WASH AND BOOKSがはじまるきかっけとなったテキスト
「洗う」とは「問う」ことなのではないか。
ぐるぐるまわる洗濯機は、もやもやした頭のなかに似ている。
洗い終わって止まった洗濯機は、ひとつの答えにたどり着いたように見えるが、それを淀みの始まりと捉えることもできる。
「本は頭のなかを洗うもの」と定義することはできないだろうか。
わからないことを知るために本をひらき、わかることでまたべつの本をひらく。
わからないとわかるを繰り返すことは、洗濯機のなかで衣類を包みこむ渦のらせん構造のようだ。
街を歩いていて、コインランドリーで洗濯を待つあいだに本を読んでいるひとを見るとなんとなくいいなぁと思う。
洗濯が終わるまでの時間にただ本を読んでいる、と見ることがふつうかもしれないけれど、(むしろ)本を読むために洗濯をしているのではないかとさえ思えてくるから不思議だ。
「待つ」とは「読む」ことなのではないか。
読むことは待つという口実を必要としていて、その有限性が読むことに私たちをうまく没頭させてくれる。
本を読んでいたら、洗うという家事も(同時並行で)進んでいる。
そんな風景をつくりたいと思った。
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