私の化石

 飢えた記憶を覚えている。
 その時の私は飢えて飢えて、これ以上にないと言うぐらいに飢えて、動けなくなって、ただでさえ暗い夜に周りが何も見えなくなった。
 私は小さくて、だから夜中に出歩いて食事をとっていたけれど、異変に気付いたのはいつ頃だろう。
 暑かった。苦しかった。今から考えたら空気がとてもとても薄かったのだと思う。
 熱くて、苦しくて、食事もとれなくて、飢えて飢えて。
 そんな夜に、遂には倒れた。
 私は死んだ。

 飢え死にした記憶があるなんて言えずに育った。「その時」の私の記憶はとても曖昧で、思考も朧で、まるで私でありながら私でないという感覚だった。それが何の記憶だったのかはわからないけれど、幼少期は気にしなかったし、少し成長してからはちょっと気にして育った。ひょっとしてよからぬ扱いを受けて育ったのではないかという不安に一時期支配されたが、親に聞いても親戚に聞いても、そして物心ついてからの私の記憶を辿っても、そんなひどい扱いを受けた形跡は一度として無かった。
 だったらあの記憶は何か。
 疑問が膨らんだのは成長して、そうあれは髪を切っている時だ。美容室で何も考えず、手に取った雑誌を読んでいる時、ふいに言葉がこぼれたのだ。
 ガーデニングの特集だったのだと思う。そこには見たことがあるはずないのに見覚えがあるような植物が映っていた。まだ若い美容師さんに、どうしました、と不安げに話しかけられたのを覚えている。なんでもないと返したのだったと思う。
 そう、あの飢える記憶の中に登場していた気がする。確か、枯れていた。あの記憶の中で餓死した私は、生まれてから死ぬまでずっと、飢え続けていた。その端々に、生まれ育った枯れた植物が登場していたのだと思う。
 家に帰って調べてみると、シダ植物の仲間だった。生きた化石、と呼ばれていた珍しいものだった。
 疑問は膨らみ続けるばかりだった。平凡だった私の人生が、特別なものになるのではないかという不謹慎な期待を孕みながら、私はその植物について調べつづけた。しかし、一向に疑問は氷解しなかった。
 忘れえもしない、夜のニュースを見ていた時だった。
 珍しい動物の化石が外国で見つかった、というニュースが、その日に起きたことの一覧コーナーに表示された。
 ふと、本当に何の切っ掛けもなく、ただそれをネットで調べた。スマホの画面をスクロールしていくと、横たわった動物の骨の写真が載っていた。小さな動物で、私たち人間の先祖にちょっと近いらしい、ということが記事には書かれていた。この前の植物が地球上に現れた時と同じ、ペルム紀という時代、2億5100万年という途方もない昔にいた動物だと書いてあった。
 さらにスクロールすると、その動物の想像図が出てきた。
 それは、私だった。
 思わず口から出た声は、2億5100万年前に上げていた鳴き声と、よく似ていた。

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