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すぐにやらない者は、ずっとやらない

先週末。起業したい、と継続的に叫んでいるサラリーマンの友人とオンラインで会話の機会を持った。起業の話を最初に聞いたのはおそらく1年ほど前。その時点では「1.5年ほど準備して起業するのだ」と仰っていた。+0.5年程度はそれより長かったかもしれないが、詳しい記憶がない。最近の進捗を照会したところ、本業が忙しく、準備に際しての向かい風も強く、要するに停滞しているらしい。なるほど。

「すぐにやらない者は、ずっとやらない」という一方的な偏見を、僕は持っている。ちなみに、「1度失敗した者は、もう一度同じ失敗をする」という偏見も携えている。人生は、やらない理由で溢れている。やる理由を探すことのほうが難しい。それは生きる理由を合理的に説明できないのと類似の理屈だ。死んでしまいたい具体的理由のほうが、きっと沢山列挙される。新たな取り組み、特に不確実性が高く、リスクリターンの大きな選択肢の採用に際しては心理的ハードルが高い。彼は年収1億円に迫ろうかという超エリートサラリーマンで(職種が限定されるね)、同社内での地位は将来にわたって安泰であろうことから、現状維持側の利益があまりに大きい。同社が属するマーケットもまた、干上がることはないだろう。

それでも敢えてその立場を脱し自ら挑戦しようとする姿勢にそこそこの敬意を表し、かつ、数少ない同年齢の古くからの友人を応援する気持ちもなくはない。これまで定期的に議論を場を設け、抽象的なアドバイスを淡々と述べてきた。手仕事の背景となる技術としての、僕の専門領域は財務・法務・経理などの具体的管理仕事ではあるが、それが稼働するのはもっと後工程。いまはより広範な、起業のコンセプトづくりに主眼が置かれる。このコンセプトという言葉は建築設計的な用法であって、目指すべき方向、視座、雰囲気、空気感、と言い換えられる(かもしれない)。それに続いて議論は、人間と付随するエクイティインセンティブの設計に及ぶのだが、もう少し先かな。

彼はホワイトカラー領域における頭脳労働の最高峰と言われる業界の、同世代のエース的存在にありながら、その知性を装備しつつも前述のような「やっぱりやらない」側の道に嵌まり込んでしまう、ごく一般に散見される所作に陥った。何がそれほど難しいのだろう。滞るのだろう。何かが足りないのか、もしくは、持ち過ぎているのか。

現状維持オプションを10年・20年と生きた先の、自らの環境そしてそこから得る満足。他方、起業オプション側の、不確実性を考慮した利益。それらの冷徹な比較衡量の結果、積極的に前者を採ったのであればそれは理性的なアプローチで、適度に正しい。しかし話を聞いてみると、どうにもそれ以前の、ただ単に、きちんと考えてないだけように、僕には感じられた。

いつもの感想に至る。どうして考えないのだろう。自分の人生なのに。「どうやるか?」についてはアタマを必死に使うのに、「どう生きるか?」「どの道を進むのか?」「どうすれば自分は満足するのか?」をきちんと考えない。

既存の職場におけるストレスが突発的に強まって、ふと人生を俯瞰する視座を獲得、刹那的に「起業しかなかろう」と思い立ち、そのアイディアがアタマに固着、そうして僕に「起業を考えているのだ」と伝えたのかもしれない。ストレス下において、現環境からかけられた催眠が一時解けたのか。もしくは、ニュートラルな日々の中、ストレスをきっかけに逃避行的発想に至ったのか。いずれにせよ、構造から考えたほうがいい。

思考能力の問題ではなく、怠惰なのではないか。僕はすぐそう結論づけてしまう。きちんと考えていないように観察された。現状を将来にまで引き伸ばし、将来時点の自分の感情を、いまの心に展開する。それをストレスに感じることができれば、しめたものだ。感情をモチベーションへ変換、燃料として、いま、がんばる。将来の感情をいまの心に展開するのには、高度な思考が要求される。見えないものを見るチカラ、すなわち想像力。想像力とはアタマの良さと同義であって、それが人間の知性そのものだ。

「毎日、時間を決めて、自分について考える機会を設けたら?最初はテキストで書きつらねたほうがいいよ」という大雑把な具体的提案を投げておいた。果たして、どうなるのだろうね。
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何か伝えたいことがあるわけではない。主張なくぼんやりと書いた。山に引き籠もり、仕事もしないで毎日遊んでばかりの人間が、なんだか偉そうなことを述べているね。いつものように。ここまで読んだ人の心に浮かんだ指摘を書いて、今日は終わり。

夜は氷点下に至る。床暖房だけではそろそろ寒い。炎の季節だね。

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