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2021年4月14日 イスラエル建国記念日

はじめに


戦争によって独立を勝ち取った歴史を持たず、また、自国にとって最後の戦争である第二次世界大戦で敗戦国となりながらも天皇制を維持し続けた日本で教育を受けた私にとって、イスラエルの国の成り立ちや歴史というのは、驚きと発見の連続で、常に私の中の「常識」をひっくり返される思いです。
イスラエルは今年4月15日に建国73周年を迎え国中をあげてお祝いをしましたが、今回は独立記念日の前日に行われる「戦没者記念日」、こちらに焦点をあてて、イスラエルがどのように建国を祝うのかをご紹介したいと思います。


独立記念日は国をあげてのお祭り騒ぎ

ユダヤ教では1日の始まりは夜と考えられていますので、独立記念日の始まりは西暦で言うところの「前日の夜」となります。独立記念日が始まる夜になると、イスラエルは歌え踊れの大騒ぎとなります。
街ではあちこちで国旗や青白の飾り付けがされ、自家用車や家の塀も国旗が飾り立てられます。それぞれの自治体が有名どころの歌手を呼び野外ステージでコンサートを開き、その周りには綿菓子や泡のスプレーを売る屋台が立ち並びます。花火が打ち上げられ、人々は街に繰り出し、子供たちも夜遅くまで街中で遊びまわります。
翌日は親戚、家族、友人同士が集まりバーベキューを楽しみます。私の友人の親戚は肉屋を経営しているのですが、「1年の収入の半分以上がこの独立記念日にあるといっても大げさではない」と言うほど、国中がバーベキューの煙に包まれます。空軍の飛行ショーが空を舞い、安息日や宗教に関する普段の祝日とは異なった、活気にあふれた1日となるのです。

独立記念日の前日は戦没者記念日

この様な、お祭り騒ぎで祝われる建国記念日ではありますが、イスラエルでは建国記念日の前日は戦没者記念日と定められています。戦没者記念日は、エンターテイメント商業施設は閉店し、全国で式典や黙祷が行われ、ニュースやテレビ、ラジオ番組も戦没者に関する特集が組まれ、建国記念日とは対照的に、厳格に、厳かに執り行われるのです。
戦没者記念日には、その日の開始と式典の始まり知らせる2回にわたり、それぞれ、1分と2分のサイレンが全国で鳴り響きます。人々は全ての作業を中止して黙祷をささげます。
高速道路でも人々は車を停止させ車から降り、直立して黙祷をささげます。お店の店員さん、喫茶店やレストランとウエイター、ウエイトレス、銀行や郵便局の受付、学校の先生、生徒、…とにかく、全国で黙祷がささげられるのです。
(ホロコースト記念日のサイレンの様子が、こちらの動画でご覧いただけます。)

徹底している「戦没者記念日」

この日はもちろん学校でも式典が行われ、戦争の歴史、建国の成り立ちを教える授業が行われます。服装に関しても、いつもは「無地のシャツ」程度の決まりなのですが、この日だけは全員「白い服」で登校します。
企業単位では式典などは行われませんが、仕事中でも黙とうの時間は皆、作業を中止します。家族に戦没者がいて国や自治体の式典に出席する人は普通に会社を休みます。
また、この日はテレビやラジオでも娯楽番組は一切放送されません。その代わりに放送されるのは戦没者を記念する特集や戦争の歴史を学ぶ番組、テロにより家族を亡くした人々のドキュメンタリー番組などです。
ラジオで流される音楽も、悲しみや愛や、戦争や平和をテーマに扱った静かな歌だけが流され、喜びや楽しみを表現するようなノリノリの音楽は一切放送されません。
これが丸1日続きます。とにかく徹底していて、この日は右を見ても左を見ても、戦没者を覚え記念する空気に満ちていて、気が滅入ってしまうほどなのです。


記念日の過ごし方

日本で育った私にとって、こういった「記念日」の過ごし方は、実は物珍しくもあるのです。
日本では原爆の日や終戦記念日には式典が行われたり黙祷をささげますし、夏になれば戦争に関する歴史の番組がテレビで放映されたりすることもありますが、レストランなどの娯楽施設を閉店にしたり、丸一日どのチャンネルでもどの放送局でも特集番組だけをやっているというわけではありません。それに、夏の特別テレビ番組…と言えば怪談や幽霊のおはなしと言う方が、しっくりくるくらいです。
もちろん、これは私個人の責任でもあるのですが、日本にいた頃は終戦記念日や原爆の日を意識して娯楽のない1日を過ごすとか、歴史を学ぶ1日を過ごす…ということをしたことがありませんでした。
けれどイスラエルにいれば、たとえ歴史に興味のない人でも、戦没者記念日になればそれを意識せずに1日を過ごすことはできないのです。
さらに、イスラエルでは戦没者記念日の1週間前にはホロコースト記念日というものがあります。この日も戦没者記念日と同じかそれ以上に徹底していて、ホロコーストがあったという事実をこれでもか!というほど、テレビ、ラジオ、新聞、インターネット、学校、自治体、個人宅でも…と、とにかくありとあらゆる場所と機会で取り上げるのです。

戦没者を忘れない

ホロコースト記念日や戦没者記念日には、イスラエルはとにかく国が戦争の記憶をたどる暗い雰囲気に包まれます。戦争に関するドキュメンタリー番組などでは場合によっては「過激な表現や、ショッキングな表現が含まれる場合もあります」と注意が促されることもあり、また、この日は精神的な助けが必要なった人のための緊急ホットラインが準備され、その電話番号が公表されるくらいです。
正直、「そこまでして…」と思わなくもないのですが、イスラエルでは戦争に関する歴史を忘れずに語り継いでいこう、知らしめていこうという気迫が、日本とは大きく違うという気がします。本当にこれは「気迫」と言っても良いと思うくらい、記録し、語り継ぎ、知らしめようとするのです。
日本が敗戦国であるということと、第二次世界大戦を最後に70年以上戦争をしていないということも大きく影響しているのだとは思いますが、ここまでしっかり戦争の歴史を学ぶ国に住んでいると、自分自身の責任を棚に上げて、ちょっと日本は戦争のことを忘れ、歴史を語ることを忘れ過ぎてしまっていないかなあ…と不安に思うこともあります。

おわりに

私の友人のお父さんは、イスラエルにたどりつく前の子供だった頃、パルチザンの兵士としてソ連領で戦い生き延びたという話をしてくれたことがあります。とても明るく朗らかな人柄で、戦争についてはほとんど語らない人でしたが、この年代の他の人々と同様に、戦争中は想像を絶するような悲惨な体験を多くしてきたようです。
そんな彼は戦没者記念日などの式典には一切参加しない人でしたが、ある時、何かの拍子にこう言われたことがありました。
「式典で、戦没者を忘れない…なんて言っても、僕は戦争を忘れたいんだ。でも、どうしてもあの記憶から逃れることができない。僕には式典なんて必要ないんだよ」と。
戦没者記念日に続く建国記念日で打ち上げられる派手な花火と、人々の歓声。喜びは、必ず何らかの犠牲の上に成り立っている、そう思わずにはいられないイスラエルの建国記念日なのでした。

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