見出し画像

Bob Marlyが教えてくれた”エチオピアが植民地化されなかった訳”とラスタファリ

Bob Marlyはジャマイカ。何言ってるんだ!ボケ!

と思われるかもしれませんが?Bob Marlyとエチオピアには深いつながりがあるのです。

エチオピアの歴史は非常に長く、多様で、複雑です。

紀元前10世紀
ダモテ王国が現在のエチオピア南部に成立。伝説上の女王マケダ(シバの女王)の時代
紀元前1世紀~紀元後10世紀
アクスム王国が存在。初めて大規模な国家を形成した時期。
4世紀
キリスト教が公式に認められ、キリスト教国家となった時期。
12世紀~16世紀
ザグウェ朝からソロモン朝への交代。ラリベラの岩窟教会群が建設された。
16世紀~17世紀
オスマン帝国やポルトガルとの接触が増え、アフマド・イブン・イブリヒム・アル=ガージのジハード(聖戦)が起きる。

メネリク2世のリーダーシップ


19世紀後半から20世紀初頭
ヨーロッパ各国は、アフリカ諸国の広大な資源と戦略的利点を求めて植民地化していきました。

メネリク2世

『ワクチャレ条約』

イタリアとエチオピアとの間で1889年に結ばれた条約。
実際に二つの異なるバージョンが存在していたので、その後の混乱と対立の原因となりました。条約の原本はアムハラ語(エチオピアの公用語)で書かれ、その後イタリア語に翻訳されました。2つのバージョンには重要な相違点(特に第17条)があったのです。

【アムハラ語版】
エチオピアが外国と交渉する際にイタリアの「仲介」を利用できる。
【イタリア語版】
エチオピアが外国と交渉する際には必ずイタリアを「通じて」行うべき
と、イタリアの保護国であるかのような表現になっていました。

イタリアは、隣接するエリトリアとソマリランドを植民地化した後、エチオピアへの進出を試みます。そして、エチオピアが事実上の保護国であると主張し始めました。

これに対して、メネリク2世はエチオピアの主権を守るために反論し、対立がエスカレートして「アドワの戦い」につながったのです。


『アドアの戦い』

1896年3月1日、両軍はアドワで激突します。

  • イタリア軍(エリトリア兵含む)1.5万人

  • エチオピア軍は12万人(8万人はライフル銃と軍服を装備した近代歩兵)

イタリア軍は大損害を受け、エチオピアから撤退。

1896年10月
イタリアとエチオピアはアディスアベバ条約を締結。
イタリアは正式に独立を認めて

エチオピアはアフリカで唯一の独立国となりました。
植民地化されなかったのです。

この勝利は単なる軍事的偉業ではなく、エチオピアの戦略的洞察力と革新的な戦術への証「知的抵抗と革新的な国家運営の象徴」です。



メネリク2世は、エチオピアの近代化を推進しました。
首都をアディスアベバに移すとともに、初めての鉄道や電話網、近代的な医療施設などを導入。学校を開設し、教育の普及を図るなど、エチオピアを近代的な国家へと変革しました。

しかし、彼の治世は領土拡大とともに多くの戦争を伴い、エチオピア南部のオロモ人など多くの民族に対する強制的な統治や移住政策も行われ、これが後のエチオピアの民族間紛争の一因となったとも考えられています。


エチオピアを近代化したハイレ・セラシエ1世


ハイレ・セラシエ1世
は超重要人物です。
タファリ侯(ラス・タファリ)を称号としました。

ハイレ・セラシエ1世

メネリク2世の従兄弟の子にあたります。
1930年から1974年までエチオピアの皇帝として君臨しました。

エチオピアを近代化しようとする努力と、進歩的なリーダーシップは、世界政治に多くの影響を与えました。

ハイレ・セラシエは「三位一体の力」という意味です。

教育、政府行政、インフラストラクチャーにおける重要な改革を行いました。特に、教育システムを大幅に拡張し、学校やエチオピア初の大学を設立し、教育を受けた労働力の基盤を築きました。

1936年の国際連盟に訴えた彼の雄弁な「ファシズムに対する闘い」演説は、20世紀の歴史における決定的な瞬間のひとつです。

彼は、アフリカの統一と独立の支持者であり、1963年のアフリカ統一機構の形成において重要な役割を果たしました。公衆衛生サービスの改善や社会開発の促進にも及びましたが、限られたリソースと伝統的な社会構造によって妨げられました。


彼の治世の後半は、残念なことに、飢饉中の一般市民の苦境に対する無関心と独裁的な統治と非難を受けました。

 彼の治世は1974年、内戦と飢饉の中での廃位となり、エチオピアの混乱の時代へと繋がりました。

ハイレ・セラシエはラスタファリ運動において救世主的な人物なのです。

ラスタファリ運動:ルーツ、信念、そしてグローバルな影響


『ラスタファリ運動』

20世紀初頭のジャマイカのアフリカ系ディアスポラの間で生まれました。
マーカス・ガーベイの汎アフリカ主義の影響を受けています。

「奴隷化されたアフリカ人の子孫が祖先の故郷に帰還すること」
を主張していました。

マーカス・ガーベイ

ラスタファリの信念の中心は、アフリカ(特にエチオピアへの帰還)の概念です。ハイレ・セラシエ1世がエチオピア皇帝として戴冠されたことは、ガーベイの予言の実現と見なされました。

前述の通りハイレ・セラシエ1世は、タファリ侯(ラス・タファリ)が称号

ラスタファリアンは、セラシエ1世を救世主として崇拝し、彼の権力への昇進を神の介入とアフリカの主権と救済の象徴として解釈しました。

1966年:セラシエ1世がジャマイカを訪問したとき、民衆の熱狂的な歓迎を受けて、皇帝自身が動揺するほどというエピソードが語り継がれています。

ラスタファリアンは、特徴的なドレッドロックス、宗教的儀式でのマリファナの使用、赤、金、緑の色(エチオピアの旗を象徴)で知られています。

「ラスタカラー」とは,「赤・黄・緑・黒」の4色で、それぞれ意味と配色の順番もあります。
「赤」 ・・・ 戦いで流した鮮血
「黄」 ・・・ 輝く太陽 (金でもOK!)
「緑」 ・・・ 豊かな大地
「黒」 ・・・ 故郷アフリカ
配色の順番は,必ず真中が「黄色」で、縁取りが『黒』である事。


Bob Marlyの音楽はエンターテインメントを超え、ラスタファリの哲学と美学を世界中の観衆に届け、運動のメッセージを広める最も影響力のある人物の一人です。

ラスタファリ運動は、特に音楽や視覚芸術といった様々な芸術形式に深い影響を与えています。
レゲエ音楽は、その特有のリズムと社会意識の高い歌詞を通じて、ラスタファリ文化の最も顕著な表現です。

Bob Marlyの曲には、解放、スピリチュアリティ、アフリカのアイデンティティといったラスタファリのテーマが込められており、彼を運動のアイコン兼スポークスパーソンだったのです。

ファッションにも影響を与えており、象徴的なドレッドロックス、服装スタイル、ラスタカラー

ラスタファリ運動は、ジャマイカという小さな島国から始まり、世界中に響き渡り、重要な文化的および精神的な力となっていったのです。

ラスタファリズムは精神的な運動です。
その信者はヤ(神)への一神教的な信仰を抱き、聖書とともに他のラスタファリ文書を読みます。

運動は地球との調和に生き、自然との深いつながりを強調しています。

ラスタファリの哲学は、物質主義や抑圧的な体制への批判が含まれ

平和、統一、より自然で精神的に調和のとれた生活」

への回帰を提唱しています。


この運動は社会正義のための声であり、ジャマイカおよび国際的に、反植民地主義や公民権運動で重要な役割を果たしたのです。


今日でも、ラスタファリズムは新しい世代に影響を与え続け、スピリチュアリティ、環境保護、社会正義に関する議論に貢献しています。



Before you point your fingers, make sure your hands are clean.


指をさして人を非難する前に、君のその手がよごれていないか確かめてくれ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?