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日本刀に興味をもつようになったきっかけは?一部、小説『沙高樓綺譚』の一編のネタバレあり

 日本刀の美しさに魅了されています。日本刀は武器だと思っていません。一等級な美術品、芸術作品であると思っています。もし単なる武器であるなら、美術館や博物館に展示されることもないと思います。拳銃などは博物館には展示されていることもあるかもしれませんが、美術館には展示されているのは稀だと思います。

 また、単なる武器であるなら、国宝に指定されたり、高値で取引されたりすることはないと思います。
 
 日本刀に興味を持つきっかけとなったのは、浅田次郎の『沙高樓綺譚』(2002年、徳間書店)という短編集の1つめの「小鍛冶」という作品を読んだことだったと思います。「小鍛冶」とは、コトバンクによると

の曲目。五番目物、また四番目物にも。五流現行曲。作者不明。名の霊験(れいげん)談である。帝(みかど)が霊夢にみた名剣を打たせるため、勅使はそれを三条の小鍛冶宗近(むねちか)(ワキ)に命ずる。相槌(あいづち)を打つ名手のいないことを嘆いた宗近は、氏神である稲荷(いなり)明神に祈誓に出かけると、童子(前シテ)が現れて、古今東西の名剣のいわれを語り、かならず力を貸し与えると約して稲荷山に消える。前シテは老翁(ろうおう)の扮装(ふんそう)でも演じる。宗近は刀工の威儀を整え、鍛冶台を用意し祈念して待つと、稲荷明神(後シテ)が出現して神威をみせ、相槌を打ち、表に小鍛冶宗近、裏に小狐(こぎつね)と作者名を刻み、小狐丸と名づけた名剣が勅使に捧(ささ)げられる。喜多流には、白ずくめの扮装に狐足とよぶ特殊な足使いで演ずる演出がある。ほかにも多様な演出がくふうされており、その舞台の潔さ、小気味よさで人気曲となっている。
 歌舞伎(かぶき)舞踊にも小鍛冶物の系列があり、長唄(ながうた)の『姿花后雛形(すがたのはなのちのひながた)』『誘謂色合槌(うちつれていろにあいづち)(新小鍛冶)』『優曲(ゆうきょく)三人小鍛冶(今様小鍛冶)』、昭和になってからも義太夫(ぎだゆう)節による木村富子作『小鍛冶』が上演されている。

コトバンクより

 とあります。小鍛冶は、もともと刀匠の三条宗近のことを指します。浅田次郎の小説では、主人公が東京国立博物館の展示室で日本刀を鑑賞しているところに、知古の刀剣鑑定家の当主と出くわし、その後のあるイベントに誘われるところから話が始まります。刀剣鑑定家の徳阿弥家ということになっていますが、これは本阿弥家をフィーチャーしたものと思われます。
 そこには、小竜景光が登場します。楠木正成の佩刀であったという伝説もある御物です。これは現物を見たくなります。
 この刀剣鑑定家の当代が沙高樓という会場で不思議な話をします。刀剣鑑定で何度か、贋作の日本刀を鑑定した(鑑定した時点では贋作と見極めることができなかったわけですが)時に、「郷義弘」という刀工(作者)の刀の真作(本物)と結論を出そうとするわけですが、そこでの説明に「郷と幽霊は見たことない」という格言が出てきます。幽霊を見る機会はまずないわけですから、世の中に出ていない刀で、急に出現する郷義弘作刀の刀に出会えることはないという例えの格言なのだそうです。当代は病床の身の先代にこの刀を見てもらうことにしました。先代は一言「せいぞうち」という謎の言葉を伝えます。
 「せいぞうち」とは何であるのか。徳阿弥家の世襲が関係していることになります。
 この作品で、日本刀というものの来歴の深さ、日本刀に関わる家の問題に深く感銘を受けたからです。
 そこから、日本刀に関する書籍を漁り、知識をある程度つけてから、東博に通ったり、他の美術館の展示を鑑賞しに行くようになりました。
 一遍の短編小説によって、日本刀の魅力にはまったのでした。 

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