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水・木・金・土に"どっぷり"する@そうぞうのマテリアル展

『みつめる×かんがえる そうぞうのマテリアル』展(2022.4.2. - 9.4. 多摩美術大学美術館)

多摩美術大学美術館

この展覧会では、多摩美術大学美術館のコレクションから「水」「木」「金(きんぞく)」「土」4つのマテリアル(素材)にまつわる作品の展示をみることができます。

これまで展示で作品を前にしたとき、「これは何でできているのだろう?」と素材をキャプションで確認することはしばしばありましたが、その素材自体に注目した展覧会があるなんて…!

私はどうやら、年代ごとに章立てられた展示よりも、色や形動物といった見た目にわかりやすい分類の構成が好きなようです。

出品作品目録を編集

こんな風に4つのマテリアルごとに展示室が分かれていました。

みつめる×かんがえる

現代において「美術」の意味で使用される言葉「アート=art」は、その語源を辿ると、芸術はもとより医療術・料理術・説法術など「わざ」全般を指していました。生きるために必要なものをつくる行為と、私たちの心に豊かさをもたらす美術作品の制作は、ともに創造に向かって地上にある素材を用い、わざを駆使するプロセスです。(略)私たちの身の回りにある素材の細部をみつめて感性をひらくことで、つくり手と素材との間で交わされた幾重もの対話を想像し、人と素材との関係性について改めてかんがえる機会となれば幸いです。

公式サイトより一部抜粋

展覧会のタイトルにもある「みつめる×かんがえる」。今回の記事では、それぞれの部屋でわたしがみつめてかんがえたことの一部を書いてみたいと思います。

「水」の部屋

公式サイトより
(左)渡辺達正《深海3》2005
(中)杉浦非水《姫鵜と波紋の表情》1955
(下)柄澤齊《死と変容Ⅱ−12 洪水C》1990

「水」の部屋では、本当に水の中を潜っているような気持ちで、部屋を何周もしながら作品を鑑賞。潜っているように感じたのは、全体的に青い作品が多かったこともありますが、東野芳明さんの写真(水に潜って水面を撮影した写真や、水の底に鏡を置いて撮影された写真)の展示が要因として大きかったかもしれません。

柄澤齊《死と変容Ⅱ−9 水源地》

公式図録より
柄澤齊《死と変容Ⅱ−9 水源地》1990

今回の展覧会、実はこの作品が見られることを大変楽しみにしていました。今年4月の「夜間飛行」展に行くことができず、そのときからずっと柄澤齊さんの木口木版を拝見したい想いが積もりに積もっていたのです。

この作品をみつめていると、まず何かを考えだすよりも先に、この溢れてきそうな水を両手で受け止めたくなりました

それから少しずつ疑問が湧いてきました。一体ここはどんな土地で、なぜ全体が水でいっぱいなのか、水面が揺れているように見えるのはなぜだろう、島には見えない、ここは水を生み出すためだけの惑星なのかな、あれは木が半分だけ生えているのかな…

<考えたこと> この作品から始まりそうな物語

「木」の部屋

公式サイトより
(左)《生命の樹》 19世紀 木版更紗 イタリア(ジェノバ)
(中)圓鍔勝三《休む少年》 1955
(下) 髙木晃 《漆の島》1995
《生命の樹》は大きい作品(257×248)で、生命力を分けてもらえるような力を感じた!よくみると動物たちがたくさん!

事前に視聴していた館長の鶴岡真弓さんと鏡リュウジさんの対談で紹介されていた本が気になり…

自分の誕生日の曜日を調べてみたところ木曜日であることが発覚。「木」の部屋からは、なにか力をもらえるのではないかと、じっくり、ゆっくり、鑑賞していきました。木々がモチーフの作品、そして木製の作品に囲まれて、まるで森の中にいるような気持ちになる空間はとても居心地良く、改めて自分は森が好きなのだなあという気づきがありました。

小林敬生《遺された部屋-No.3- 版木(椿)》

公式図録より
小林敬生《遺された部屋-No.3- 版木(椿)》1977
小林敬生《遺された部屋-No.3-》
©2013- YAMADA-SHOTEN Co.,Ltd. 

小林敬生さんの《遺された部屋-No.3-》という木口木版の作品に実際に使用された版木(椿)の展示がありました。…本当に木の輪切りだ!

木口木版の字面と説明で知っていたはずなのに、実際の版木をみて驚いてしまいました。そしてしばらくこの版木と作品を見比べつづけました。

版木といっしょにビュランという彫刻刀も展示されていました。

なぜ木口木版だったのだろう、なぜこんなにたくさんのモチーフが彫られているのだろう…

<考えたこと> 道具・素材・完成品を目の前に、この作品が生まれる前のこと

「金」の部屋

公式サイトより
(左)舟越保武 《原の城》 1971
(中)《如来像》 8世紀(統一新羅) 青銅鍍金 朝鮮
(下)《青銅銀象嵌秤》部分 1世紀 青銅 ローマ(ポンペイ)
舟越保武像は大きくて(187cm)みつめていると穴の空いた目と口から魂を吸われそうな気分に…。

「金」と聞いて勝手に金ピカをイメージしてしまっていたので、実際の部屋の落ち着き具合に少し戸惑いました笑。

《銀化ガラス壺》

《銀化ガラス壺》という1世紀古代ローマ文明のガラスの壺がありました。

公式図録より
銀化ガラス壺 1世紀 古代ローマ文明

ガラスが土中の金属成分と化学変化を起こし金属化した現象を「銀化

公式図録より一部抜粋

と呼ぶのだそうです。そんなことが…!
写真では伝わりにくいのですが、見た目は透き通った金です。上から覗き込んでみると、壺を通り抜けてゆく光によって、内側の金がより透明に輝いてみえました。真珠貝のような光沢とも違うのです。これまでに似た素材を見たことがなく、いろいろな角度からみつめました。

<考えたこと> 自然の力によって偶然生み出された素材の素晴らしさ

もう一点。
彫刻家・吉田哲也さんのトタンと針金の小型作品の佇まいが好きで、展示の仕方についてかんがえさせられる作品でした。

「土」の部屋

公式サイトより
(左)寒川典美《八槻の黒わし》 1985
(中)寒川典美《八槻の保々吉灰》 1989
(下)宮崎進《立つ男》 1995

「土」の部屋では、まるで自分が作品を発掘しているかのような気持ちになりました。

実はじっくり土偶を見たことがなかったのですが、よーくみると表情が豊かで、みんな違うんですよね。古代ギリシア文明の「タナグラ」と呼ばれる人形たちの不思議な透明感が気になって、こちらもよーくみていました。ちいさな置物がごちゃっと集められているのがかわいかったです。

色々みつめてはいたものの、なにをかんがえていただろう…。
ある土偶の頭部をみて、ドラえもんの映画に似た土偶がでていたな…とか。そういえば小さいころ紙粘土で細々したものをつくっていたな…とか。

(左)公式図録より 遮光器土偶・頭部 縄文時代晩期
(右)映画ドラえもん のび太の日本誕生より

(土は)生命を育む母であり、私たちの足もとを支え、郷愁を呼び覚ます

公式サイトより

とあるように、わたしも自然と郷愁に駆られていたのかもしれません。

<考えたこと> 幼い頃のこと

まとめ1

公園の噴「水」デザイン。「木」の椅子。「金」銅の彫刻。文様を刻んだ「土」器まで。私たち人類の「モノづくり」と「芸術表現」は、先史から現代まで常に「マテリアル」との出会いから始まりました。(略)
「芸術」とは、私たち「人間がマテリアルを使って」アートやデザインを生み出すだけの行為なのではなく、「マテリアルの方から人間に」はたらきかけ、想像と創造の「きっかけ」を与えてくれる、奇跡のようなケミストリー(化学)だということです。

公式図録より一部抜粋

先日訪れた『自然と人のダイアローグ』展にあったモローの言葉とつながった気がしました。

自然は心を揺り動かされた詩人の諸感覚の前にヴェールを脱いで姿を現し、霊感を授ける

ギュスターヴ・モロー

まとめ2

分類の仕方で、作品の見え方が変わるという発見がありました。

たとえば、建畠覚造さんの《闇に漕ぐ舟 H-2》という作品。

公式図録より
建畠覚造《闇に漕ぐ舟 H-2》2006

これは病床で描きつづけられたドローイングだそうです。舟に見立てられたベッドが、闇として表現された水面に浮かんでいます。

「水」の部屋で見たからこそ、水面の揺らぎ舟の揺れ夜の水の匂い櫂で水を掻く音…、この作品にある水の存在を全身で感じられたように思います。

また、病床のベッドを舟に見立てる想像力に、実際に足は運べずともその地に思いを馳せ旅ができる「歌枕」の言葉に通じるものを感じました。

+++

こんな風に作品の見え方が変わる構成の展覧会をぜひまたみたいです。マテリアルごとに展示空間が分けられていたので、「水」「木」「金」「土」の世界にうっとりと、どっぷりつかることができた"どっぷりする"最高の展覧会でした。

おまけ1

吉田博《帆舟 夜(後摺り)》1925

なんと吉田博展には無かった帆舟が!!そしてこの青が好きだ!となった作品です。

おまけ2

時間帯がよかったのか、なんと美術館は貸切状態…!1人、「水」「木」「金」「土」の自然にこれでもかというほど身を委ね、どっぷりすることができました。なんて最高に贅沢な鑑賞体験…!

以上です。

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