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関係のない人

吉澤ひとみのひき逃げ事件とされる映像で、「事故現場を歩行者がそのまま通り過ぎていく(ように見える)様子」が話題になっていた。

まず、あれは(少なくとも東京において)まあまあ一般的なの事なんだと思う。自慢じゃないが、東京のスルー力(りょく)って結構すごい。
あの映像を見て、周りの対応が冷たいという意見もあるが、あの周りの反応は冷たいのではなく「意識がない人々」に過ぎないのだと私は思う。

これを「傍観者効果」だとする説もみられるが、「見てる人がたくさんいれば、誰かが助けるだろう」というのを、事故を起こした加害者にあてはめたらどうだろう。(罪を逃れるための意図は別として)被害者へのケアという点だけで言えば、他に多くの人がいるから誰かが助けるだろうと考えれば、良いのだろうか。
と考えると、「傍観者効果」だから仕方がないというのは、ややへそ曲がりな私としては、この点で違和感を覚える。

もうひとつ、似たような現象として、救急車が近づいてきても、横断しようとする歩行者がいるという現象が、少なくとも都内では時々見られる。これも「自分勝手」というよりは、そういう場面で、とっさにどうするべきか、十分に教育を受けてないだけだと、私は思っている。

その反対に、例えば、道で困っている人がいて、即座に対応できるという人は、ある程度慣れているか、意識が高い人なんだと思う。

例えば、海外の都市(例えば、ニューヨーク、パリ、ロンドンをイメージ)だと、少し道に迷っている感じの人がいれば、さっと声をかけてくる人がいる。それらの都市の場合、おかしな挙動をしている人がいないか、多くの人が、常に意識していることで危険を回避していて、逆に困った人がいたらすぐ助ける。という教育を受けた人々が、それなりの人数を占めているのだと思う。

他にも例をあげると、日本の場合は、歩きスマホ(通話)していても、スマホがひったくられるケースは海外より(おそらく)少ない。なので、それほど気を引き締めてなくても日本の場合平穏に外を歩ける。

とはいえ、目の前で問題が起きたり、困っている人がいたら、即座に手助けできるように、東京の人々も、もう少し意識を持った方がいい。
そして、ぼけっとスマホ見ながら歩いていると、ひったくりにあったり、事故に遭遇することもあるので、もう少し普段から注意するべきだと思う。

話を表題の「関係のない人」に移す。

日本で暮らし、日本で税金をおさめることで、日本国家は日本国民を守っている。これにより国家という枠組みで日本人同士が繋がっている。
そして、普段我々は、様々な国で収穫されたものを食べているが、これは経済的繋がりから、世界に繋がっていると言える。(食べ物以外にも色々。)

インターネットを例にあげるなら、例え日本語のサイトだけを見ていても、その中のいくつかの通信は海外を経由して成立している。
ちなみに、この note.mu というドメインだが、MUってどこの国のドメインかふと調べると、「モーリシャス」東アフリカの国 にある島に割り当てられたドメインだそうである。

ともかくまあ、普通に生活していれば、例え生まれた土地から一歩も出た事がない人であっても、世界と関係している。

もちろん、そんなことにゃあ「関心がない」という人もいるだろう。ただ、関心はなくても、関係している。

傍観者で終わらないようにするには

昨今、天災のニュースを目にする機会が増えている。そういう点、私も傍観者の一人であることには違いないだろう。募金などをする事もあれど、私個人の持つリソースはごくごく限られている。

ただ、できる限り、傍観者とならないようにするためには、例えば防災グッヅを一つ増やすでもよいと思う。一見関係のない人々の声に耳を傾ける。そしてそれを参考になにかをする。
それは少なかれ、関係性のひとつだと思う。誰かの話や行動に目や耳を向け、考え、なにかちょっとでも、手足を使う。

バス(乗合自動車)

個人的に、バスはやや苦手な乗り物である。優先席が2段階で存在し、特に出口付近の優先席は、空いていても安易に利用するのを、憚(はばか)られる。

高齢の方も多く使用するが、バス停が多い場所では逐次人が入れ替わり、やや高齢の方が近くに立った場合は、譲るべきか否か判断に迷う事も少なくない。

で、席を譲っても、すぐ降りるからと遠慮する方や、自分は足腰に不自由してないからと譲られるのを好まない人もいれば、逆に座るのが辛い(腰に負担)と断る方もいる。

中には、(見た目は健康そうな)若者に、譲らないとダメじゃないかと怒る人がいたりする。たしかに、優先席を必要とするひとがいたら、どの席であろうがさっと譲るべきだとは思うが、バスって急停車する事もよくあるんだし、そもそも全員が座れない状況で運行している事自体に、個人的にはやや違和感を感じている。

そんなバスの話題を挟んだのは、冒頭のような傍観者の多い東京でも、比較的規律を強制するようなバイアスが強く働いている場所だと思うからである。

飲酒運転

それにしても、飲酒運転はいかん。ヤク中と比べても、どっちの方が悪いと一概にいえないと思う。飲酒はそう簡単にやめられないだろうけど、吉澤ひとみは幸運にも、殺人にならずに済んだのだ。せめて自動車の運転は二度とやめてもらいたいものである。


まとめ
・傍観者効果も要因としてあるかもしれないが、救急車の例をとると、一概にはそうとも思えない、私は「意識のない人」だと思った。
・傍観者で終わらないためには、人々の話や行動に目や耳を向け、考え、なにかちょっとでも、手足を使う
・そんな東京でも、バスでは規律を強制するようなバイアスが強く働いている。
・飲酒運転は「ダメ。ゼッタイ。」


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