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自分>他人

「ネコちゃん、私はあなたが思っているようないい人間じゃないの。とってもわがままなの。自分がやりたいことは、なんとしてもやりたいの。」

30年以上前、まだ10代だった私に、20才年上の叔母は言った。
叔母は私の母の弟と結婚した人。
男尊女卑の家系で育った私にとって、都会からやってきた美しくて聡明で自立したカッコいい叔母は、キラキラと輝く特別な人だった。私は叔母を慕っていた。
近くに住んでいるわけではないのに、生きることが苦しくなると、なぜか叔母に会うことができた。私は心理的に叔母に何度も助けてもらった。

あの日も、何か話をしていて、私は叔母の言葉に感動し、それを伝えた。
その時に返ってきたのが冒頭の言葉だった。


2010年秋、叔母は62才でこの世界を去った。
病気だった。
その年の初めに発覚し、一度は手術を受けたが、すぐに再発した。
叔母はもう治療を受けなかった。
そして1年も経たないうちに逝った。

夫(私の叔父)、子どもたち、孫たち、親族、叔母を慕う人たち。
みんな叔母に生きて欲しかったに違いない。
違う治療法もあったし、病院を変えることもできた。
でも叔母は『治療を受けない』選択をした。

自分がやりたいことは『なんとしても』やりたいの。

62才。
「若い。まだまだ病気と闘える体力はある。あきらめちゃダメだ」
そんな風に思ってしまうし、実際言った人もいると思う。
生活は裕福だったし、叔父は穏やかな人だったし、子ども達も独立し、孫たちも健やかに成長し…そんな時期だった。
でも、叔母は治療しないことを選んだ。

小説やドラマの中で、自分は辛いけれど『誰かのために頑張って生きる』人が出てくることがある。その後、たいてい病気が治ったり、その人の辛さが消えたりする流れになり、良かった良かった、やっぱり人のために生きるのは尊い行為だ、と思ったりする。

が。

私は叔母の選択が間違っていたとは思わない。
むしろ、誰かを悲しませるとわかっていても、誰かに辛い思いをさせるとわかっていても、誰かに非難されるとわかっていても。
そんな自分であっても、自分>他人 だった叔母の強さに私は憧れる。

叔母がいなくなって12年。
叔母は今でも私が一番尊敬する女性だ。

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