言葉の力 目には見えないが確かに存在する。

私は死や殺という言葉を見ただけでなんだかドキッとする。見たくないと思う。日常の会話でもできるだけ使わないようにするし、もしその言葉を使わないといけない場面に直面した場合は、なんとかして別の言葉で言い換えようとまでする。実は今書いてしまったことも少し不安に感じている。
この感覚を分かってくれる人は少ないかもしれない。うまく言葉にはできないが、凄く嫌な感じがするのだ。その言葉に力が宿っているようなイメージで、もしその言葉を言ったり書いたりしたら、その言葉の力が発動してしまうような気がするのだ。

こんなことを本で読んだことがある。
炊いた米を二つのビンに分けて入れる。
一方には毎日「ありがとう」や「頑張ったね」など
綺麗な言葉をかける。
もう一方には「バカ」 「嫌い」など汚い言葉をかける。
これを数日間続けると、綺麗な言葉をかけた米は白っぽく発酵した様に見えたが、汚い言葉をかけた方は黒く腐った、という内容だった。

言葉には、目には見えないけど偉大な力があるに違いない。
きっとこの世界には私たちの科学では到底解明できない、壮大な法則がいくつかある。言葉を使うことはその法則の一つを使うことなんだと思う。

言葉は人が造ったものだ。
単語に対する意味を決めたのも人だ。
植物や動物には一見意味のないもののように思う。
人間どうしでさえ、違う国の言葉は理解できなければ意味を持たないのと同じである。
それでも言葉には力がある。
植物や動物にも影響を及ぼす力が。
もしかしたら、長い年月をかけて多くの人に使われることで、言葉に力が宿ったのかもしれない。

言葉を使うとそれが現実化するかと言われれば多分違う。しかし私たちはわからない力が確かに存在し、働いている。
ある言葉のもつ意味が特別であればあるほど
そして、良い意味でない場合は特に
私は避けて通りたくなってしまう。
その言葉が持つ力が発動されないよう必死に阻止するのだ。

誰にもわからない。そこには私と言葉の密かな葛藤がある。