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劉暁波の精神とバイデン時代の米中新冷戦

あれからまだ1年8カ月しか経っていないのに、ずいぶん遠くのことのように感じられる。当時はまだ感染に怯えることもなく、人と会えば躊躇いなく握手していたから。大声をあげ、叫ぶこともできた。

2019年9月上旬のことだ。当時、香港では大規模なデモが続いていた。世界的な金融街の香港で、自由を求める若者たちの雄叫びが、悲鳴が、仲間を呼ぶ声がこだましているとき、一人の著名な中国人の民主活動家が飛行機で東京に降り立った。彼の名は楊建利。曾て劉暁波がノーベル平和賞を受賞した際、獄中の劉暁波の代理としてオスロに入り、ノーベル平和賞の晩餐会に出席したのもこの楊建利だった。

そんな楊建利と、私は明治大学構内の一室で会い、暫しの間二人きりで話をした。面会の終盤、私は楊建利に向けて、私たちの共通の友人である劉燕子が翻訳した詩集を手渡した。『独り大海原に向かって』、劉暁波の詩集である。

楊建利は、非常に嬉しそうな表情でこの詩集を手に取り、興味深そうに表紙を眺め、ページをめくってなかを見た。日本語の「劉暁波」という表記は中国語繁体字の表記と殆ど同じで、「天安門」は中国語そのままだ。ページをめくる楊建利の表情は、この後の講演で香港情勢や米中関係について論じたときとは明らかに違った。劉暁波というかけがえのない旧友の匂いを感じている楊建利の目はとても優しかった。


その劉暁波が癌に冒されていることが知れ渡ったのは、2017年6月下旬のことだ。楊建利は劉暁波の病状を知ると、なんとしても劉暁波を救おうとして、その日の午後にホワイトハウスを訪れた。劉暁波が米国の病院に移送できるよう、米国政府の方で習近平に圧力をかけてもらうためである。

トランプの補佐官を務めるポッティンジャーは、楊建利の要請を快諾した。だが、大統領のトランプは違った。人権問題に無関心なトランプは、劉暁波を救いたいという楊建利の思いを踏みにじり、その要請を拒絶したのである。

この劉暁波救出計画の挫折をめぐるホワイトハウスでの一幕については、後に証拠と共にもっと詳しく取り上げよう(証拠というのは、もちろん楊建利本人が明かしたものである)。

楊建利は、何かあれば事前にアポイントを取ることなくホワイトハウスを訪れることができた。そうして楊建利は、中国の問題でいつでも米国政府高官と協議できる立場にあった。残念なことに、このことは日本でも米国でも一般にはまったく知られていない。

以前私のレポートで詳しく解説したように、曾て楊建利は米国の力を利用して中国民主化を実現すべく、トランプに政策方針書を提出した。しかし、彼はやがてトランプに深く失望することになる。

中国共産党を相手に強硬な姿勢で貿易戦争を仕掛けたトランプは、確かに米国の対中政策のモメンタムを変えた。とはいえ、トランプは民主主義の価値観ということにはまったく無頓着だった。そのトランプは、昨年秋の大統領選でバイデンに敗れた。

目下のところ、バイデン政権はトランプ政権時代の対中制裁を維持しつつ、同盟諸国との連携を重視し、人権から地政学的な問題まで同盟諸国と共同で中国共産党へ穏やかに圧力をかけている。

バイデン政権の対中政策に継承されているのは、ペンスとポンペオの対中政策である。バイデンは民主主義の価値観を重視し、中国共産党との戦略的競争関係を「民主主義と専制主義の戦い」と定義しているが、これはペンスとポンペオの姿勢を継承したものだ。

実はこの裏には、いにしえの張良を思わせる楊建利の巧みな暗躍があった。トランプに深く失望した楊建利は、それでめげることなく、その後は表に出ないところでペンスと接触し、ペンスのチームと共にあることで準備を進めていた。2018年10月、ペンスは中国をテーマにハドソン研究所で演説を行い、このペンス演説は「第二の鉄のカーテン演説」と評されたほど広く西側諸国に衝撃を与えたが、このペンス演説をプロデュースした人こそ、他ならぬ楊建利である。以下は、当時楊建利がペンスとミーティングした際の様子を写真付きでツイッターから投稿したものだ。


楊建利とペンスが主賓としてテーブルの中央に座って会談する様子を写したものが2枚、そして最も大きな写真は、楊建利とペンスが両手でがっちりと握手する様子を写したものだ。

ペンスはそれまで中国に関して特に目立つ発言は何もなかった政治家なのに、そのペンスが一夜にして突然、対中最強硬派になったことには驚きの感を抱いた人も多かった。なにがペンスを動かしたのか? その答えこそ楊建利である。

私は明治大学で楊建利と会った際に、当時のことについて彼から少しうかがっている。そのことは以前レポートにまとめた通りだ。


ペンスの演説について楊建利は、私に向けて満面の笑みで親指を立てた。つまりガッツポーズである。その楊建利の様子から、ペンスの演説は楊建利にとって会心の出来事だったことが明確に理解できた。

現在のバイデン政権においても、このペンスの演説の重要性は疑いの余地がない。なにより、ペンスの演説はいまや議会での影響力は圧倒的だ。既に米国の議会は対中強硬一色に染まっており、人権問題で中国共産党に圧力をかける法案、あるいは米国が中国共産党に打ち勝つための法案など、議会では重要な対中政策の法案が続々と準備されているわけだが、この議会の対中姿勢には曾てペンスが演説で示した姿勢が色濃く反映されている。

もっとも、ペンスの演説それ自体は楊建利のプロデュースによるものであり、したがって当然のごとくペンスの演説には劉暁波の精神も継承されている。

曾て劉暁波は、米国をはじめ西側諸国について、中国の巨大市場から得られる利益に惹かれ、中国共産党に媚びを売って利益外交をしていると痛烈に批判していた。西側諸国は中国共産党に釣られて経済的利益を追うのではなく、自由や人権といった価値観を前面に押し出し、価値観外交で中国共産党と対峙するよう、劉暁波は繰り返し主張していた。

もちろん、この姿勢は劉暁波にとどまらず、後ほど見るように魏京生など他の民主活動家たちも同様の主張を行ってきた。彼ら中国人の民主活動家たちの精神が、楊建利を通してペンスの口から語られ、いまや連邦議員たちの間にも幅広く浸透している。

米国とは、自由を求めて外国から流亡してきた人たちが作り、動かしてきた国だ。20世紀においても、たとえばオーストリア・ハンガリー帝国を逃れたハイエクやシュンペーターはやがて米国で教鞭をとり、米国の政治家たちは彼らの理論をよりどころに米国の経済政策を実行した。いま米国が中国共産党から重大で深刻な挑戦を受けているからには、その米国の政治家たちが中国共産党に対峙するうえで、米国へ流亡してきた中国人の民主活動家たちをよりどころに政策を実行しても何ら不思議ではあるまい。

ペンスの演説の陰に楊建利がいたなら、ポンペオには余茂春(マイルス・ユー)がいた。以下は楊建利の公民力量で副主席を務める韓連潮のツイートで、「余茂春は米国の対中政策の重要人物」だと述べている。


余茂春は米国務省の対中政策顧問として正式に就任した人物で、ポンペオが中国共産党に対峙する際、その軍師としてポンペオを支えた。元々は中国安徽省の出身で、85年に自由を求めて米国へ移住すると、カリフォルニア大学バークレー校で博士課程を修了し、その後米国籍を取得した(英名はマイルス・ユーである)。中国系米国人の高官として、メリーランド州にある米海軍アカデミーで中国に関する講義を受け持ってきた。

その余茂春が、ポンぺオの対中政策顧問を務めたのだ。当然ながら、彼も曾ては民主化運動にかかわっていた。89年の天安門広場での民主化運動に際しては、米国から民主化運動を支援し、そして軍の投入で民主化運動が弾圧されたのちは、米国へ流亡してきた中国人の活動家たちを積極的に支援するなどの活動も行ってきた。

この余茂春を中心に、更に王丹、魏京生といった活動家たちがポンペオに提言を行うことで、ポンペオの対中政策は実行されていった。ポンペオが2020年7月にニクソン記念館で行った対中政策の演説も、彼ら中国人の民主活動家たちとの交流あってこそなのだ。


このときのポンペオの「共産主義中国と自由世界の未来」という演説も、ペンスの演説に勝るとも劣らず世界に衝撃を与えたが、ところで多くの人は以下の文章を読んでどう思うだろうか?

「国際的な主流社会がもっと注目しなければならない事実とは、今日の独裁中共と自由世界との間のゲームは、かつての集積主義ソ連共産党のケースとは違ったものだということである」

「財布をひけらかす中共政権はまさに全世界で金銭外交を展開しており、他の独裁国の輸血源となり、貿易の利益を使って西側の同盟国に楔を入れようとし、またその大市場によって西側大資本を誘惑しまた圧迫を加えている」

「その結果は中国人にとって災難であるばかりでなく、自由民主のグローバル化の進展にも影響を与えよう。だから独裁台頭の世界文明に対するマイナス効果を抑制しようとするなら、自由世界は世界最大の独裁国家がすみやかに自由民主国家に転化することを助けなければならないのである」

これは、劉暁波が2007年に『人と人権』の1月号に寄稿した論文から抜粋したものだ。ペンスとポンペオが演説で語った内容は、劉暁波が14年前に発表した文章となんとも重なるのだ。

劉暁波がこれを執筆した当時、中国の経済規模は英国あるいはフランスの経済規模をちょっと超えた程度だった。中国の上にはドイツがあり、その更に先には日本があり、米国ははるか彼方に霞んで見えるぐらいだった。

当時、西側諸国の大多数の人々は、約束された中国市場の成長の行方に期待し、将来への楽観論で溢れていた。しかし、中国に対する楽観論はいまや木っ端微塵に砕けた。習近平のもとで独裁を強化する中国共産党は、国際秩序を侵犯し、グローバルに民主主義を脅かしている。

曾て劉暁波が抱いていた危機感に、ようやく米国の政治家たちが追い付いてきた。それが表れたのがペンスとポンペオの演説である。

バイデン政権が今後いかに中国共産党へ対処していくかという点でも、中国人の民主活動家たちの動向は極めて重要となろう。というのも、楊建利は既に昨年11月の時点でバイデンのチームと接触しているのだ。

楊建利とバイデン政権の感染対策

以下は米国時間で昨年の11月8日、つまり大統領選でバイデンが当選を確実にして間もない時期、楊建利が公民力量のアカウントからツイートしたものだ。


ここで楊建利は「大統領が交代することは、米国が新型コロナウイルスの防疫政策を改善する良い機会となる、感染対策を成功させることは米国の内政のみならず外交面でも成功の前提だ」と述べている。

これに関連して同じく11月8日、楊建利は公民力量に以下の声明文を発表した。


ここで楊建利は、来週にも私はバイデンのチームに防疫面での政策を建議すると表明している。

米国は昨年の秋、感染の拡大が極めて深刻な状況だった。大統領選に向けて、トランプ支持者にはマスクさえしない人が続出し、大勢で集まってトランプ支持のデモを各地で展開したこともあり、米国は感染拡大に歯止めがかからず、危機的状況にあった。

一方、中国は大規模な監視による濃厚積極者の追跡や徹底した隔離により、概ね中国国内では感染の封じ込めに成功しつつあった。もちろん局所的に感染が発生することはあるが、大局的には感染は抑えられており、それに伴い中国は経済活動も輸出・生産・インフラ投資がⅤ字回復を遂げていた。習近平は自らが指揮する感染対策に自信を深めていた。

つまり、米中はまさに対照的な状況だった。米国は国内がこれだけ感染で痛めつけられ悪戦苦闘している限り、とてもじゃないが米国が中国共産党を相手に勝負することはできない、これが楊建利の思いであり、だから彼は防疫の成功は外交の成功の前提であるとして、バイデンのチームに政策の建議を行ったのだ。

現在、議会の方では戦略的競争法案、エンドレス・フロンティア法案といった法案が成立に向けて動いている。これらの法案はいずれも中国共産党との戦いを念頭に置き、中国共産党に打ち勝つべく、米国の国力の強化を狙った法案だ。経済はまさに国力の根幹であり、したがってこれらの法案が成立して対中政策で効果を発揮するためにも、感染の封じ込めは必須である。

大統領のバイデンもこのことは十分に認識しており、先ごろ議会で行われた施政方針演説でも明確に表れていた。


目下のところ、米国は当初バイデンが思い描いた以上のペースでワクチンの接種が進んでいて、バイデンも3月にはワクチン接種の目標を格上げした。このままなら、米国が集団免疫を獲得して経済の正常化が実現する時期も当初の見込みより早まると期待される。米国が本来の経済活動の活力を取り戻したとき、ようやく中国共産党への対処に本腰を入れられる下地が整うことになろう。

いまだバイデン政権の対中政策は成熟していない。これから中国共産党にどう対抗していくか、閣僚たちも手探りの状態だ。しかし、いずれバイデン政権が対中政策に本腰を入れるとき、その裏では楊建利ら民主活動家たちの姿もあるだろう。

彼らがどのようにバイデン政権の対中政策に関与していくか、このことを展望するには、彼らがトランプ政権の対中政策にどのように関与していったかを検証しておく必要がある。

トランプに深く失望した楊建利はペンスに希望を託した

対中政策の面で、楊建利は当初トランプに大きな期待を寄せていた。もっとも、後に彼はトランプに深く失望することになるのだが、2016年秋にトランプが大統領選に勝利した直後は違った。

楊建利がトランプに深く失望するに至った部分は後ほど証拠と共にじっくり触れるとして、まずは楊建利が当初トランプにいかに大きな期待をかけ、政策提言を行ったか、その部分を見ていこう。

2016年の秋、トランプが大統領選に勝利すると、トランプの対中強硬的な姿勢に注目した楊建利は米国の力を利用して中国民主化を実現すべく、トランプに政策方針書を提出した。この政策方針書については、台湾人たちが運営する「関鍵評論」に楊建利のロングインタビューが掲載されているので、ここに紹介しよう。


このインタビューは物凄く長くて、注目すべきところがたくさんあるのだが、最も重要なのは次の箇所である(文中のYangとは楊のことだ)。

Yang, interviewed in Taipei’s busy Ximen district on a crisp late afternoon in early winter, is promoting his latest new position paper, which proposes the Trump administration “strikes” directly at the vulnerable spots of the CCP to enable a democratic transition in China.

楊(Yang)は、トランプ政権に提出した最新の政策方針書で、中国共産党の脆い部分をダイレクトにつくことにより、中国の民主化への移行を可能にしようとしている。このように、楊建利が米国の力を使って中国民主化を実現しようと、その戦略の一端を述べたのがこのインタビューだ。

暫くの間、楊建利とトランプの関係は非常に良好なものだった。トランプは自身の大統領就任記念晩餐会に楊建利を招待し、また楊建利の方でも自らトランプタワーを訪れるなどして、二人の関係は蜜月に思えた。以下にその証拠を紹介しよう。

米国時間で2017年1月17日、楊建利のもとにトランプから大統領就任記念晩餐会の招待状が送られて来た。楊建利自らフェイスブックで投稿したその招待状である。

今天收到参加川普就职典礼活动的资料袋,发给我的出席就职仪式的票的序号是0911,我的妈呀,吓死宝宝了。

Posted by 杨建利 on Tuesday, January 17, 2017


更に1月20日のトランプ大統領就任式の当日、晩餐会の会場で記念撮影する楊建利の姿である。

马上进入川普就职自由舞会。

Posted by 杨建利 on Friday, January 20, 2017


こちらは、2月7日、トランプタワーを訪れた際の楊建利だ。

在纽约5号大道Trump Tower的楼顶。

Posted by 杨建利 on Monday, February 6, 2017


これら一連の写真は、曾て私がnoteで発表したリポート「米国の政府・議会を動かす中国人の民主活動家たち」でも取り上げた通りである。


この私のリポートは、2019年9月に明治大学で楊建利と二人きりで面会した際にも、私の手で楊建利に紹介した。ペンス演説を取り上げて楊建利の活動を紹介した私の仕事を楊建利も喜んでくれ、非常に関心がある風情でnoteの画面に目を通していた。

しかし、ある写真のところへ来たとき、楊建利の様子が変化した。

以下は6月25日、マール・ア・ラーゴのトランプ・ナショナル・ゴルフクラブで撮影されたもので、楊建利とトランプのツーショットである。


笑顔でがっちりとポーズをとる楊建利とトランプの様子から二人の厚い信頼関係がうかがえる、当時私はそう思った。だから私はリポートにもそう書いたし、楊建利も私がこの写真を使ったことを喜ぶだろうと思った。

ところが、楊建利は彼自身とトランプが笑顔でポーズをとる写真をnoteの画面に見たその瞬間に、目が力んで、顔が強張った。表情そのものが大きく変わったわけではない。それは目とその一角の極めて小さい変化だったが、普段の彼は表情が非常に豊かなこともあり、そのぶんこのときの楊建利の目尻のこわばりは突出したものだった。それまでの鷹揚な感じとは明らかに違う不快感を楊建利が示したことに私は驚いた。

楊建利はこのトランプとのツーショット写真を嫌がっている、私は即座にそのことを悟ったが、一方楊建利が顔色を変化させたのはほんの一瞬のことで、すぐに彼はまたもとの鷹揚な様子に戻った。

楊建利は歴戦の勇士だ。天安門広場で多くの仲間を失い、自らも5年間に渡り獄中生活を過ごし、その後はいまに至るまで米国を中心に各国で民主化運動への支援を取り付けようと様々な人と接してきた。だから社交的なセンスも長けている。

楊建利が何事もなかったように表情をもとに戻したので、私も彼の変化に気づいた素振りを見せず、それまで通り彼に接した。楊建利とトランプの間に何かあったのか? このことは聞かずじまいで終わった。

このときの私は、劉暁波のことで楊建利とトランプの間に行った事件をまだ知らなかった。いや、そもそも他の誰も知らなかっただろう。なにはともあれ、トランプの貿易戦争は対中政策の面で米政界のモメンタムを大きく変え、中国人の反体制派たちの間ではそんなトランプを信望する勢いは強まる一方だったので、楊建利はそのあたりの部分に配慮してトランプへの批判を意図的に避けていた。

とはいえ、トランプに対する楊建利の姿勢の変化は明らかだった。あらためて彼の道程を振り返ると、当初はトランプとの関係を示す写真を頻繁に投稿していた楊建利なのに、マール・ア・ラーゴでの面会があった6月25日以降、彼はトランプと接触した形跡を一切出さなくなる。

その代わり、楊建利はペンスとの蜜月を示すようになる。最初は極めて衝撃的だった。例のハドソン研究所で行われたペンスの演説である。


楊建利が何を理由にペンスを動かしてこの演説を仕掛けたかについては、先程紹介した「米国の政府・議会を動かす中国人の民主活動家たち」の有料部分で詳細に解説しているので、興味のある方は是非ともお読みいただきたい。

更に2019年8月5日、楊建利は世界ウイグル大会副主席のオメル・カネト、対中援助協会創始者で牧師の傳希秋、ワシントン法輪大法協会副主席の陳杰夫という3人の宗教家を伴ってホワイトハウスを訪問し、3人をペンスに引き合わせ、中国の深刻な宗教弾圧のことで議論を行った。中央がペンス、そのすぐ左に楊建利が写っている。


秋になると、ペンスは前年に引き続き、中国をテーマに演説を行った。10月24日、場所はウイルソン・センターで、もちろん楊建利も会場にいた。楊建利にはペンスからすぐ目の前、前列2番目のところに席が用意された。以下は、壇上にいるペンスの様子を楊建利が撮影してツイッターから投稿したものだ。


その後、2020年になると新型コロナウイルスの感染拡大が起きるわけだが、ここでも楊建利はペンスにある要請をしている。

武漢での感染拡大が深刻化した2月、習近平政権はネット水軍である五毛党を動員し、米軍が武漢にウイルスを持ち込んだという捏造をネット上で盛んに吹聴して拡散させるようになる。後の戦狼外交のための仕込みだが、この事態を重く見た楊建利は2月28日、ペンスに宛てた公開書簡をネット上で発表した。以下が、その公開書簡の全文である。


ここで楊建利は、習近平政権が五毛党を使って米軍がウイルスを武漢に持ち込んだと盛んに偽りを吹聴しているので、米国は国際社会と協力してウイルスの発生をめぐる調査をするため北京に圧力をかけるようペンスに要請したのだ。

こういう重要なことは、本来なら大統領トランプ宛てに送るべきなのに、ところが彼はトランプを無視してペンス宛てに公開書簡を送った。

11月上旬、大統領選の投票結果が出てバイデンの勝利が確実になると、楊建利はそれまで我慢していたものが爆発したように、政治家トランプに対する猛烈な批判を開始する。まずはトランプが選挙結果は操作されたと煽ることについて、楊建利はこれを厳しく批判し、更に楊建利は感染対策のことでもトランプの曾ての投稿をスクリーンショットで使用して、強烈な批判を行う。


トランプは新型コロナウイルスへの対応について中国共産党の努力と透明性を讃えて、習近平に感謝していたのだ。

楊建利がこれを使ってトランプを批判したのは主に二つ理由があって、そのうちの一つはかなり厄介なことなのだが、反体制派における楊建利の特異な位置を説明するうえでも少々お付き合い願いたい。

楊建利とは対照的に、反体制派中国人の間ではトランプの熱狂的支持者が圧倒的多数で、彼らはトランプが北京に強硬な姿勢を示すたびにトランプに拍手喝采を送っていた。一方で彼ら反体制派の多くはバイデンのことを北京の傀儡だと信じて疑わない人が多く、そのため反体制派の多くはトランプの二期目を強く期待しており、それで大統領選についても本当はトランプが勝利したのに裏で操作されてバイデンの勝利にされたと信じて疑わない人が圧倒的に多かった。そんな彼ら反体制派の多くは、トランプを強烈に批判する楊建利のことを激しく攻撃し、楊建利はいわれのない誹謗中傷に晒されたのだ。

このあたりの経緯については、サウス・チャイナ・モーニング・ポストに詳しい記事があるので紹介しておこう。


共に中国民主化を目指す仲間であるはずの反体制派からネット上で迫害を受けるかたちになった楊建利は、むしろトランプこそ北京にひざまずいている、このツイートを見ろと、スクリーンショットを使って投稿をしたのだ。これが一つ目の理由である。

もう一つの理由は、本当にトランプが駄目だということだ。トランプは新型コロナウイルスの危険性を軽視し、公の場でもマスクをしないことが多く、支持者たちにもウイルスを恐れるなとツイッターで呼び掛けるなど、トランプの言動が米国で感染の爆発的拡大を招いた大きな要因の一つであったことに疑いの余地はない。

楊建利は先程取り上げたバイデンのチームへの建議書提出を表明した声明で、「在美国防疫失败这件事上,川普总统的责任是不能回避的」と表明していて、つまり「米国における防疫の失敗についてトランプ大統領が責任をまぬがれることはできない」とトランプを痛烈に批判している。

ともかく、選挙の不正を煽ること、感染対策のことでトランプを痛烈に批判する楊建利だが、一方で彼はペンスのことは賞賛する。まずは12月18日、ペンスがテレビカメラの前でファイザー製のワクチンを接種すると、楊建利は副大統領が身をもってワクチンの安全性を米国民に示したとしてペンスに敬意を送る。



トランプを徹底批判し、ペンスを称賛する楊建利のこの姿勢は、1月6日の出来事に際して何よりも明確になる。この日、トランプの呼びかけに応じて大勢の支持者がワシントンに集まり、バイデンの大統領選勝利承認を阻止すべく、米議会に乱入する。

この事態を受けて楊建利は、暴徒を厳しく批判したペンスの発言と、暴徒に愛してると言ったトランプの発言を対比させたうえで、トランプによる憲政民主を破壊する行為をペンスが阻止したとペンスに敬意を示した。



ところが、一連の楊建利のツイートは、トランプを崇拝する数多くの反体制派中国人たちの猛烈な攻撃対象となる。誹謗中傷に晒された楊建利は、そこでトランプ政権の内幕を暴露する決定的なツイートを行う。

きっかけを作ったのはポッティンジャーだった。トランプの安全保障担当補佐官ポッティンジャーはこの日、トランプを見限って辞任した。彼の辞任が楊建利に、曾てのホワイトハウスにおける劉暁波の件の真相を暴露することを決心させた。



「2017年6月26日、私は劉暁波が癌に侵されていることを知って、その日午前中に仲間のジャレッド・ジェンサー(人権派弁護士)と共にホワイトハウスでポッティンジャーと面会し、劉暁波を救う計画を立てた」というのだ。劉暁波が迅速に中国を離れ、米国へ来れるようにしよう、ということで三者は一致した。但し、中国共産党がそう簡単に同意するはずもないので、「米国大統領と各国リーダーたちの圧力が鍵になる」。

ちょうど「その直後の7月7日と8日にハンブルグでG20首脳会談があるので、機会はそこしかない」と楊建利は思った。「ところがトランプも各国のリーダーたちも劉暁波を救うための行動を拒絶した」、「劉暁波は自由人として死ぬチャンスがあったのに」と彼は無念の思いを綴っている。

要するに、獄中で末期癌に冒された劉暁波なので、これでは劉暁波は罪人のまま死ぬことになる、せめて最後は米国で自由の身として人生を全うさせたい、それが楊建利の言う「劉暁波を救う」ことだった。トランプの補佐官を務めるポッティンジャーは劉暁波を救うこの計画に同意したのだが、肝心のトランプはこの計画を拒絶した。楊建利の無念はいかばかりだったか。

先程私は6月25日にマール・ア・ラーゴで楊建利とトランプが笑顔でポーズをとっている写真を紹介したが、楊建利が劉暁波の癌を知ってホワイトハウスを訪れたのはこの翌日のことである。

それまではトランプとの密接な関係を示す写真を繰り返し投稿していた楊建利が、この日を境にトランプとの個人的関係を示す投稿がぱったりと途絶えた。劉暁波の件に関して、トランプに対する楊建利の失望や怒りは相当なものだっただろう。私のnoteの画面でトランプとのツーショット写真を見た楊建利は、あんなにも顔をこわばらせ、不快感を示した。このことからもトランプに対する彼の怒りと失望は推しはかれる。

楊建利の劉暁波に対する思いは格別だ。あらためて紹介するが、私は明治大学での楊建利との面会の終盤に、私たちの共通の友人である劉燕子が日本語に翻訳した劉暁波の詩集を取り出し、楊建利に見せた。すると楊建利は非常に嬉しそうな表情で劉暁波の詩集の日本語版を手に取り、ページをめくってなかを見た。そこでの優しさに満ちた楊建利の表情はいまも私のなかに刻まれている。

そもそも楊建利だって最後に一目劉暁波と会って、彼と話がしたかったはずだ。ところが、自由の身になった劉暁波と会えるチャンスをトランプが拒絶した。

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