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事務所を解約した

6月8日、事務所の賃借が終了した。これで東京に拠点は無くなった。

自分にとって、最も心地の良い、理想の事務所空間を作る。それを目指したプロジェクトだった。場所は、恵比寿駅から徒歩1分。家からは徒歩3分。コンクリート打ちっぱなしと間接照明。天井が高い。南西方向に開かれた窓の外には駅のアプローチを歩く人の姿が見える。その奥にはホーム、そして景色は中目黒へと抜ける。

大きなデスクに34型ワイドモニタ、椅子はハーマンミラーのセイルチェア。ダイニングセットはウォールナット天板と黒スチール脚。休憩スペースにソファ。このソファはソファベッドであって、宿泊することもできる。シャワーと洗濯機も据え付けられている。

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僕は朝10時過ぎに出社する。前夜秘書様が用意してくれた一杯分のコーヒーをレンジで温め、すぐに飲み干す。500mlの炭酸水の蓋を開ける。僕の分は常温だ。一番奥窓側の自席に座って、とりあえずぼんやりとPCを触る。11時00分±30秒に出勤した秘書様の最初の仕事は、ハンドドリップを完璧に淹れること。サーバーから僕のマグカップに注いだ一杯をデスクまで持ってくる。これが2杯目。

正午までに2名のスタッフが出社する。会計士アシスタントの席は僕の左隣。経理管理アシスタントの席はその向かい側。いずれも女性である。デスクは幅1,200mm奥行800mmのものを4つ向かい合わせに置いている。モニタが壁となって対面からの視線を遮る。

13時、事務所飯。秘書様が調理した食事を4人揃って食べる。丁寧に手当てされた美しい料理をいただいて、今日のしごとに備える。良い仕事は、良い食事から。

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滅多に無いけれど、来客は14時から。来客者にはもちろん、自慢のコーヒーを飲んでもらう。わかる人にはわかってもらえる。

外出もこの時間に。多くても週に2度。それ以上では疲れてしまう。事務所横の駐車場からクルマに乗って現場に向かう。

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案件によって必要な専門技術が異なるので、どちらの従業員を連れて行くのかは場合による。僕のカレンダに外出の予定あれば、秘書様が外出用ボックスを準備している。個包装のお菓子と水筒に入れたコーヒー。いかに自分にとって快適な状況を作り出し、仕事への集中を深めるか、これがポイントである。

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15時、大物のスイーツ。ケーキやあんみつ、フルーツプリンなどを自席で食べる。ここで一旦、すべてのストレスがゼロに戻り再スタート。西側の壁は全面が窓になっていて、灰色のドレープカーテンとライトブルーのレースカーテンでそれを遮る。ブルーにぼんやりと輝く光が、コンクリートの灰色と濃い茶色のフロアとのコントラストを作り、穏やかな雰囲気が室内を包む。

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キッチン横の一画には常に沢山のスイーツが用意されている。席を立つつど、僕はいくつかを口に含む。特に電話会議中、僕のイライラが秘書様に伝わると、彼女はそれらをそっとデスクまで持ってくる。

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17時、夜のハーブティと翌朝のコーヒーを淹れて、秘書様が帰る。続いて会計士の従業員。彼女は夜は自宅から働くことが多かった。残ったもうひとりの従業員と、晩ごはんを食べる。せっかく恵比寿の事務所だというのに、僕が蕎麦ばかりを提案するので、「ご飯いこっか」には「蕎麦以外で」と返される。結局は外出が面倒になり、UberEatsで韓国料理ソナムを頼むのが定番だった。

21時、3人目の従業員が帰る。ここからが僕のプライムタイムだ。意識を落としてデスクに向かい、黙々と作業。時折、チェアの肘掛けに腕を立て額を支え目を瞑り考え事。酔客の声が聞こえていた駅への通路は人影がなくなり、終電以後にはただ貨物車輌の通過音だけが遠く聞こえる。静かだ。

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僕は17時以降、カフェインを摂らない。秘書様が用意してくれたハーブティは750ml。それを何度か温め直し、ちびちびと飲む。27時。そろそろ切り上げようか、という気持ちになる。家に帰るか、もしくはそのまま事務所で寝てしまうかは気分次第。仕事に集中しているときは、デスクから離れシャワーを浴びて歯を磨いた10分後には熟睡できるこの環境を存分に活用した。同様に、起床後10分後にはデスクでコーヒー片手に仕事を始めることができる。

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会計事務所と一言にいっても、色々な形がある。それぞれの人間に固有の好みがある。僕にとっては、この事務所が理想形であった。これ以上はない。何度繰り返しても、時代・年齢・嗜好の前提が不変であれば、同じ結論に至る。

仕事の成果に影響を及ぼすのは、人間と道具だ。一般に道具とは、電卓やPCなどのハードデバイス、もしくはERPなどのソフトウェアを示すことが多い。しかし、僕にとって最も重要な道具は、「仕事場」であった。仕事場が僕を支え、守り、背中を押す。僕は公認会計士としてのキャリアを思い通り終えることができた。事務所は、その主な要因のひとつだった。

居住地を東京から離れた場所に移した去年の夏から、何度も事務所の解約を考えた。実務を担当していた2名の従業員は既に退職している。僕は通わなくなった。会計士仕事は停止した。どのような理屈で考えても、潮時である。しかし、決断までに1年を要した。理想を、手放したくなかった。

別の記事に書いたとおり、僕は公認会計士登録を抹消した。一番良いときに辞める。物事には必ず終わりがある。複数の人生を同時に生きることはできない。手放さなければ、得られない。

事務所の閉鎖を以って、僕の人生における「公認会計士」というチャプタが完全に幕を閉じた。最高の状態のまま、終えることができた。良い印象と共に、お別れだ。ありがとう、よく頑張ったね。

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