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3連単は矛盾の歴史!!

自身のブログ開設当初に載せた記事の転載であるが、
競馬を考える上で極めて意味があると思うので、
再び目の触れる場へ。

*****以下、ここから*****

競馬は現在8枠制だ!何で8なの?競輪、競艇等は6枠制なのに、、と素朴な疑問を持つ方はおられないだろうか?

私は「8枠とは?」と尋ねられたら「競馬独自の文化」と答えようと思う。 

戦後復活した日本の競馬は、競輪、競艇等と同じく6枠制であった。

しかも6枠連単制である。
昭和38年に現在の8枠制に移行された訳であるが、その移行の理由が、 「射幸心の過熱を防ぐ」というもので、現在の超過激な三連単の登場とは180度背を向けた理由によって誕生したのだ。

確かに8枠制とはいえ連勝複式である為に、6枠連単制に比べ、高配当は抑えられる。

私の持論ではあるが、当時にして現在に近い新しいビジョンを持った若手の人材がJRAに存在したのではないかと考えている。


彼のビジョンの内容を推測すると、

① 8枠制移行によって、同じ6枠制の競輪と一線を画し、競馬独自の文化を構築したかった。

② 頭の固い上層部に8枠移行を認めさせるには理由が必要だった。「8枠連複制の方が射幸心を煽らないでより健全なのでは、、」は非常に成立の決め手として効果的だった。本音は先の将来にありながら一歩下がった訳である。

③ 8枠制は、6枠制に比べ、より多様なニーズに対応出来る可能性が広がると考えた。

等が考えられる。

彼のビジョンは現実化して行く。

時代の流れに乗って、忍耐の時代を乗り越えて「好奇心100パーセントの競馬です」で幕を開けた平成元年!

私はこの年を、JRAが新しい競馬形態の道を本格的に切り開くという決意を表示した年と位置付けている。

戦争で傷み、歴史の敗者となった昭和の時代ではハデな事はしたくなかったのだ。

2年後、「馬番連勝馬券」の発売で前進である。

何故2年後なのか?

それは昭和天皇への喪に服した期間と考えられる。

8枠制の移行から40年余の歳月を費やして、馬単、三連複、、、

そして、ナント!超ミラクル!!「射幸心」の象徴であるかのような三連単が、現代に何の違和感も無く自然に受け入れられたではないか。

誰に咎(とが)められることも無く、誰に気付かれることも無く、彼は180度の方向転換を成し遂げたのだ。

三連単の破壊力はまさに矛盾の歴史であるにも拘わらずだ。

*****ここまで*****(競馬雑記、了)
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