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「日常」という時間の波に乗る

川口洋子個展
「小さくて大きい 一つずつ」

【鑑賞記録】2023.2.25 15:00

小学校の三者面談。母親が子どもの「家での様子」を話すときのような素振りで、彼女は作品について語っている。
その家での様子を見せられているような、その家にお邪魔しているような、作品を鑑賞していると、彼女の私的空間に誘われるような感覚を覚えた。

今回の展示会場は、喫茶店。残念ながら、ここ数年流行している感染症の影響で店は撤退したとのことで、珈琲の香りはしていない。
それでも、照明や壁紙、什器類や床の質感などが、心休めるために設えた空間であることを伝え残している。

会場である茨木市市民総合センターの元喫茶店

彼女の作品たちはそんな空間の中に、前からそこにあった物のような顔をして佇み、前を行ったり来たりする私たちを、ただじっと見つめている。
ホワイトキューブなどの壁面展示が中心の場では、「鑑賞者が作品を見る」という関係性が通常あたり前である。しかし、今回の会場のように、もともと不特定多数の人がそこに座り、複数の目線が行き交うような場所にあっては、「見る/見られる」の関係も多様なあり方を示すのだろう。なにせ私はずっと、作品の目線が気になって落ち着かなかった。

そんな空間において、彼女はあらゆるメディアと技法を使い、一つのジャンルで括れないような作品体系を形作っていた。それが例えば、一つのキャンバス上で繰り広げられていたならば、この作品/技法はミクストメディアだと言えただろう。しかし、川口洋子にあっては、その語り方を許してくれないのである。
それぞれの作品はそれぞれで自立しているのだが、作品同士がどこかで有機的に繋がっており、まるで森の中や海中にいるかのような感覚にさせられる。彼女の作品を鑑賞するとき、私たちは風を読み、光を見て、湿度の揺らぎを感じながら、「波乗り」をしなければならないのかも知れない。

しゃがみ込んで作品を鑑賞する人


日常、私たちは踏み固められた床の上で、人工物に座り、無機質なものを手にして過ごしている。川口洋子の作品を鑑賞するとき、その鑑賞している時間だけ、私の中にある「自然」の存在を感じ、もしかすると、その「自然」を見る目をかつての小学生のときのように取り戻せるかも知れない。

会期|2023.2.23 ー 3.5
会場|茨木市市民総合センター

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