クラウドファンディングが、嫌いだった。

クラウドファンディングが嫌いだ。
正確に言うと嫌いだった。


仕組みは知ってる、みんなからお金集めてその人の夢叶えるんでしょ?ってくらいだった。
お金を集めている人は、みんな自分の信じたやりたいことを真っ直ぐに語れるキラキラした人たちで、
熱い言葉と、未来のビジョンと、彼らの笑顔の写真が載ってて、それを応援してくれる人がいて。



なんか、嫌だった。
ちゃんと内容を見るのも嫌だった。



でもその理由は、何となく気づいていた。



それは、お金があってもやりたいこともなかった自分が情けなくて、
それを堂々と語れる彼からすごく羨ましくて、
妬ましかったから。
眩しすぎたから。

内容をちゃんと読んじゃうと、自分に返ってくるのが目に見えていた。
やりたいことも、夢も、信じた道も持てない自分を振り返って
「何してんだろうな俺」って思って、情けなくなるのが嫌だったから。


なんだか見て見ぬ振りしてたんだと思う。
自分とは見ている世界が違うような人たちのものだと思ってた。


だから、いつまで経ってもなんだか遠くて、関係ない世界で。




ガーナで活動している協力隊の同期が学校を建て直すためにクラウドファンディングを始めました。
280万だってよ、日本でもとんでもない額。
ガーナだったら多分ひっくり返るような額だと思う。


でもそれを聞いた時になんだか単純に頑張ってほしいなって。
今まではキラキラした人たちがやるもんだと思ってたけど、
実直に活動している中でのお金の問題を解決しようとしているだけの、
今まで勝手に妄想していたような人じゃないような、
ただひたむきに頑張っている人も中にはいるんだなぁって思った。


280万という額を色んな人から集めること、
しかも顔も知らない人から集めること。
その額で本当に足りるのかも不安だろうし、
参加してくれた人に価値ある物を返せるのか、
それで本当にガーナとその村にとって価値のあるものが出来るのか、
ボランティアの活動としてお金や物を与えることが本当に良いことなのか、
その学校だけ特別扱いしてその後周りからの反発はないのか。

同期と言ってもそんなに仲良かった訳じゃないし、詳しい事情を聞いた訳ではない。
でも、たぶん色んな葛藤と不安があるんだと思う。
きっと色々考えて、考えて、悩んでも、それでもやろうってなったんだと思うんだよね。




国際協力の世界では、「単純にお金や物を与えることが真の協力なのかを考える必要がある」と言われています。

魚が取れずにお腹が空いている人に
魚をあげるだけでも
釣りざおをあげるだけでもだめだ。
釣りざおと魚の釣り方を教えるべきだって
そんな言われ方をしたりします。

お金は使っちゃえば終わりだし、それどころか支援慣れして、またそれに期待して自分たちで頑張んなくなるかもしれない。
物だけあげても、ちゃんとその後の運用を考えないと、結局使われなくなったりもする。
だから物やお金は、その使い方やノウハウを移転することとセットじゃないと意味がないと言われています。

そう考えると、物だけを作るというのは正しいのか、
彼らにお金を稼ぐ方法を教えて、彼らにやらせるべきじゃないか、
っていう意見もあるんだと思う。
僕も最初はそう思ってた。



きっとそんなことは分かってる。
でも
目の前にいる道に迷ってるおばあちゃんを前にした時に、
しかもお医者さんとの先生との約束の時間が迫っているって言われたら。
地図をあげて、その見方を教えるのが正しいのかな。
一緒に手を取って目的地まで行ってあげたくなってしまう。
その方がなんだか正しいことのような気がして。



学校は未来のその国を作るところ。
途上国の子供にとって教育の機会がどれほど大事なものかも協力隊に参加して初めて知った。
色んな支援が入って作られた学校で、その恩をいつまでも忘れずに感謝しながら、しっかりと運営が続けられている学校も知ってる。
教育機会を提供する学校が、その土地で求められていれば
使われないことはないだろうし、意味がないということはないだろう。


そこで学んだ子がさ、しっかり勉強して学を身につけて、
将来働く時に、自分たちで自立出来る様な人生に、そしてそんな国にしてくれればいいし、そうなったら素敵だよね。わくわくするよね。




こんなの偽善かも知れない。
アフリカの一つの国の一つの村の一つの学校を立て直したところで、
世界になんの影響もないのかも知れない。
少なくとも僕の生活にはなーんのメリットもない。

学校も使われなくなるかもしれないし、そこの子供は全然賢くならないかもしれない。生徒も集まらなくなるかもしれない。他にもっといい学校が出来るかもしれない。
そんなのは誰も分からない。


でも、それでもいいじゃない。



遠い国でおばあちゃんが困ってるのを助けたいと思わずにいられない人がいて、
少なくともその人の気持ちは僕には分かる。


誰かが言ってた、
「やらない善より、やる偽善」

偽善だっていいじゃない。
そもそも偽善かどうかなんかその人が決めるんだよ。
偽善だとしても自己満足になってしまったとしても、
自分の目の前にある出来ることを精一杯やることが
間違っている事とは思わないし、逆にすごく尊いことだと思う。




知っている人っていうのもあったのかもしれない、
でも何だか自分でも不思議なくらい自然にクラウドファンディングの内容を見れた。
キラキラした夢を語るのではなく、途上国のすごく身近な問題を解決したいんだという想いが見えた気がした。

残念なことに相変わらず自分には、お金なくて実現出来ない夢も想いもない。そんな風に思えることがあって羨ましいなあ、という気持ちも正直ちょっとあったりする。

でもそれ以上に、実現出来たら素敵だなあと思う自分がいて、
他人事なのにちょっとだけわくわくする自分がいて。




食わず嫌いだったんだろうな、クラウドファンディング。
偏見とか自分の弱さのせいで、一緒くたにして見て見ぬフリして。

周りがどう言おうと、自分のだめなところが見えようと、
良いものは良い、
悪いものは悪い、
と自分で判断して、言えるような人にならないとね。




人生で初めてクラウドファンディングに参加しました。
セコくてごめん、1口5,000円分。
飲み会約1回分。

結局あんまり楽しくなかったり、
飲み過ぎて記憶なくしたり、
解散した後に「今日の飲み会なんだったんだろう」って思う
その一回の飲み会よりは
そのお金が将来の世界を担う子供の教育に使われた方が価値がある
って思えるくらいに大人になったみたいです。



アドレスとパスワード登録して、後はカード情報入れて終わりです。5分くらいかな。


初めてちゃんとクラウドファンディングのサイトとか内容とか見たけど、
びっくりしたのは運営サイトへの手数料の高さ。
引くくらい高い。
すごい仕組みなのは分かるけど、こんなにかかるの…?お金を集めるという目的のものなのに、これじゃあまりにも本末転倒。
もっとうまく出来ないものなのか、これ。


幾らかは下記で確認してみてください。資金使途にちゃんと書いてあるよ。
びっくりするよ、本当にいい商売だわ。

「ガーナの小さな村の学び舎を再建!子どもたちの夢の足がかりを。」
https://readyfor.jp/projects/voiceofthelord?fbclid=IwAR0oOB7b-aY33A9q9j7rRwO2OviGx51UbagMvEi85DJApmELIsDaEbHmZPY


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