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ニューヨーク・ジャズの始まりはデューク・エリントンの活躍から

ブルース最初のヒット・レコード


1920年:Okeh Recordsからリリースされた、マミー・スミス(Mamie Smith)の『Crazy Blues』がヒットします。

それまでの黒人アーティストのレコードは、主に黒人向けの市場で販売されていたため、白人の聴衆にはあまり知られていませんでした。
しかし、『Crazy Blues』は、白人の聴衆にも広く受け入れられ、黒人アーティストによるレコードの商業的な可能性を示した初めての作品となりました。

「レイス・レコード(Race Record)」といった音楽を人種で区別するマーケティング戦略を最初に考案し、実施したのは、ロシア帝国(現在のウクライナ)のキーウ生まれのエーベル・ジョルソが設立したレコード会社

「オーケー・レコード(Okeh Records)」

1927年にブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)の『Matchbox Blues』で、これが大ヒットして、レイス・レコードは黒人音楽市場での地位を確立しました。

デューク・エリントン(Duke Ellington)


伝説的なジャズ・ミュージシャンとして語り継がれるデューク・エリントン。

1927年:ニューヨーク・ハーレムの高級ナイトクラブ「コットン・クラブ」と契約します。(オーナーは、アイルランド系ギャングのオウニー・マドゥン)

「コットン・クラブ」のお客は全員裕福な白人。演奏・演じるのは黒人。
デューク・エリントンは、ここで数多くの作曲をしてレパートリーを増やしながら、 「コットン・クラブ」での演奏がラジオ放送されたおかげで全米にその名が知れ渡っていきました。

当時の「コットン・クラブ」の出し物は

✅ 黒人への偏見を反映したジャングルの土人や南部農園の黒人描いた寸劇
✅ 露出度の高い衣装で出演する黒人コーラス・ガール

デュークがツアーに出て不在の時は、キャブ・キャロウェイ楽団が代役として出演していました。

1929年の世界恐慌(The Great Depression)


アメリカ合衆国の株式市場の暴落をきっかけに世界中に広がった、長期間にわたる世界的な経済不況期。
1929年10月24日に株式市場が大暴落は「狂騒の20年代」を震撼させ終わらせたのです。


この恐慌の原因は、複数の要因が重なり合った結果とされていますが、以下に挙げる要因が挙げられます。

<株式市場の過剰な繁栄とバブル経済>
1920年代のアメリカでは、株式市場が急激に発展し、多くの人々が富を得たことから、「繁栄の時代」とも呼ばれました。しかし、実際には市場が過剰な繁栄を迎えており、株式価格が実態を反映していないバブル経済が生まれていました。

<銀行業界の不正確な貸し付け>
銀行業界では、株式市場のバブル経済に便乗して、不適切な貸し付けが行われていました。多くの人々が、自分の所有する株式を担保にして銀行から貸し付けを受けていたため、株式市場が暴落すると多くの人々が返済不能となり、銀行が倒産しました。

<農業の不振>
1920年代のアメリカでは、農業が不振で、農民の生活が苦しかったことが背景にあったとされています。生産者の所得が減少し、消費が低迷するという悪循環が生まれました。

アメリカを中心に世界的な不況が発生し、不況期は長期化し、多くの企業や銀行が倒産するなど、社会的・経済的な混乱を引き起こしました。

「フラッパー」文化もこの事件によって終焉を迎えました。大恐慌の影響で、多くの人々が貧困に陥り、ファッションやライフスタイルの自由が制限されるようになり、女性たちは、より保守的なスタイルや生活様式に戻る傾向がありました。

また、女性たちが社会的地位を向上させるための運動も、経済的な危機によって後退しました。

1929年の株式市場の大暴落をきっかけに、失業率が上昇し、多くの人々が貧困や苦難に直面し「狂騒の20年代」の華やかな文化は急速に終焉を迎えました。


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