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僕はハンコを持たない

13時、仲間の不動産業者O氏が来訪。ダイニングテーブルに向かい合って座る。北の大開口には秋の庭園が映し出され、ギャップ3mとやや高い目線から森を見渡す。いつのまにか午前中の霧は晴れて、再び日光が差し込む。水滴を乗せた芝庭が光を反射しキラキラ光る。気温は14℃。そこを飛ぶ虫はもういない。冷涼の濃緑、群青の空。

O氏による僕の家への来訪は、押印プロセスを意味する。月2件のペースで土地の購入を続けている。今回の物件は、『三方角地北西傾斜地』。既に所有する森の北西側、数mだけ接する素敵な森。所有者からの提示は安かったが、水道本管までの距離が遠く、家を実際に建てようとすると高コストになって、結局、割高の土地となる。もちろん、だから安い。ただし、クルマ1台がやっと通行できるほどの前面道路を挟み反対側の平坦森地では今後、立派な邸宅が何件か建つことが計画されているという。土地謄本を取って所有者にDMを送りコミュニケーションを重ねそれが判明した(ゆえに売ってくれなかった)。開発が進むほど水道管が伸張する。僕は土地の転売を急ぐ業者ではない。この森は長期保有を前提に、しばらく待ってみることにする。

押印プロセスを経ながら、O氏から、仕事に関する一般的な質問を投げかけられた。要するにカネ稼ぎの効果的方法。まだ14時、僕は眠気のピークであって、深いコーヒーを傍らにしているとはいえ、アタマは全く動かない。いつものようにぼんやりと答えた。

O氏は今年開業したばかり。それでも順調に取引をこなして、初年度年商は2年後の消費税を支払わらなければならないほど、だという。素晴らしいね。今後、さらに稼ぎを積み上げるにはどうすればよいか、悩んでいる。なるほど。いくつか分岐がある。順を追って考えを述べる。

まず、本業で稼ぐ。稼ぎはスポットではなく継続、リカーリング的収益の積み重ねが望ましい。継続収入で得た資金は、本業へ再投資する。そうして継続収入を限界まで伸ばす。あるところを境に、ROIの非効率が目立ったところで、いわゆる金融投資、つまりカネでカネを増やす投資に振り分ける。繰り返し、まず本業。続いて金融投資。この順序だ。

金融投資についてここでは深く記述しないが、本業を通じ自分がよく知る領域が好ましい。たとえばこの山間部の不動産業者であるO氏であれば当然、この地の不動産が集中するべき対象である。

本業への投資について。機械・プログラム・仕組みなど、広義の”モノ”が稼ぐ仕事と、人間が働き稼ぐ仕事、それぞれ異なる。過去の僕のような公認会計士・税理士、O氏のような不動産仲介業者は後者に該当する。これは完全にどちらか一方に分類されるわけではなくて、傾向の問題だが。

後者、人間が稼ぐ仕事の場合、稼ぎのボトルネックは、人間に至る。時間が足りない。分身が欲しい。したがって、採用・人件費が主たる投資先になる。ここで、分岐。自分と同じ仕事を担う、いわゆる"小さな自分"を雇い、自分の仕事をまるっとそのままいくつか任せる、そんな採用がオプションのひとつ。案件の切り分け、のような感覚。もうひとつの方法は、仕事を業務ごとに切り分けて、ある特定業務を担う人間を雇う、というもの。僕はその方法を採っていた。

僕の会計士事務所は、僕が製品である。僕の脳がカネを生み出す。しかし、全てを担っていては仕事が回らない。ゆえに「nagabot氏でなくてもできること」「nagabot氏より上手にできること」を、指示なく、教育なく、100%の信頼を以て任せられる人を採用した。そうして「自分じゃなきゃできないこと」に集中する。

業務特化型人間への人件費が、最も効果的な投資対象だ。”小さな自分”アプローチでは、当該人物への能力依存が過ぎる。自分じゃなきゃできないことで全ての工数を埋めて、その上でさらに余剰収益を獲得したければ、はじめてそこで”小さな自分”を模索すればよい。きっと不満は溜まるし指導してもいつかは辞めてしまう。カネ稼ぎの観点からは期待値が低いと僕は思うけれど。

まとめる。まず、「自分じゃなきゃできないこと」だけに時間を費やす状態を作り、本業で成功する。本業への投資先がなくなったら、金融投資に挑む。投資先は、本業に関連する分野が望ましい。
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断続的に不動産の契約がおこなわれている。そのたび、大量の押印業務が生じる。最初の契約時、僕はO氏へ「ハンコお渡しするので押してください」と依頼した。「苦手なんです」とも。お仕事であまりハンコは使われないのですか?と尋ねられた。ふむ。

長年、それは秘書様の仕事だった。僕はハンコを持たない。郵便局にいかない。名前を書かない。コーヒーを淹れない。掃除をしない。水の発注をしない。

顧客のためにアタマを使う。カネを稼ぎ、チームへ分配する。それが仕事だった。

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