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231008 kyoto day02

朝から清水寺

唯識とはなんぞや

五時半ぐらいに起床。
朝飯を急いで食べて、バスに乗って清水寺へ。

朝7時半の清水寺はまだ人がまばら

「唯識についてやさしく教えます」という会があると聞いて行ったんです。

唯識っていうのは、ぼくの今のところの理解で言うと、この世は全部ただの認識ですよね、っていう思想です。例えば、いま目の前に割りばしがあるんですが(夕飯食べながら書いてます)、これが「割りばし」なのはそうぼくが認識してるだけで、実際は「木」ですし、なんなら「炭素」とかの塊ですよね。
それは人間でも同じで、われわれは自分のことを「人」だと思っていますが、細かく見ていけばただの原子やら分子やらの集まりなわけです。
で、それは「自然」も同じ。なんなら「宇宙」とも同じ。
つまり、私イコール自然だったり宇宙だったりするわけで、それが「悟り」に関係して・・・みたいな話だと思うのですが、なんせ難しいのでぜひ話を聞いてみたかったのです。

会場。清水寺のはしっこにある

毎月第二日曜にやっている定例の会だそうで、常連らしき年配の方々が20人ほど。そこに混じって座る。最初はみんなで般若心経を唱える(はじめてやりました)。その後お坊さんがひとり残ってお話をしてくださる。

山岳信仰とトレイルランニング

「いやぁ寒くなりましたね」「これ(着物をつまみながら)あったかそうに見えて夏の着物なんですわ笑」「いうても、冬の着物も大して変わらんのですけどね笑」などとたたみかける話術!

落語で言うマクラが終わったかと思うと、「最近【柴灯護摩(さいとうごま)】というのをやっていたんですが・・」と本題へ。

柴灯護摩は修験道で行われる儀式だそうで、その源である山岳信仰について話してくれました。

  • 森羅万象に仏が宿る、ゆえに山は神聖な場所

  • 山そのものが曼荼羅

  • 修行により不動明王との一体化をめざす

ここで出てくる「山に対する敬虔な気持ち」っていうのは、トレイルランニングをするようになってから少なからず持つようになったんですよね。

有名な山の登山口はたいてい寺の入り口になってたりして、昔の自分はそんなの気にせず登ってましたが、長い距離のトレランレースに出場するようになったとき、いくら準備しても本番はなんだか不安で、そのメンタルを安定させるためになんでもいいから縋りたい、という不純な動機で山にある寺や神社では必ずお参りして「どうか完走させてください!」なんて願ったりして。それで完走出来たら「ありがとうございました!」みたいな笑。なんとも身勝手ですが。

それに加えて、たとえば眠気を抑えて真っ暗な山の中を何時間も走ったり、見通しの悪いところを抜けたら急に素晴らしい雲海があったり。そういう非日常感を通して自然の険しさと素晴らしさを感じ、謙虚な気持ちを持つようになっていったんですね。

その行為と結果の道筋が修験道のひとたちみたいだなと思ったりするんですよね。トレランのつらい部分は「修行」とか言ったりしますし、実際修験道で行われるレースもありますし。意識せずともトレイルランナーは仏教の修行をしているようなものだよなーと思ったり。

ちなみに不動明王は「いらん事を言わないように」口は閉じているそうです。

この方のお話が30分ほど。あれ、唯識の話してないよな・・・。まだこれから話があるのかな・・・なんて思ってたら真打登場。

先ほどのお坊さんよりさらにこなれたトーク術。
しかもどっかで見たことあるような・・・(あとで調べたら、年末に「今年の一字」を書いている方でした!)

季節の話→寺の最近の話→静岡であった会合に台風が直撃しそうになった話→そんな感じでいろんなところに行ってるという話→東北に行ったときの話→「話をちゃんと聞く」という話→「ことば」には力があるという話・・・

いちいち話が上手で、笑いも交えつつ流れるようにさまざまな話題について話してくださって、とても面白かったです。

・・あれ、やっぱり「唯識」の話してないな?笑

それともほんとは唯識についての話をしてるんだけど、それはあなたが気づいてください的な深遠な謎かけが含まれているのだろうか・・・。

結局1時間ほどしゃべり倒して終了。
折角なので清水寺をめぐる。

中3の修学旅行以来 紅葉がちょっとだけ始まってました
寺の内部には奉納された絵が沢山かかっているんだけど、これなんだろう・・・・?

清水寺から祇園のあたりを通って(すごい人)京都音博会場の梅小路公園をめざす。歩きます。

さいか亭の「うまい!ラーメン」だっけな?
京都ラーメンってこういうのなんですね。おいしかった。

初の音博は雨

今回の京都滞在、イベントごとを調べてたらたまたま音博の開催日があったので、一日目だけ行くことに。

「音博シート」っていう、半畳ほどのレジャーシートがもらえるんですよね。それが並ぶ光景を見てると、禅宗で言うところの「寝るとき1畳、起きたら半畳あれば十分」みたいで、変なところで京都らしいなと思ったりしました。

羊文学

「FOOL」がすごい好きで。20年ぐらい前にぼくが好きだった感じのバンドが今いるんだなーって思ったのを覚えています。なんも気にせず好きな事やりゃあいいんですよね。
ライブで見る羊文学はリズム隊が強力でした。ドラムのあのリンゴスター感好きだなぁ。それに乗るモエカさんの歌、ギター、振る舞いはなんだかめちゃめちゃ美しく神々しかった。

ハナレグミ

弾き語りしか見たことなかったんですが、なんとバンド編成だった。ゆっくりめのファンク、スカ、レゲエ的意匠を纏ってグルーブしまくるバンドを従えて、余裕しゃくしゃくのステージング。これまた日本では稀有な存在。でもハンドマイクでパフォーマンスしてる時、ああ、この感じって星野源さんが全部かっさらっていったのかも・・、と思いました。

中村佳穂

昨年のフジロックがほんとうに素晴らしく、今回もめちゃ期待していました。編成が若干変わっていたけど(ツインドラムでギターレスに)、結局どんなサウンドでもあの人の存在感は変わらずそこにありました。音楽って空気の振動ですが、佳穂さんはその震えそのもの、って感じがします。存在すべてが「うた」っていうか・・・。それでも「うたの力が必要だから」という理由でコーラスの方に「get back」を歌ってもらうセクションがフジでも今回もあったのですが、泣ける。

get back 呼吸のしかたすら確認してしまう夜は
get back 君の声で元に戻りたい

中村佳穂「get back」
佳穂さんは撮影OKでした

マカロニエンピツ

ヴォーカルのはっとりさんが山梨のひとなので、ひそかに応援しています。彼らは専門学校あがりで技術的にも完成されてるし、楽曲もオリジナリティがあるし、奥田民生、ユニコーン、ミスチル、スピッツそしてくるりといった所謂J-ROCKの王道の系譜に連なる存在として頭角を現していると思うのですが、なんというかパフォーマンス含めてうますぎるのかな・・。もう少し不確定要素がねじ込まれていたらいいのになと思います。

槇原敬之

マッキー!!!
スター降臨。
「もう恋なんてしない」で始める余裕のヒット曲オンパレード。
あとバンドが鉄壁。寸分のずれも揺らぎもない極上のアンサンブル。
最後は「どんなときも」をやるんだろうなーと100%思ってたんですがやらなかった!!!「どんなときも」はどんなときもやる曲ではなかった笑

くるり

大好きなバンドですが、ライブを見るのはものすごく久しぶりでした。
くるりは結局二人組になり、それがかえって編成に自由度を産み、想像力の翼を存分に広げるべく多方面にアプローチしながら、誰にも真似のできない境地に達していると思わせる半面、幅の広さが仇となって「いったいくるりは何がやりたいんだろう」と思わせてしまうこともあったと思うんですよね。
それが岸田さんの交響曲作成によって、シンフォニックなものとバンドサウンドで住みわけが済んだのかな?と思わせるような昨今の動きがもっくん(初代ドラマー)参加の初心に帰ったようなアルバムのリリース(素晴らしかったです)につながり、今回のライブもそういう「バンドならではのダイナミズム」にフォーカスしたような内容でした。「Morning Paper」カッコよかったなぁ。

で、最後は3人で「東京」やるんかな、と思ってたらやらなかった。

結構みんな落ち着いてて(見てるこっちの方が「うわーもっくんがくるりで叩いてるぅぅ!」ってなってる)、そのクールさは理解できるものではあったけど、そういう感じじゃない、「通りすがりのやつら全員目で殺す」みたいなギラギラした岸田さんがいた時代のくるりは、その不安定に肥大した自我を抱えて攻撃的にふるまいながら逆説的に理解と共感を求め続け、その不安定さがどうしようもなくセンチメンタルでもあり、同じ時代に、同じようなどうしようもない感情を抱えていた自分は、そんな時代のくるりをとても懐かしく思いつつ、続いてくれてありがたかったなと、「解散しない世界」であってよかったなと、つくづく思いました。

Tower of music loverだなと


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