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2023年の総括 by ソネダ

もはや自身の記憶力というものの自信がなくなってしまい、やったこともやってないことも「あんたがそう言った(やってた)」と言われると、あぁそうかもしれないなと思えるぐらいに自分の記憶のおぼろげさを強く感じるようになった今年。記録化ってますます大事やんなぁと自分に言い聞かせる。でもまぁ手書きでモノを残してもそれすらも忘れるので、可検索であるデジタルアーカイブがやっぱりいいやんねぇと思っとります。

さて、年末で今年もいろいろあっっちょったなぁ。と思いつつ振り返ると、自分には珍しく決意表明みたいなものをしない新年を迎えちょりました。家族でグランドゴルフをやりましたというほのぼので始まった。この一年、いろんな人から諦観についての訓示を得た。捨てる断るっちゆーよりは、自分自身の本能が求めるものに焦点を当てリソースを割く事。このことの大事さを理解するための1年やったように思います。

1月弊社に「白江夏生」というイイ男が参画しました。僕より14個も年下、やけど、僕より人から愛されるし、人に対して気を配れ、それでいてナルシストな側面が気持ちよく見える男子。彼の前で頑張ろうとすればするほど自身の本来の姿から逆行し、変な焦りを感じたけれどそれも踏まえて、自身があるべきだと思っていた(勘違いしていた)を凌駕する、自分自身の発露がなければコイツに勝てる部分がねぇやんけと気づかせてくれた。ありがとなー。

2月山伏の星野先達にお会いし、直感力というものに自分の気持ちを開きたいと思った。山伏の語る「考えるな、感じろ」という言葉。感じたことを言葉として理解していくことが、ほんとうの意味での理解。言葉としての概念は、感覚を経て言語化の前に直感として感じ入ったものをいくつも経験した時にそれらを言語領域で区分するものとして概念を理解できる。そういうものを肌感覚でわかっている人。そして先達に言って頂いたのが「お前は考え過ぎなんだよ、もっと感覚を大事にしたほうがいいな」という言葉。この言葉が染みわたるんやけども、その背景にあるのが昨年の哲学者の内山節さん(星野先達のお友達)の世界の見方に感じ入ったそやし、この流れを創り出してくれた岩佐礼子さんの設計とコーディネート力にもはやヤラレたーと強く感じた。

3月ここ数年の憧れの存在であった安宅和人さんと会える。会話らしい会話なんてできんかったし、なんなら講演前に「今話しかけていいですか?」「ごめん、今無理」で、しゅんとなって着座するという一場面すら、一分一秒を本気で命を費やして天命に生きている人の生き様を感じることができたことが嬉しかった。このご縁もこゆ財団のスーパースター齋藤潤一さんのおかげやし、齋藤潤一さんとの出会いは豊後高田の昭和の学校を経ての数年前の研修のおかげやったりする。そういう人生における点が少しずつつながって来とる感があり、そして点の回収にはけっこう時間がかかるのが自分なんやなぁと少しずつ理解できて来た。

4月:熊谷玄さんとの十数年を経ての面談を行う。熊谷玄さんとの出会いは、僕がまだ関東に居た頃でまちづくりに興味を持ち始めた時期、佐伯の中心市街地活性化をやっていた浅利君の紹介で(熊谷玄さんは当時の佐伯の開発事業のアシスタントとして佐伯にいた)熊谷さんのスタジオ開きにお邪魔させて頂いていた。その熊谷さんは安宅和人さんの風の谷構想のブレインチームの中での土木班として「ほぐす土木」を掲げての調査研究開発を牽引している。東日本大震災の復興事業への反対意見の先として自然と共生する土木事業の在り方として、江戸時代の治水の方法論が見直されとんです。ちょっとこの話題は停止中やけど、いづれ必ず回収します。

5月umemラボ(佐伯にできた化粧品製造工場)の野間さんと出会う。自分が動かしてる(ていた:休止中)のさいきラインニュースではイベントネタを探していて、従姉妹のお姉ちゃんが教えてくれた。当初化粧品とは別のプロジェクトをお手伝いするかもみたいな話をしつつ、ちょっと間が空いて、その回収が年末になされてホッとしとる。野間社長は自身が育った街並みを活かしつつの、地元でなんかやりたいという想いをきちんとカタチにしている素晴らしい人。

6月㈱コイシの小原社長というほぐす土木とものすごく親和性の高いバイタリティの塊みたいな方の声掛けで、鳥井信平さんという日本の台湾統治下に地下ダム開発による農業の活性を行ったスーパー土木技師の来歴を感ることができた。小原社長は本年佐伯の自伐型林業にも大変なリソースをかけて無償の活動をして頂いて心から感謝をするとともに、この恩返しを必ずせねばと僕の心の根っこに日を灯してくれちょる。

7月シン・ニホンの世界観では「才能と情熱を解き放つ社会」を目指しましょうという点がめちゃめちゃ好きなところで。自分の人生では無理でも、そのきっかけにでも貢献したいとおもっちょります。そんな最中で、才能と情熱に人生を捧げてきた人はめちゃめちゃカッコよくて、そういう人に出会いたいし、そういう人に次世代を出会わせることが僕の一つのやりたいことである。そんな中でのスポーツ選手や研究開発者や芸術家は、分かり易く体現されている方だと思う。そして出会ったのが齋藤勉作先生という陶芸家、木の葉流れという技法を編み出したその根底にあったものは何か、そうした人が夢見てきたものとは何か。ちなみに、齋藤先生の作品は教育委員会の「まな美」に展示してある(ちょっと苦言を呈すると、もうちょっとディスプレイの方法をどうにかしてほしい)。なんというか、作品を視て感じ入って欲しい。

8月佐伯喜の会の活動の一環で江戸神輿富岡八幡宮の「深川八幡祭り」に参加してきた。東京は地方の人で成り立っていると聞いてきていたけれど、江戸から続く土着の人たちがおって、その人たちが人生を賭して向き合う神輿というもの。道中での、落語寄席、長唄、歌舞伎、などなどに関しての今のあの人はこれが上手い、最近コレを始めたなんちゅう、明らかに自分のアンテナの外の文化を愉しむ粋な感じにとっても染み入る、あぁそうかこういう世界もあるんやなぁって。一方で、何世代にもわたって土着の人でないと役員に上がれない階級めいた世界というものを肌で感じれたのもでかい。そんな最中、延岡の谷平興二会長が僕らと酒を飲み交わした数日後に心筋梗塞でお亡くなりになった。人生をまちの活性化にささげた人、家族からも地域からも愛され(もちろん批判する人もおったらしいけど)偉大な方。僕らは死というものを眼前に孕みながら生きとるし、その一方で谷平さんが残したメッセージをある種の呪いとして逃れたくない想いとして「みんな“祭り”をせんといかんよ」という言葉は記憶に残るし、決して越えられない壁として、僕らが頂いたものをきちんと還したいなと強く感じた。
そして、弊社に新メンバーのシオンちゃんとアカネさんが参画してくれた。これまで数十年のキャリアを培ってきた主力二人が退職することになってしまい、そこを支えてくれる存在として会社に参加してくれた。仕事のキャッチアップ力も目覚ましく、そしてサポーティブな性格にとても助けられるようになってありがたい。僕は経営を本腰を入れてやんなきゃなぁという想いを強くしたし、その一方で感じる責任感の重圧をめちゃめちゃ感じていた。

9月星野先達の影響で山伏修行をやってみたいと思っちょって、星野先達にきいてみたら「山伏仲間が長崎におるので連絡してみたら?」とおっしゃる。そこで半年前から計画して、長崎の岩屋山を行場にする山伏鈴木茂生(ちゃまさん)を訪問した。人生を高い熱量で生き続ける人に出会うとやはり影響を受けまくるわけで、修行を経ての山とのかかわり方はもっと興味深くなったし、なによりちゃまさんの生活スタイルや家族との関係性がものっすごくカッコイイと思った。また修行に行きたいし、ちゃまさんと対話をしたい。そこで失礼ながら投げかけたのが、「具体の目的を立ててそれを我武者羅に達成する世界観が否定されているように感じてます。たとえば山伏の修行というものに到達点が存在しないようで、日々の生き方を山伏として在ることが大事、という感覚が目的的が正解だと思っていた僕には理解が及ばないんです」という質問というか悩みだった。チャマさんは「目的的に生きてしまう事には二つの危険性があって、一つは目的を具体に設定しすぎるとドンピシャの目的達成以外が失敗として評価されること。これは本人の性格にも寄るとは思うけれど、そういう世界観では失敗の方が多くなってしまう。もう一つは成長を意識するのは山伏も否定してはいない、それは良い事。でも具体的に決め過ぎてしまうと、それ以外に自分にはいってくる良い機会(偶発性)に気づけなくなってしまう。山を登る最中に、足元だけを見ててもその先の大木や大岩に気づけないし、先ばかり見ていたら足元を捉えきれなくてすぐにコケてしまうやろう。人それぞれやけども、バランス感覚が大事なんよ」というようなこと柔らかい長崎弁で語ってくれた。奥様の望恵さんとも昼過ぎに飲み始めて夜更けるまでずっとお話をしよった。僕を知る人は僕がそんなにずっとしゃべり続けてるイメージはないと思うので、これは自分もビックりやった。

10月-11月 先月から膨大な仕事に追われるようになってしまい、睡眠時間を削り(結果的にパフォーマンス下がるのでこれはダメなのだが)、他のやりたかったことを封印して(さいきラインニュースの休止期間に入ります。地元学の会も参画できず、消防団長の役割も疎かに)本業にフルスイングした。今の自分にできる最大限を尽くしたけれど、その様子を見とる先輩たちは「お前のやり方が悪いんぞ、自分がつぶれる前に周りに頼らんと」という優しい言葉をかけてくれた。結果は出したけれど、けっこうぼろぼろになった。

12月 まぁ忙しく感じていたここ数カ月やったけれど、半年前にスタートした大分県の事業ワクワクDXの計画策定コースとして計画発表を行い、賞をもらうことができた。何かをやって分かり易カタチで評価されるのは久しぶりやったので気持ちが良かった。また、ここ数年熟成してきた「東京一極集中に対するアンチテーゼ」の考え方がなぜか急にまとまってきたので、これをカタチにしたいぞ、未来の地方都市の青写真(風の谷構想の佐伯版)を描きたいぞという気持ちでムクムクなっているなうです。

総括:とまぁここまで読んだ人はおるんかな?という気持ちですし、こう振り返っても漏れていることも多いんやけども。このムクムクを成長させていくために、まずは自身の心身の健全さを大事にしていきたいし、人生の伴侶を探す2024年にしたいと思います(急に)

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