10歳の私に起きたこと

昨日、国際政治学者の三浦瑠麗氏の著作、「孤独の意味も、女であることの味わいも」を読了してから、ザワザワする。


三浦さんの体験には及ばないが、私も性被害者だからだ。三浦さんはもう幸福だし、思い出したりすることもない、と記されていたが、私はちょっと違う。別に毎日おもい出すわけじゃないけど、時折それは忘れた頃に、突然後ろからガツンと殴られるように、思い出し、なぜあの人はあんなことを無力な10歳になるかならないかの私にしたのか、考える。


考えても答えは出ないし、二度と会いたくないその人の気持ちなんて想像する必要もないのに。


私も三浦さん同様に、母にはずっと黙っていたし、最初に打ち明けたのは小中の幼なじみが、やはり同じような目にあった話を打ち明けだしたから。そして二人して、なんだろうね、仕方ないよね、とつぶやいて二度とその話題には触れなかった。


母に話したのは大きな喧嘩したとき。あなたのせいだ、と私は母を責めた。実際、母が出張するとき預けられたその家で起きた出来事で私は加害者より、母をせめていたと思う。育児放棄に近かった母をいまでも許してないし、ずっとしこりを抱えてて、爆発したのだ。


母は黙って聞いていた。そして静かに泣いて、ごめんなさい、ごめんなさい、本当にごめんなさいと何度も謝った。謝る姿をみて「欲しかったのはこれではないのに」そう思って、なんだかすごく気が抜けたのだ。


続けて母は、言ってくれたら相手を警察に突き出したし、絶対許さなかった、と言い出したが、そんなこと、80年代の日本で果たして出来たか。私は出来なかったと思う。いまですら、性被害者は声をあげるのが難しいのに、あの時代にまだ10歳にもみたない私が、母と高校生の男子にこういうことをされた、と言っても、気のせいじゃないのか、と言われるのがオチだったように思う、あくまで推測だけれど。


と言うところで、そろそろねむいので、続きはまた今度。

三浦瑠麗さんの著者はこちらから

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