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アフターコロナが来る前に〜

従来通りの感染対策対策に加え
・気温上昇という要素
・海外感染者数の減少
・ワクチン摂取の開始
という、要素を考えると、まもなくアフターコロナがやってくる。たぶん。
もっとも、寒冷化、人の行動変容、ウイルスの変異によってはまた増える可能性はあるが、すでにアフターコロナは始まっているのだろう。

バブル崩壊

好景気という実感はあまりなかったが、それでもまあ国力が低下しつつある割には、これでもまあまあ良い暮らしができていたというのは、要は国が株を買い、株価が支えられていたという、実態を伴わない好景気によるものだったのだろう。

上昇圧力の高い時に、利益を出すのは比較的誰でもできるが、急落リスクのある状態で、事前にリスクを回避するのは結構むずかしい。

しかも今の時代、安全だと思っていたものが、脆くも崩れるのを、度々、目の当たりにしてきた。リスクが高めのものはリアルタイムに管理、リアルタイムに管理できないリスク高めのものを運用するなら、痛手の少ない量でほどほどにという所だろう。

戻るものと戻らないもの

コロナにより人々は、何が本当に必要で、なにが不要かを改めて考えるようになった。その結果、コロナが収束後も全てが元通りというわけには行かなくなった。

アート・エンターテーメント

コロナにより、様々なイベントが中止になったりオンライン開催になったりした。人々が疫病を正しく理解し、それを回避するために、一時休止したり、できることを始めた事は、重要だと思う。

秋に葉を落とした樹木のように、一見(いっけん)枯れたかのように存在するが、その木の内側や、土の中では、春に向けた準備が行れているという事が重要なんだと思う。

飲食業

身の回りではかなり多くの飲食店が閉店に追い込まれた。コロナが収束しても、コロナ以前より飲食する事が増えるかというとかなり疑問だし、テイクアウト需要もそれなりい維持される事を考えると、営業形態によっては、更なる変化を求められると思う。

Society 5.0の幻想

コロナ前から始まっていたが、Society 5.0が浸透すると社会はもう少しコロナにスマートに対応できるはずだ。今後、AIやロボットのような、テクノロジーが暮らしをサポートする社会となることは間違いない。

とはいえ、誰も取り残さない社会というのはやはり無理があると思う。
今までより広範囲の個々に応じたサービスや条件を提示する事ができるが、結局のところ、なにかあるとすぐ多数決を持ち出してしまう民主主義下においては、全体が何をよしとするか次第。良しとしないものは取り残される事に変わりはないのである。

テクノロジーへの無理解がもたらすもの

今回の災害では、どうしたら感染拡大を減らせるかすでにある程度わかってきている。そして、その対策方法のうち、いくつかはテクノロジーも貢献している。しかしそれは万能ではないし、正しく理解し、正しく使う事が、重要である。

コロナの被害は、地域により差が大きい。これは様々な要因があり、理由は一概には言えない。とはいえ、多くの被害をもたらした地域が、科学的な分析や、知見をよそに対策を疎かにした傾向は否めないと思う。

アフターコロナを迎える前に

人々の外での活動が、再び増えるが、単にビフォアコロナに戻る事を前提に、縮こまっているだけだと、コロナ後に大きな差がもたらされる事になる。
コロナ後という新しい社会の変化が訪れる事をイメージして、いまのうちに準備しておく事が重要だと思う。

コロナに対する行動と、未来に対する行動というのは、共通する部分が大きい。未知であるが、既知の部分もある。その一方でなにが不知であるかを把握し、知識だけではなく、不知にどう対処する事の重要性が浮き彫りになった。


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