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2020年10月20日 イスラエルのコロナの様子

さて、9月17日、ユダヤ教の新年を目前に控えた週末から3週間の予定で始まった、イスラエルのコロナ拡大を防ぐための各種制限は、10月18日より少しずつ解除が始まりました。

結局まるまる1か月の制限だったわけですが、経済的な打撃とこの感染拡大による被害と、どちらがこの国にとってより本当の痛手なのかな、と考えると、はっきりしたことはわからないものです。制限も少しずつ解除が始まってはいますが、いっぺんにすべてが解除されているわけでもないし…。
さらに、イスラエルに限らず全世界的なことですけれど、コロナ禍にあって経済的な被害および健康的な被害以外にも、「社会的な被害」というものもあると思います。それは、お互いが関連しているんですけれど。

日本のニュースでは時々見かけますが、様々な理由から自ら命を絶とうとしてしまうような出来事。それから、ニュースの国際関係カテゴリーなどを見ていると、幼い女性が自分の意志と関係なく結婚させられてしまう児童婚がコロナをきっかけにまた増え始めているとか、家庭内暴力の増加といった現象も世界各地で確認されているようですね。イスラエルでも、家庭内で女性が殺害されるという事件は(特にある一定の社会的グループ内で)、残念ながら後を絶ちません。本当に苦しいニュースが多いですね。

こんな流れで、「それでも、実は…」と逆説的に何か楽しいニュースを語りたいところですが、本当に残念なことに、やっぱり私の周りでも、あまりこれと言って声高に言いふらしたい楽しい社会的なニュースが実感できません。身近なところで、私は、今回のコロナ制限で1か月も開店を制限されている、「エッセンシャルでない」お商売をやっている人について、本当に大変だろうなあと心から思ったので、そこからちょっと考えた、日本人とイスラエル人の考え方の違いについて書いてみたいと思います。


ズバリ大きな差異は、「人と対面でコミュニケートすることに対する飽くなき執念」とでも言いましょうか。とにかく、一般的に、イスラエル人は日本人に比べて人とコミュニケートすること、特におしゃべりが大好き。
このコロナ禍で、極端な言い方をすると「人と会ってコミュニケートできないと、生きている心地がしない」くらいの勢いではないかと思うのです。
もちろん日本でもコロナで移動が制限されたため、夏休みに実家への帰省を自粛したり、他にも会いたい人に会えずに我慢して、人や家族に直接会えないつらさを味わった方はいっぱいいらっしゃると思います。
でもそこはコロナ感染を広げないため、自分が知らない間に感染源にならないため…と、ぐっとこらえた方が多かったことでしょう。それから、ネットのニュースなどで見る限り、社会的な同調圧力がさらに強力になって、コロナの感染以前に「世間体」の問題もあったのでは、と思います。
こうやって、日本では「コロナ自警団」なんて言葉も生まれたくらい、外出しないこと、人と会わないこと、そして特に「密にならないこと」は「正義」だった。
でも、イスラエルでは、人々は、日本人の私には納得がいかないくらい、どこまでも工夫に工夫を重ねて家族で集ったり、人と会ったりしようとする。どうしても「密」になりたくて仕方ない。そしてどうかすると、「家から出ない」、「他人とコミュニケートせずに過ごす」といったことが、「悪」的な雰囲気すらある。
それこそ「自警団」のように、街を歩いていて「マスクしなさいよ!」「もっと離れろよ!」と言わない人が、まったくいないとは言いませんが、感覚としてはそれは少数派。(とはいえ、ここですでに口頭によるコミュニケートを始めてしまっていると指摘されれば、それまで。)もう、何とかして人、特に親戚や家族と会っておしゃべりしないと、息が止まってしまう…という風に思っている人のほうが、多数派なのです。

正直、日本人の私には、そこまでして無理やり会う必要があるのかなあ…と思うくらいです。コロナでしょ?命の危険の話でしょう?というのが正直な私の感想。だから第二波に襲われるし、感染拡大が止まらないんじゃない?と思うのですが、彼らにとっては家族や親戚一同が集わないことは、具体的に命の危険にかかわることらしいのです!
私の友人のお父さんは、このコロナ規制中に体調がおかしくなり、何度か病院に行ったとのこと。大したことはないけれど、とにかく原因不明であっちが痛いと思えば今度はこっちが変…という具合に、なかなか全体的な改善が見られない。最終的にお医者さんからは、「一度、親戚一同で会って、孫と一緒に楽しい時を過ごすのがいいのかもしれませんね。あまり大人数でなく、戸外で、短時間で、直接的な接触は避けて」という処方を受けたとのこと。(「え、それって、もしや最期ってこと?」とその場でひっそり青くなっていたのは私だけのようです。)
それを私の義母に話すと、さもあたり前とでもいうように「孫に会うのは祖父母にとっての全てよ。薬でもあり、酸素でもあるの」とのこと。酸素!?まあ、単純に表現なんだろうけれど、この言い切りよう。
そして、コロナ規制が緩くなったころ、「距離を保って、ハグなしで会おう」と約束して会っても「後ろからのハグはハグではないの」と勝手に自分ルールを作ったり、他の家族が見ていないスキをねらって孫にハグしている彼女の姿を見ていると、家族に会うことは彼女にとっての生きがいであることに疑いはないのです。この場合、コロナ感染に対してリスクが大きいのは幼齢の孫でなく、高齢で持病を持っている祖父母なのですから。

もちろん、人によって温度差はあると思いますけれど、「社会の雰囲気が家族の一時帰省を許さない」日本と比べて、行政が「家族といえど都市間を越境した集まりを罰則とともに禁止している」イスラエルの方が、一般的に「家族に会いたい熱」は高いと考えて間違えないでしょう。日本で帰省を許さない雰囲気が生まれた理由は「行政がお願いしているから」だけではないと思うのです。

このように、かなり価値観の違うイスラエルと日本。
もちろん、数字の上での結果(感染率)を見れば、日本はコロナをしっかり押さえていて、第二波どころか、第一波だってヨーロッパ諸国に比較すれば、あってなかったようなものだと思います。本当にうらやましい限りです。

それに比べて1か月前、コロナ規制第二弾に入る前のイスラエルはといえば、検査した人の約1割が陽性というコロナの蔓延ぶりだったのです。田舎の町に住む私のうちのお隣さんだって接触疑いで自宅隔離していたし、私も自宅隔離の憂き目にあったことは以前お伝えした通り。2軒先のご近所さんはコロナで熱を出すし、反対側のお隣さんに遊びに来たお友達も家族全員のコロナ陽性が発覚し、お隣さんを含め関係者全員隔離…と、もう、あっちを見てもこっちを見てもコロナだらけ。
子供たちが通う学校に関わる関係者について話せば、コロナに感染したか、感染者に濃厚接触した人数は数えきれません。
さらに、このようなコロナの蔓延がさらに、「人と会いたい熱」を上昇させているということもあると思います。
やっぱり、コロナ感染した人が身近にいるとなると、緊急事態感がぐっと上がります。そういう時はやっぱり家族に会って、絆を確認したいという気持ちは自然なのかもしれません。

それと、もう一つ、緊急事態感が上がると言っておいて矛盾しますが、どこを見てもコロナだらけという現実を前にすると、なんとなく感覚が麻痺してくるということもあるのです。
コロナの第一波目は、コロナって、本当に得体のしれないものでした。感染すれば必ず死んでしまう、というような恐怖感すらありました。
第二波目の今は、あっちもこっちもあの人もコロナだったけど、今はみんな元気にしてる、というのが現実。私も彼女も彼も濃厚接触疑いで隔離したけれど、何ともなかった。そんな経験が積み重なって、なんとなくコロナに対する恐怖心も、流行し初めのころとはずいぶん違うものになりました。
まあ、そういう気のゆるみが感染拡大をうみだすのだし、病院などの医療関係者の懸命の努力が日々続いていることは、常に肝に銘じているのですけれどね…。

イスラエルではテロが起きれば、イベントなどをキャンセルせずに通常通り日常生活を送ることがテロに対する最大の抵抗だとする考え方があります。もしかしたら、コロナに対しても、そのクセの様なものが抜けないところもあるのかもしれませんね。

私は常々、イスラエル人は目標をこれ!と定めるとそこに全身全霊を傾けて突っ走るところがあると思っていました。だから「コロナ感染を防ぐ」という目標を定めたらそこに向かって突っ走るのかなあと思いましたけれど、「より人間らしく生きる」というもっと大きい目標に矛盾する部分があって、迷走しているのかなあ…という気もする、最近のイスラエルでした。
それでも湾岸諸国との国交正常化の波も相変わらず続いているし、イスラエルも悪いことばかりではないのかなあ、とも思います。経済発展はより良い暮らしのための手段の一つにほかなりません。コロナは、何のために経済をより発展させようとしているのかということを、もう一度考え直すきっかけにもなるのかもしれません。

写真は(Facebook 登校時)Ynetから切り取った、イスラエルのコロナ検査数と、陽性者数の棒グラフ。9月30日はなんと、68,128人を検査して、そのうちの8,919人が陽性でした!
やっぱり、こういう数字を見ると、規制しないわけにいかないよなあ…という気になります。規制緩和された現在19日昨日は41,722人の検査で1,479人が陽性。規制の効果、出てるんですね。

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