様をツイッターで投稿し、「あのときのことを忘れないぞ」とアピールする人々がいたので、ここでもあらためて映像と写真で振り返っておくのがよかろう。





これだけ酷い無差別暴行事件が起きたのに、ところが一人の逮捕者も出なかった。三合会の白シャツ集団はおよそ100人ほどからなる「部隊」で、相当目立つ存在であったにも関わらず、しかし香港警察は誰も逮捕しなかったのだ。


こういう事情のところへ、当の香港警察と三合会が一緒にいる写真が出回れば、陳皓恒が語ったように香港市民の怒りが高まるのは当然のことだろう。

さて、陳皓恒は自分の持ち時間が残り少なくなったところで、「すべての事柄は話せないけど」と前置きしたうえで「解ってほしいこと」として、「暴動だとなれば冤罪で5年から10年の懲役が下ることもあり得る」と事態の厳しさを訴え、そしてこの明治大学の講演についても「香港でこのような講演をおこなえば私は逮捕される恐れがある」とし、「参加者でも撮影された写真があれば逮捕されるかもしれない」と言い、香港における言論の自由がいかに危機に瀕しているかを伝えた。

ちなみに、これは日本にいるわれわれにとってもまったく無縁な話ではない。講演の後、この催しを主催した明治大学の鈴木先生は次のように語った。「今回の講演には大学上層部が良い顔をしなくて、講演の開催に対して圧力がかかっていたのです。しかし、今回の講演は学生たちの強い希望で企画されたこともあり、もちろん教育の現場における言論の自由を守るためにも、圧力に屈することなく開催にこぎつけました。でも皆さん、圧力は確実にあるのです」と、日本の大学においても中国共産党の圧力が増している現状に危機感を示していた。

それでは、ここからは民間人権陣戦の招集人である岑子杰の出番へと移ろう。

岑子杰は33歳と陳皓恒より一回りほど年長で、民間人権陣戦のリーダーということもあり、壇上に立った彼の身のこなしや立ち振る舞いは実に優雅で、その語り口は流々と説得力があり、私は『項羽と劉邦』などに出てくる隋何や陸買といった説客とはこのような雰囲気の持ち主だったのではないかと思わず想像したほどだ。

その岑子杰も、真っ先に言及したことは天安門のことだった。「この数カ月間に(香港で)行われたことは、1989年を発端にしています」と言い、香港の運動は「民主と自由を求める運動です」と明快に言い切った。「最も重要なのは1989年の天安門での運動」で、香港での色々なデモもそれを継承したものだと強調した。

もちろん、だからこそ中国共産党は香港のデモを何としても封じ込めようと、昨年11月にはデモの拠点である大学を襲撃して包囲するという、いわゆる「城攻め」まで行ったのだ。香港のデモは単に特別行政区での1つの条例改正をめぐる問題ではなく、中国共産党にとっては一党独裁体制に挑戦する運動である。

岑子杰も陳皓恒と同様にまず天安門のことを切り出し、そこから香港の歴史における重要な経緯を語った。もっとも、両者の語りには力点に違いがある。陳皓恒が2003年の基本法23条に対する抗議のことを集中的に語ったのに対し、岑子杰の場合はもっと細かい部分に重点が置かれた。

彼は香港が英国統治下だった1997年以前の香港に言及し、「自由と民主という観点からいうと、当時の香港には自由はあったが、民主は無かった」と語った。ここで彼が言う自由とは、言論の自由、表現の自由、集会の自由、報道の自由、学問の自由、自由市場経済などの自由で、英国統治下の香港にはこれらの自由は存在したと言い、しかし植民地支配という状況なので民主は無かったという。

そういうもとで、1997年に香港が中国に返還された。岑子杰によると、英国の統治下から離れ、中国に帰属した香港で始まったのが「政治改革の要求」であり、「私たちのゴールは明らかで、それは普通選挙なのです」。

しかし、97年以降の22年間で民主は実現しないまま、むしろ「英国統治下にあった自由が次第に奪われてゆき、様々な権利が失われていきました」。たとえば、「香港の立法会は曾ては一人一票だったけど、いまや当時の議員は半分しか残っておらず」、「著作権も制限されていったのです」。

「90年代には、いずれ民主は実現するとほんとに信じていた。けど、2007年と翌年の2008年にかけて、普通選挙実現で中国共産党に裏切られた」と彼は語り、香港市民の多くが「自分で声を上げる」ことの重要性を強く自覚したという。

それで、話はいよいよ逃亡犯条例改正案をきっかけとする今回のデモに移るが、岑子杰によれば、6月9日に103万人が参加したことを受け、「希望が灯った」という。その理由というのが先述した2003年の基本法23条に反対したデモだ。当時は最大で一日に50万人が参加し、北京を背後にいただく香港政府がギブアップして撤回を勝ち取ったので、今回はその倍の人数の103万人が集まって抗議したのだから、これで勝負はついたと岑子杰は思ったのだそうだ。

ところが、予想に反して香港政府は条例案を撤回しない。103万人もの人が集まったのに、撤回しない。「がっかりした」、岑子杰は素直に当時の心境を吐露した。

非常に強気な見通しを持っていたところからの失意である。私はそんな彼に、かつて安保法案反対デモを主催したSEALDs のメンバーに似たものを感じた。

2015年の東京では、国会の憲法審査会ではっきり違憲とされた安保法案を強行採決する安倍政権と自民党に対し、これを廃案にするため大学生を中心としたSEALDsが国会前でデモを行い、最盛期の8月末には35万人を集める巨大な抗議運動となった。数カ月続いたデモの持続性や動員された人数からいって、この東京での安保法案反対デモは2003年に香港で起きた基本法23条に反対するデモに比せられよう。

当時は私も13週連続で安保法案反対のデモに参加し、奥田愛基など複数のメンバーと個人的に話をしたこともあるが、彼らもまた法案を廃案にするうえで強気な見通しを持っていた。

そもそも、政治権力に対して大規模な抗議運動を主導する人は、すべからくアニマルスピリットを持っているだろう。「アニマルスピリット」はケインズの用語だが、彼はこれを経済活動のみならず人間の活動すべてに通底する最大の推進力だと規定している。「人々の積極的な活動の相当部分は、道徳的だろうと快楽的だろうと経済的だろうと(中略)、結果の全貌が何日もたたないとわからないようなことを積極的にやろうという人々の判断は、殆どがアニマルスピリットの結果でしかないのでしょう」、「手をこまねくより何かしようという、自然に湧いてくる衝動です」(ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』山形浩生訳)。

親鸞や三蔵法師のような宗教家も、金大中やガンジーのような革命家も、みんなアニマルスピリットの持ち主である。中国共産党を相手に自由と民主を求めて民間人権陣戦を組織した岑子杰もまた、強烈なアニマルスピリットの持ち主だった。

6月9日に動員された103万人というこの威力! 曾ての基本法23条反対デモをはるかに上回る大抗議であり、岑子杰は大きな手応えを感じた。ところが、103万人が声を上げてなお香港政府は改正案を撤回しない。「がっかりした」と素直に心情を吐露した岑子杰だが、しかし彼によると「自分よりもっと若い世代の方がより失望は大きかった」のだそうだ。その理由は「時間」だという。

中国と英国の共同声明では、香港の一国二制度は返還後50年間保障される約束になっていた。裏を返せば、それ以降は一国二制度さえ保障されない。「つまり中国共産党に呑み込まれないための『最終期限」が1997年の50年後、具体的には2047年なのです」。そのときまでに自由と民主を実現していないと、香港は中国共産党により直接統治されるのだ。つまり「あと27年しかない」、岑子杰によると香港の若い世代の焦燥感は切迫したものだったという。

「27年後、僕は60歳になっていますけど、でも10代の人は違います。たとえばいま15歳の人にとっては、27年後でもまだ42歳です。人生はこれからという年齢なのに、そこで一国二制度の最終期限を迎えると自分たちはどうなる?」、6月9日の103万人の大抗議を受けてもなお香港政府は撤回しない、このまま時間が経過したらという切迫感、それは香港では若い人ほど大きかったと岑子杰は説明した。

「手をこまねくより何かしようという、自然に湧いてくる衝動です」、香港の若い世代の間でケインズが言ったアニマルスピリットが再点火される。香港の抗議者の心に火をつけたのは、香港警察による市民への暴力行為だった。陳皓恒が語ったように、6月12日、自発的に座り込みなどを行っていた抗議者たちを香港警察が襲った。なかには血まみれになる人もいたほどだった。しかし岑子杰によれば、これがかえって香港の若い人々を奮い立たせ、結束をもたらした。怒りが彼らを突き動かしたのだ。「警察の暴力によって、私たちの絆は深まっていったのです」。

こうして香港のデモは類い稀な持続力を備えるようになり、長期化していくわけだが、一方ではデモ参加者たちの間で悶着も起こる(あくまでも悶着であって、対立ではない)。香港のデモ参加者は「和平、理性、非暴力」の頭文字をとった「和理非派」と、暴力行為もいとわない「勇武派」、この二つに大別されるわけだが、民間人権陣戦の主催デモとして4回目のデモがあった7月1日、ここで勇武派の一角が香港立法会の扉の破壊を行う。

和理非派としては、扉の破壊という行為はやってほしくなかったということだが、しかし岑子杰によると、抗議の場に貼ってあった一枚の手書きの紙が印象に残ったという。そこには「あなたたちが教えてくれた、平和的な抗議だけでは無駄だということを」と記されていたそうなのだ。

この問題はそもそもは2014年の雨傘運動に起因することで、岑子杰は雨傘以降数年間に起こったデモの戦略などをめぐる香港市民たちの議論について細かく語ると共に、今回の逃亡犯条例改正案反対に際して実行された勇武派との対話の一端を披露してくれた。

彼によると、「中国共産党はそう簡単に民主は与えてくれないから暴力行為も辞さない」という勇武派の心構えに和理非派が理解を示した一方で、さすがにこれは目に余るというレベルの暴力については「やめてほしい」と申し入れたそうだ。たとえば火炎瓶の使用に際して、勇武派の一角が街かどで火炎瓶を使用したところ老婦人がやけどを負ったことがあり、「さすがにこういうのは認められないから今後はやめてほしい」と勇武派に要望すると、勇武派の方でも反省し、それ以降は市民に被害を及ぼす暴力は自重するようになったという。

岑子杰の語ったことから察せられるのは、和理非派と勇武派との対話は非常に生産的であり、デモが持続力を持って中国共産党と対峙できるよう、慎重に配慮されたものだということだ。

ところで、この香港のデモにおける暴力行為に関しては、今回の講演で岑子杰があえて言及しなかったこともある。実は香港のデモ隊のなかには、中国共産党が派遣した特務がデモ参加者の市民に紛れ込んでおり、彼ら特務が香港の抗議者の仕業だと見せかけて行った暴力行為がかなりある。これについては様々な報告があるが、ここでは昨年7月26日に国境なき記者団が発表した声明を紹介しておこう。

ここで「During the mass demonstrations over the last two months, police and pro-Beijing demonstrators have attacked journalists on numerous occasions」とあるが、このpro-Beijing demonstratorsが中国共産党の命を受けてデモ隊のなかに投入された特務で、香港のデモ市民を装って繰り返し暴行を働いたのだ。

いったい誰の命令で投入されたのか、その部分も判明している。中国共産党内には今も胡耀邦や趙紫陽を慕う民主派官僚たちが一定数いて、彼ら党内民主派は天安門事件後に米国へ逃れた反体制派のグループに様々な情報をリークしている。その党内の消息筋によると、これは曾て江沢民の右腕として権力の中枢にいた曽慶紅の差し金であるという。以下は、そのことを伝える反体制派「看中国」と「新唐人」の記事だ。



なぜ曽慶紅が配下のメンバーを香港のデモ隊に紛れ込ませたかというと、これは複雑な権力関係を反映したもので、中国共産党内では習近平が掟破りの国家主席の任期撤廃に踏み切って終身の皇帝への野心を剥き出しにしたことに強い反発があり、党内ではそんな習近平を打倒しようという機運が増していて、それでかつて江派筆頭として権力の中枢にいた曽慶紅は香港のデモを利用して習近平を倒そうと画策したのだ。

上の記事では、いずれも見出しに「乱になればなるほど良い(越乱越好)」とあるが、これは曽慶紅の言葉である。曽慶紅は自身の配下を香港に投入して暴力行為をエスカレートされることで、デモの収束を目指す習近平を窮地に追い込む算段だったという。

しかし、中国共産党の特務が紛れ込んでいるのはデモ隊のなかだけではない。香港警察のなかにも、中国共産党の特務が大量に紛れ込んでいる。こちらは習近平の命令で投入されたもので、香港のデモの鎮圧および市民を装って街頭を荒らす曽慶紅の配下を一網打尽にすることを目的とし、中国本土から武警と人民解放軍兵士が香港に投入され、香港警察を装って市街地の取り締まりなどを行ってきた。

これについても色々とソースはあるが、まずは間抜けにも駅で市民に目撃された武警の写真を紹介しよう。以下はデモ参加者により香港の駅で撮影された写真で、この黒い服を着た人物、そのスーツケースには「武警8673部隊」と記されている。

ロイターが入手した資料をもとに「看中国」が掲載した記事によると、昨年のデモで香港に投入された武警の数は4000人を超えるという。中国本土からかなりの規模で武警が投入され、香港警察を装って香港で任務についていたということだ。

一方、人民解放軍兵士だが、こちらについては楊建利のツイートを紹介しよう。楊建利は曾て劉暁波のノーベル平和賞受賞に際し、獄中の劉暁波の代理としてオスロでの式典に赴いた名士で、公民力量という政治団体を組織し、中国民主化運動のリーダー的存在だ。

以下はその楊建利が昨年11月9日にツイッターで行った投稿で、この動画は人民解放軍兵士が香港警察に扮している一例であると述べている。


楊建利がツイッターで人民解放軍の香港投入を指摘した数日後には、香港警察の大部隊が香港中文大学と香港理工大学を襲撃して包囲し、かなり激しい攻防戦が展開された。抗議運動の拠点を潰そうとする、いわゆる「城攻め」である。当時私がネットで様子を見ていて思ったのは、この香港の大学での攻防は曾て2008年の3月にチベットで起こった事態と似ているということだ。

チベットで抗議運動の勢いが増した2008年、その3月15日と16日に人民解放軍は抗議運動の根城でもあるチベットのガンデン寺とキルティ寺を奇襲して包囲し、「城攻め」を行った。チベット側は僧侶たちが抗戦するとともに、一般の人々も僧侶たちの抗戦を支援、これに対して人民解放軍は多数の催涙弾発射はもちろん、実弾による威嚇射撃も行った。同時に別働隊はラサで大規模な取り締まりを行い、たった1日で少なくとも500人以上が逮捕された(実際は500人では済まない大量の一斉逮捕である)。

昨年11月の香港中文大学と香港理工大学での攻防戦も、大学を襲撃して包囲した部隊のやり方は、基本的にはチベットの寺院へ行った奇襲と一緒である。香港理工大学攻防戦に絡み、およそ600人が逮捕され、このうち18歳未満の200人は身元を特定したうえで釈放されたというが、たった1日でおよそ600人も逮捕するというのは尋常ではなく、これはかつてチベットで実行された一斉逮捕に比肩しうる。

様々な状況からいって、香港での大学襲撃には人民解放軍兵士も参加していたであろう。

このように昨年の香港では、抗議するデモ参加者の中に曽慶紅の命を受けた特務が多数紛れ込んで派手に暴行を働くと共に、香港警察の方は習近平指導部の命を受けた武警と人民解放軍兵士が多数紛れ込んでデモの弾圧を行っていたのだ。

岑子杰は今回の講演では、これら中国共産党の特務の香港投入については一切語らなかった。しかしわれわれ外国の人間が香港の勇武派を理解するうえで、この特務のことは是非とも留意しておくのがよかろう。武警をはじめ中国共産党の特務が大量に香港に投入されていた以上、デモ隊の側にはどうしても暴力で対抗せざるを得ない厳しい状況があったのだ。

香港の市街地及び大学で発生した数々の衝突、それを一言でまとめると、次のようになる。自由と民主を求める香港の市民と、その香港のデモを利用して習近平を窮地に追い込もうとする曽慶紅の勢力と、これらをまとめて制圧しようとする習近平指導部、この三つ巴の戦いが展開されたということだ。

一筋縄ではいかない香港の様相、このことは新型コロナウイルスの感染を克服して数カ月ぶりにデモが復活した香港の今後を見るうえでも、非常に重要である。昨年はかように複雑な戦いがあった以上、今後も香港情勢は一筋縄ではいかないだろう。

今回の講演で岑子杰は、非常に長い時間を割いて和理非派と勇武派の対話の内容を詳細に説明した。それは和理非派と勇武派の関係を伝えたいということだけではなく、「平和的なデモだけでは駄目だ、暴力を使うしかない」と覚悟を決めて勇武派に身を投じた香港の若者たちの切迫感を外国の人々にも理解してほしいという思いが見てとれた。

さて、講演も最終盤に差し掛かったところで、岑子杰は日本の人々に向けて、次のように訴えた。「自由と民主は1つの国のことではなく、これは普遍的価値観です」、「中国共産党による言論弾圧はコロナウイルスを通して日本にも影響を与えています」、「(一国二制度が危機に瀕する)私たち香港と日本とでは違うかたちで中国共産党の影響を受けているのです」と言い、中国共産党の独裁専制体制は日本の皆さんにも害を与えるのだと強調した。

昨年末に武漢で感染拡大が重大な危機をもたらすレベルに達した際、医師の李文亮らが事態の深刻さを訴えたのに、しかし中国共産党の公安は李文亮らをデマゴーグをまき散らす者たちとして拘束し、ウイルスが人から人へ感染するという台湾当局の警告も無視し、こうして中国共産党は昨年末から一か月近くにわたって感染拡大を野放しにした。

この中国共産党による言論弾圧については、ヒューマン・ライツ・ウオッチなどの人権団体や米国の政府・議会が繰り返し厳しく批判している。もし中国共産党が昨年末の時点で李文亮らの警告を真摯に受け止めて事態に対処し、台湾当局の警告も受け入れていたなら、ウイルスの世界的流行は防げただろう。岑子杰が訴えたのもこのことだ。

「自由と民主は1つの国のことではなく、これは普遍的価値観です」、彼が語ったこの部分は非常に重要だ。残念なことに、日本では岑子杰の言う「普遍的価値観」についての意識が乏しい。そのせいもあってか、中国共産党が実行する苛烈な言論弾圧についても「自分には関係ない」としてあまり関心を示さない人が殆どだ。しかし、岑子杰はこういう日本の人々の意識をこじ開けたいのである。そして、中国共産党による言論弾圧は中国だけの問題ではなく国際社会にも害をなすという彼の訴えは、先述の楊建利も盛んに行ってきた。

曾て劉暁波のノーベル平和賞受賞に際し、獄中の劉暁波の代理としてオスロでの式典に赴いた楊建利、その彼の指摘をここで紹介することは非常に重要だろう。このことは陳皓恒と岑子杰のいずれも、香港のデモの原動力として天安門事件に真っ先に言及したことからも明らかだ。自由と民主を求める民間人権陣戦のデモは、曾ての天安門広場での抗議運動の精神を継承する運動なのだ。そして楊建利はその天安門広場で抗議運動を行った人物で、いまや劉暁波の遺志を継ぎ民主化運動を先導している。

以下は、楊建利がこの3月27日に米誌「ナショナル・レヴュー」に寄稿した論文である。


楊建利はこの論文のラストで次のように述べている。

Chinese Communist Party’s restrictions on the free flow of information seemed to Americans and others in democratic countries to be a matter mainly concerning the freedom of the Chinese people, important as a matter of upholding the universal right to freedom of expression. But the regime’s distortions of the truth are now more than abstract problems for the international community. They are threats to global public health — indeed, matters of life and death.

ここで「the universal right to freedom of expression(普遍的権利)」という言葉が出てくるが、どうかこの言葉を軽く見ないでいただきたい。先程岑子杰が「普遍的価値観」ということを強調したように、これは独裁体制に抗して自由と民主を追求する活動家たちが必ず強調することだ。

更に楊建利は中国共産党による弾圧について、But the regime’s distortions of the truth are now more than abstract problems for the international community(国際社会にとっていまや抽象的な問題を超えており)、They are threats to global public health — indeed, matters of life and death(彼ら中国共産党は世界の公共衛生を脅威に晒す、生死の問題なのだ)と訴えている。岑子杰が訴えたことと同じである。

さて、講演の最後を岑子杰は次のように結んだ。「この世界で自由と民主を求めて声を上げる人々がいるなら、地球に住む者として彼らの声に耳を傾け、支援するべきだと思うのです」、「香港でも、台湾でも、みんな頑張りました。次は日本の番ではないですか」。

この後、東京大学準教授の阿古先生が壇上に上がり、総括的な感想を述べた。阿古先生はまず曾て自身が留学生として香港に滞在していた20年ほど前と現在の香港を比較して、いかに香港の状況が悪くなったかを語り、次いで中国本土で深刻さを増す活動家の取り締まりについて言及し、そこから話は台湾の総統選のことになった(台湾総統選は1月上旬のことで、今回の講演は1月下旬だった)。

阿古先生は総統選の最終盤に現地台湾に入っていたので、そのときの様子を語ったのである。台湾総統選は独立志向の強い蔡英文と親中共の韓国喩の一騎打ちとなったわけだが、阿古先生によると「集会や街頭での両陣営の活動を比較すると、蔡英文さんの支持者たちは特に熱気があるというわけでもなく、もちろん皆さんネットで色々盛り上がっていたのでしょうけど、一方の韓国喩さんの支持者たちは凄くて、まるで昔の文革を思い起こさせるような熱狂で、見ていてとても怖かったです。研究者として特定の候補者をどうこう言うのはあまり良くないかもしれませんが、今回だけは蔡英文さんに勝ってもらわないと困ると思いました」。

香港警察の暴力的な取り締まりにしても、文革さながらの台湾の韓国喩の支持者たちにしても、ここに来て中国共産党が大陸の外にまで膨張しており、阿古先生が語ったのはそのことへの危機感である。

ちなみに、中国共産党の膨張については私も被害を受けている。私はこれまで本名で行っているフェイスブックで、中国について様々なリンクを使った長文投稿を頻繁に行ってきたのだが、昨年のある日、私がかつて投稿した中国についての長文の多くが突然「この投稿はフェイスブックの利用規約に違反しているので、あなた以外の人には表示されません」となり、更にその後、投稿そのものが完全に消去された。

過去数年間にわたり投稿して多くの人に見られてきた中国についての私の長文投稿、それらがある日突然一斉に「利用規約違反」とされ、そのまま抹殺される。なんだこれは? 中国共産党のサイバースパイの仕業だろう、こんな言論弾圧とても納得できない! 私はこのことに憤り、フェイスブックで「利用規約違反」とされた画面を証拠としてスマホで撮影しておいたのだが、今回の講演終了後、会場で鈴木先生と阿古先生にその証拠写真をお見せした。すると、お二人ともびっくりなさっていた。「え! なんですかこれは! 信じられない」。

「先生の周囲でも僕と同じ被害に遭った例はありますか?」と尋ねたところ、先生方は「私の周囲ではいません。こんなのは初めて見た。日本のネットでこんな言論封殺が行われていたなんて。中国国内でのネット統制と同じですね」と衝撃を受けておられた。

中国共産党が大陸の外に膨張たしているというのは、香港や台湾の例だけでなく、日本で私が遭遇した被害からも明らかで、中国共産党の膨張はリアルの空間とサイバー空間の双方で起こっている。先述したように、この明治大学での講演からして、鈴木先生が語ったように「大学の上層部は今回の講演に良い顔をしなかった」のだ。

話を岑子杰に戻そう。今回の講演、途中の休憩時間の際、私は喫煙所で偶々彼らのメンバーと一緒になった。岑子杰は仲間と共に喫煙所のそばに来ると、手を伸ばして喫煙所の扉を開け、まず先に仲間たちを中に通した後で、最後に彼が扉を閉めて喫煙所に入った。彼の身のこなしは楚々として非常に優雅で、仲間を優先して自分が扉の開け閉めをするその様子はとても印象に残った。

以上が明治大学で行われた民間人権陣戦の講演の模様だが、このように彼らは香港でデモを主催してきただけではなく、諸外国からの招きにより様々な行脚も行っている。その最も重要な例として、ここからは民間人権陣戦のワシントン訪問の様子をお伝えしよう。

昨年10月、民間人権陣戦のメンバーはワシントンに赴き、米議会、ハドソン研究所、米国務省を相次いで訪問したのだ。そして、この訪問をセッティングした人物こそ、先述の楊建利である。

まずは以下のツイートから見ていただこう。これは昨年10月18日、楊建利が主宰する政治団体・公民力量が行ったツイートで、左側に「民間人権陣戦」とあるのが読めるはず。


これは何かというと、楊建利の公民力量が米国の連邦議会で毎年開催している「異民族と異教徒間のリーダーリップ・カンファレンス」という会合の開幕式の開催概要で、「美国华盛顿国会山 HC-8 在开幕式上,将有Jim McGovern和Chris Smith等数位国会议员和人权领袖致辞并颁2019年度“公民力量奖”」という部分を説明すると、連邦議会のHC-8会議室でジェームズ・マクガバーンとクリス・スミスら連邦議員と人権問題のリーダーたちが集い、2019年の公民力量賞の授賞式を行うという内容だ。

昨年、香港のデモを主催してきた民間人権陣戦は公民力量賞を受賞し、それで楊建利から連邦議会に招かれたのである。マクガバーンとスミスの両議員は楊建利の長年の盟友で、彼らの信頼関係は実に強固なものだ。

そして、以下が10月21日に開催された授賞式の模様を伝える公民力量のツイートだ。民間人権陣戦からは副招集人の一人である梁颖敏(ボニー・ルエン)が代表者として出席し、民主党のマクガバーン議員の手からメダルを授与された。それが右上段の写真で、左下段に写っているのは楊建利である。


香港でデモを主催してきた民間人権陣戦にとっては、米議会の一室で米国の連邦議員たちから賞のメダルを授与され、抗議運動のことで激励を受けたことは、今後に向けて大きな勇気となったことだろう。

ちなみに、右下段にアップで写っている青年は張崑陽(サニー・チェン)という香港の活動家で、香港大学界国際事務代表団というグループのメンバーだ。彼らは賞を受賞したわけではないが、民間人権陣戦と共に楊建利から招待された。

さて、連邦議会の一室で開催されたこの「異民族と異教徒間のリーダーリップ・カンファレンス」の趣旨を説明しよう。香港の活動家たちは、単に賞の授与のためだけにワシントンに招かれたのではない。この会合は中国の民主化実現のため、楊建利率いる公民力量が若い活動家たちに新たな方策を伝授する研修がメインである。

公民力量が公表した資料によると、昨年のテーマは「変化を導くための戦略とスキルの使用」ということだ。つまり楊建利と公民力量の指導により、この米議会の一室に呼ばれた香港の活動家たちが中国民主化のため米国とも呼応して効果的に活動をおこなえるようになることを目的とし、表彰はそのための研修に先立って行われたものである。


3日後の10月24日、民間人権陣戦の梁颖敏をはじめとする香港の活動家たちは、楊建利の引率で先程とは別の共和・民主の米議員たちと合流し、議会の一室で香港のデモをテーマに会合を行った。米議員たちと香港の活動家たちは、今後のことを熱心に話し合った模様だ。


こちらは、この会合に参加した米議員の一人、フロリダ選出の上院議員リック・スコットによるツイートだ。活動家たちからプレゼントされた「光復香港 時代革命」のTシャツと共に、米議員として香港の人々への連帯を示した。


10月25日になると、民間人権陣戦の梁颖敏をはじめとする香港の活動家たちは、楊建利の引率でハドソン研究所を訪れた。ここでも香港をテーマに討議を行ったのだ。ハドソン研究所は米国政府の政策にも大きな影響を与えるシンクタンクなので、香港の活動家たちにとっても米国政府に香港の意図を汲み取ってもらううえで、ハドソン研究所に香港の状況を伝えることは極めて有意義といえよう。


楊建利の計らいによる香港活動家たちのワシントン行脚、この一連のことについて読者の理解がより深まるよう、ここで楊建利と米政界の関係について少し触れておこう。実は楊建利は、2016年秋にトランプが大統領選に勝利すると、米国の力を利用して中国民主化を実現すべく、トランプに政策方針書を提出している。これについては台湾人たちが運営する「関鍵評論」というサイトに楊建利のロングインタビューが掲載されている。以下がそのインタビューだ。


このインタビューは注目すべきところがたくさんあるのだが、最も重要なのは次の箇所である(文中のYangとは楊建利のことだ)。

Yang, interviewed in Taipei’s busy Ximen district on a crisp late afternoon in early winter, is promoting his latest new position paper, which proposes the Trump administration “strikes” directly at the vulnerable spots of the CCP to enable a democratic transition in China.

楊(Yang)は、トランプ政権に提出した最新の政策方針書で、中国共産党の脆い部分をダイレクトにつくことにより、中国の民主化への移行を可能にしようとしている。このように、楊建利が米国の力を使って中国民主化を実現しようと、その戦略の一端を述べたのがこのインタビューである。

以下はマール・ア・ラーゴのトランプ・ナショナル・ゴルフクラブで撮影されたもので、楊建利とトランプのツーショットである。笑顔でがっちりポーズをとる楊建利とトランプの様子が印象的だ。


楊建利は、わけても副大統領を務めるペンスからの信認は絶大なものがある。昨年10月、ペンスは中国をテーマにハドソン研究所で演説を行い、このペンス演説は「第2の鉄のカーテン演説」と評されたほど広く西側諸国に衝撃を与えたが、実はこのペンス演説をプロデュースしたのは楊建利である。以下は、当時楊建利がペンスとミーティングした際の様子を写真付きでツイッターから投稿したものだ。


楊建利とペンスが主賓としてテーブルの中央に座って会談する様子を写したものが2枚、そして最も大きな写真は、楊建利とペンスが両手でがっちりと握手する様子を写したものだ。

というわけで、楊建利が民間人権陣戦の梁颖敏をはじめとする香港の活動家を米議員たちに引き合わせたり、彼らをハドソン研究所に引率したりできるのも、ワシントンにおける楊建利の影響力の高さの表れなのである。

さて、香港の活動家たちはハドソン研究所を後にすると、今度は米国務省を訪れた。以下はその写真である。ここで彼らを引率したのは、楊建利のもとで公民力量の副主席を務める韓連潮だ。民間人権陣戦の梁颖敏ら香港の活動家たちは、米国務省の参謀たちに直接香港の模様を伝えたのだ。実に得難い機会である。


米国務省としても、香港のデモ主催団体である民間人権陣戦から直接話を聞くことは、今後の対中国政策の戦略を練るうえで大変有益といえよう。

そして、香港人権民主法案についても触れておかねばなるまい。この時期はちょうど米議会で香港人権民主法案が審議されていた時期と重なるが、楊建利はこの法案成立に向けても盛んに米議員たちに働きかけていた。そもそもこの法案を起草した人物からして、先程紹介した楊建利の盟友のクリス・スミスである。

31年前の天安門広場での抗議運動の際には、米国の政府・議会に効果的に働きかけられる策士がいなかった。もしあのとき、米国の政府と議会があの手この手で中国共産党に圧力をかけていたなら、人民解放軍の投入による大虐殺を防ぐことができたかもしれない。中国民主化が実現していた可能性があるのだ。だが、残念ながら当時はそういう策士がいなかった。

しかし、いまは劉暁波の遺志を継ぐ筆頭格の楊建利がいる。彼が香港の活動家たちと米国の政府・議会の仲立ちとなり、色々な仕掛けを施している。その甲斐もあってトランプ政権と米議員たちは、香港のことで盛んに中国共産党に圧力をかけている。この効果は決して軽視すべきではない。

以上が、昨年10月に行われた民間人権陣戦メンバーによるワシントン訪問のダイジェストである。

さて、それではここからは、新型コロナウイルスの市中感染ゼロが続きデモが復活したこの春の模様を振り返ると共に、全人代が構想する香港への国家安全法施行について考察しよう。

まず4月18日、香港では主要な活動家15名が一斉逮捕されるという事件が起きた。昨年違法な集会に参加したという容疑で、逮捕された15名のなかには明治大学で壇上に立った民間人権陣戦の陳皓恒もいた。


この私でさえ、目の前で話を聞いた彼の逮捕に強い怒りを覚えたほどだから、ましてや香港の人々にとってこの一斉逮捕は絶対に容認できないだろう。この一斉逮捕の翌週末の4月26日、香港では新型コロナウイルスの影響でストップしていたデモが復活する。以下は、その写真である。



デモを取り締まる警官隊の顔に医療関係者用のマスクがあることから、これが新型コロナウイルスの二次感染を避けるための防備であるのが解ろう。抗議をする香港市民たちにしても、デモは大型ショッピングモールの吹き抜けのフロアで行われており、さすがにこの時期はまだ二次感染のリスクを考慮したデモとなった。

次いで、4月30日の映像を紹介しよう。この日はデモがあったわけではないが、しかし深刻な事件が発生した。以下の映像を見てもらえば解るが、警官隊が取り囲んでいる相手、これは子どもなのだ。


こちらは、警官隊が猛烈な勢いでよってたかって一人の子どもを捕えようと追いかける様子で、捕えた子どもは上の映像にあるように一か所に集めて、大勢の警官隊で取り囲む。実に酷い。ツイートの文章で中国共産党は鬼子だと強烈に批判する気持ちも解かろう。

更に5月8日、これも子どもをめぐる捕り物で、この日は母の日ということで外で食事をしていた家族に対し、警官隊が突然強襲。子どもが捕らわれた母たちが我が子を解放せよと警官隊に向かって大声で叫んでいる。広東語が解らない人でも、涙目で発せられる母たちの叫びの強度は理解できるので、よろしければ是非ご覧いただきたい。



以下も5月8日の映像で、抗議運動が行われているわけでもない街頭なのに、警官隊が突然猛烈に走って市民を捕えに行く様子だ。

そして、最も残虐非道なのが以下の写真だ。昨年香港では、何かと不審な死体が数多く出現したのだが、それまで復活してしまった。この一日で4人が転落死したという。これらの不審死については、中国本土から派遣された特務が香港の市民を恐怖させるため暗殺をしているのではないかという噂が盛んになされてきた。


こういう卑劣な取り締まりを繰り返せば、香港の人々の怒りは噴出する。5月10日、今度はショッピングモールの吹き抜けだけでなく、街頭でもデモが行われた。



子どもの次は若い女性とばかりに、屈強な男性警官隊が束になって女性トイレに押し入り、トイレで女性たちを捕縛し、連れ去る。人さらいでさえ、こんなことはしない。しかしそういうことを警官隊が行う。

こちらも、若い女性に対する警官隊の暴力である。

子どもたちもまた逮捕された。以下は、警官隊に連行される13歳の少年だ。

一方、若い男性に対してはこれだ。至近距離でライフルを突き付ける警官。これは黄之鋒(ジョシュア・ウォン)の投稿だが、ライフルで脅す警官のことをはっきり中国共産党と言っている。

こちらは、警官隊により逮捕された抗議者とジャーナリストが一か所にまとめられている様子だ。

実に酷い捕り物の連続となったこの日のデモだが、なかには人々を和ませる非常に優雅な様子もあった。以下は、街頭でバイオリンを演奏する女性である。


こちらも若い女性の映像で、この投稿者は彼女たちを褒めたたえているわけだが、サッカーの試合でファイトして試合終盤に脚がつった選手のような感じで、女性たちが地面に横になっている。警官隊の暴力を相手に、それだけ必死だったということだ。

そして、全人代(全国人民代表大会)の開幕を翌日に控えた5月21日、衝撃が走った。以下は黄之鋒のツイートだが、「the most controversial national security law #article23 」というのは陳皓恒が最も傾注して語った例の23条(国家安全条例)のことである。中国共産党は、この23条を香港立法会を通さず北京の全人代で制定して、香港に直接施行するというのだ。

香港の一国二制度は、中国共産党が香港の立法に関与せず、香港立法会による独立した法体系で統治されることを根幹とする。これは香港の中国返還に際して英国との間で取り決められた国際公約でもある。ところが、習近平政権はついにこれを無視した。全人代が香港の法律を制定して直接香港に施行するなら、それは一国二制度の破壊である。

北京が制定する香港の国家安全法、これについて国際社会からは中国共産党を強烈批判する声が続々と上がる。まず、以下は国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウオッチ(人権観察)のツイートで、曾ての天安門大虐殺を引き合いに出して香港に対する習近平の方針を強く批判している。

楊建利は、この国家安全法は核弾頭に匹敵するとした民間人権陣戦の声明を引用し、中国共産党を最大限に批判した。


楊建利が民間人権陣戦の声明を引用したのは、彼らへの連帯を強く示す意味もあるだろう。もちろん、楊建利以外の様々な反体制派グループも中国共産党を最大限に批判した。そして、ワシントンからも続々と批判の声は上がる。

代表的な例として、楊建利の盟友であるジェームズ・マクガバーン、更にマルコ・ルビオのツイートを紹介しよう。



また、米議会の中国委員会は声明を発表し、この中国共産党の発表は香港の一国二制度を壊し、英国との共同声明に背くものであり、議会としてトランプ政権に昨年成立した香港人権民主法の適用を要請すると表明した。


米国務省もまた声明を発表した。米国が香港に与えている特別な地位は、高度な自治に基づく民主的制度と市民の自由があってこそなので、中国共産党はこの惨事的な決定を再考するよう要請している。


この国務省の声明は、もし中国共産党がこのまま国家安全法を施行するなら、米国は香港に認めていた特別な地位を剥奪し、制裁発動も辞さないと暗に示すものだ。

香港の活動家たちは明治大学の講演で私たち日本の民間人に向けてさえ23条(国家安全条例)がいかに危険であるかを滔々と語ったので、ましてや昨年末に楊建利の招きで米議会や米国務省を訪問した際は、米国の政治家たちに向けてこの問題を詳細に語っているだろう。

こちらは全人代が示した香港国家安全法の草案の写しで、分裂、国家政権転覆、テロ、外国勢力の介入、という4点の禁止が最重要だという。


一口に分裂や国家政権転覆といっても、何をもってそれにあたるとするのか? 中国共産党による判断は極めて恣意的である。これらの罪状で実刑判決を言い渡された者として、最も有名なのは劉暁波だろう。ノーベル賞を受賞した偉大な彼でさえ、国家政権転覆扇動罪の罪で懲役11年の実刑となり、事実上の獄中死となったのだ。

寥亦武や余傑といった劉暁波の親友たちは耐え切れず続々と中国を逃れ、外国へ移住する破目になった。それが今度は香港を襲うことになる。香港の市民たちの危機感は計り知れない。

5月24日、香港の街頭は抗議する大勢の人で埋め尽くされた。もはや新型コロナウイルスの二次感染発生を恐れて人との距離を取る姿勢は跡形もなく消え去り、中国共産党に香港の民意を示すため、街頭を埋め尽くした多くの抗議者たちの勇気が屹立した。そして、香港警察はこの街頭抗議に対し、暴力による鎮圧で対処した。




ところで、天安門大虐殺の後で西側諸国に逃れた反体制派の中国人たちにとって、この日の香港のデモで最も強く共感したのは抗議者たちが示した標語だった。この日、香港のデモ参加者の多くはデモの出発点で「天滅中共」と書かれたプラカードを掲げたのだ。「天が中国共産党を滅ぼす」、中国民主化を目指す反体制の活動家たちはこの標語に強く共感した。以下は、民主救国陣戦で主席を務める唐柏橋のツイートである。


こちらは、法輪功系の民主化運動家・錚曾のツイートだ。

かつて江戸幕末の日本では維新志士たちが「天誅・倒幕」を標語にしたが、「天滅中共」というのもこれと同じタイプの標語である。このことと関連するが、昨今の中国からはさながら「王朝末」を感じさせる用語が出ている。まず昨年、米中貿易協議で代表を務めた劉鶴は米国への姿勢が「李鴻章」のように弱腰だと一部で批判され、そしてウイルスの世界的流行が発生したこの春になると、国際社会では武漢ウイルス研究所から漏れたウイルスで被害を被ったとして中国共産党を相手に賠償請求する動きやウイルスの発生をめぐる調査団の受け入れを要求する動きが活発になり、この状況について北京では「義和団の乱」の八か国連合軍が中国に迫ってきた再現と評されている。

清朝末期には「李鴻章の弱腰」→「義和団の乱の賠償請求」→「広東での辛亥革命運動」という経緯を辿ったが、昨年来の中国ではこれをもじった「劉鶴の弱腰」→「ウイルスをめぐる賠償と調査団の要求」→「香港の民主化運動の緊迫化」となっている。

なぜ習近平は、一国二制度を反故にしてまで全人代による国家安全法の制定という強硬手段に撃って出たのか? 習近平は焦っているのだ。ハイテクや貿易をめぐる米国の圧力、ウイルスで深く傷ついた中国経済、そして党内でも鄧小平の改革開放路線を放棄して毛沢東への回帰を示す習近平に対する反感は高まっている(だから曽慶紅は配下の特務を香港に潜入させて習近平を窮地に陥れようとしたのだ)。

全人代による国家安全法の制定というニュースが伝わった翌日、香港ハンセン指数は5%を超える大幅下落となった。このまま予定通り8月ごろに国家安全法が施行されて香港の自由が奪われ、それを受けて米国が制裁に踏み出したなら、香港の外国企業や江派系の中国企業が香港から逃げ出し、資本流出が起きる恐れが指摘されている。


しかし、それだけでは済まない。香港で発生する資本流出はやがて人民元相場で大きな売りを呼び、積年の懸念である中国の債務問題に火が付く恐れがある。ウイルスで深く傷ついた中国経済はいまだ国内消費の戻りは弱く、更に主要な輸出先である欧米も厳格な都市封鎖の影響で輸出の伸びは見込めない。にも拘わらず、この間中国の企業は公的資金による支えを受けることができないでいたので、仮にこのまま危機的な事態が続き、そこへ香港で資本流出が発生して人民元も派手に売り込まれれば、以前から懸念されてきた中国の債務問題がついに発火すると見込まれる。


じわじわと王朝末の雰囲気が漂う昨今の中国、そこへ香港の一国二制度を反故にしてまで全人代が国家安全法を制定するのは、習近平にとって明らかに自滅の道である。

とはいえ、当分の間、香港の人々にとってこれはかつてない試練となる。この法律は、香港市民の安全を最大限の危機に陥れる。今後、香港の人々の活動にどのような影響を与えるのか? 日本語が堪能な周庭は次のように言っている。



彼女はこの国家安全法について、最大の狙いは国際社会(北京から見れば外国勢力)との交流だと評している。彼女や黄之鋒が所属する香港衆志(デモシスト)は雨傘運動以降重ねてきたノウハウで国際社会との連携が上手いので、中国共産党がこの部分を断ち切りたいと思っているのは間違いない。

そして、国際社会との連携といえば、先程紹介した楊建利の仕掛けによる香港活動家たちのワシントン行脚を見逃してはならない。かつて劉暁波の代理としてノーベル平和賞の式典に赴いた楊建利、その彼が米国の力を使って中国民主化を実現する作戦の一環として、デモの主催団体である民間人権陣戦をワシントンに招き、連邦議員やハドソン研究所や米国務省との会合をセッティングしたのだ。

楊建利が仕掛けた一連の会合は、数ある香港活動家と国際社会の連携のなかでも中国共産党が最も嫌がるものだろう。習近平は、楊建利が仲立ちとなって行われる香港活動家と米国との連携を潰したくて仕方ないに違いない。

ところで、昨年の9月、私は楊建利と個人的に面会し、彼と色々話をした。以下は、楊建利と私のツーショットを扉にしたレポートである。

昨年の9月9日、明治大学では楊建利を招いて彼の講演会が行われた。その講演に先立ち、私は楊建利と個人的に面会し、二人で色々と話をしたのである。上記のレポートは、楊建利が私との対話や講演で語ったことを詳細に解説したものだ。香港情勢についても、楊建利だからこそという極秘情報も含めて盛り沢山の内容となっているで、興味のある方は是非読んでみてほしい。香港、米中関係、そして北京政局の今後を展望するうえで、必ず役に立つはずである。

〔後記〕
中国共産党サイバースパイの妨害工作を受けてまで中国の民主化支援を行っている私としては、是非とも皆さんの温かいサポート(寄付)をお願いする次第です。

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