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お引越しは旅の予感

旅がはじまる予感のビートは、胸が高鳴る音がした。



愛する友達が手伝いに来てくれた引越し。3泊4日のちょっとした小旅行だ。東京と呼べない片田舎の街に、彼女はわざわざ来てくれた。たぶんわたしの引越しがなければ一生聞くこともなかった街だろう。飛行機とバス、電車を乗り継いで着いた"過去の"我が家は、なんだか知らない家みたいだった。

たくさんの想い出が詰まったこの家を出てゆく。そう思うと、切なさと悲しみで押しつぶされそうになる。ふらふらと膝をついて泣き出してしまいそうな日に、最愛と呼べる彼女がいてくれたことは、本当に奇跡みたいなことだった。

「わあ〜荒れとるねえ」そう笑う彼女。我が家は大崩壊、たくさんの悲しみで汚された家。憂鬱という名の煙が染み付いた家は、ずいぶん黄ばんでいた。「さて、やるか!」夕方到着して、すぐに二人で腕まくりする。絶対に4日で帰るぞ!!!と気合を入れまくって開けた窓。風はあたたかく、春の匂いがする。

服を仕分けることから始めて、早速つまずいてしまう。これはあそこで買ったから…、これはあそこで着たから…を繰り返すわたしを見て、彼女は笑い出す。「ときめく、ときめかないやで!」彼女にビシッと言われ、ときめきゲージを確認する。ゲージを振り切ったものだけ、と思いつつ山積みの大切な服。彼女が仕方なく「コレクション」と書いてくれたダンボール箱。わたしの愛と洋服を隅々まで詰めた。

お昼ご飯は、ずっと入る勇気が出なかった町中華。明るくて優しそうな中国出身のお姉さんが迎えてくれ、たくさんのメニューに目を見張る。散々二人で迷った挙句、同じものを頼んで笑ってしまう。アツアツのあんかけが乗ったお野菜たっぷりのラーメン。ふうふう、はふはふ、ふうふう、はふはふ。無言で息の音がする店内は、幸せな匂いでいっぱい。「おいしいねえ」と笑顔が溢れる。

晩ご飯は、近くの焼き鳥屋さん。優しそうなおじいちゃんとおばあちゃん、そして素敵な笑顔のお嫁さんがやっている小さなお店だ。いつも常連さんでいっぱいの店内は、なかなか敷居が高い。テイクアウトで焼き鳥を頼んで二人で取りに行った。すると、「お年玉!」と小さな組紐が結ばれた5円玉を渡された。「ご縁がありますように!」そう微笑んでくれたお嫁さんは、飴玉までくれた。嬉しくって、スキップして家まで帰った。もちろん焼き鳥は塩もタレも最高!ビールを開けてほろ酔い気分、「そうそう、こういうのでいいんだよ」と孤独のグルメの真似をして、二人笑い合う。

次の日も朝から片付けをした。二人の思い出の曲を永遠かけながら、口ずさみつつ進む箱詰め。疲れるたびに時間を忘れるほど話をした。高校で出会った死にたがりのわたしと、死にたがりの彼女。それも全部いつのまにか過去になっていて、時の速さを感じる。「どうしてさ、わたしたちあんなに死にたかったんだろうねえ」笑い話になる未来があることなんて、あの頃の私たちには少しも想像できなかった。"出来るだけ嘘はないように どんな時も優しくあれるように"そう思って生きてきたわたしたちを肯定するように、微かに歌声は流れる。

無事に終わった頃にはヘトヘトで。たくさん惣菜を買い込んで、がらんとした部屋でパーティーをした。思い出を語り合う真夜中、次の日も早いのに寝る間も惜しんで話をした。

「変わったよね」そう彼女が言ってくれる。わたしも自分で変わったな、と思う。

世界一不幸なのは自分だって、ずっと思ってた。けれど、年を重ねて知ったのは"みんな色々ある"ということ。幸せそうに見えるあの子にも、悩みなんてなさそうなあいつにも。それぞれ家族がいて、友達がいて。孤独に押し潰される夜も、希望を持てない夜もきっとあって。世界はわたしだけのものでなく、誰かだけのものでもなく。みんなで支え合って生きていく世界こそ美しくて、痛みや悲しみがあるから味わい深い。

心を閉ざしてしまう夜は今もある。七転八倒しながら世界を憎む夜だってある。"必ず朝は来る"なんて言葉をナイフで突き刺したくなる夜も。でも、夜明けが窓から差し込んで、勇気を出して心の扉を開けば、誰かが微笑んでくれる。足を踏んだ人は覚えていないような世界でも、足を踏まれたわたしにハンカチをくれるひとも、絆創膏を貼ってくれるひともいる。

人間は一人で生きていけないようにできている。それは、誰かを"信じる"という最も美しいことを教えてくれるためにあるのだろう。最低最悪で、最高な神さまは、わたしたちで遊んでいるのかもしれない。でも、それでもいいや、なんて笑える日は必ず来る。恨んだっていい、挫けたっていい。それでも、目の前の優しさを信じられたなら、わたしたちはきっと生きていける。今はそう思う。

「美味しいもん食べれてさ、笑えたらそれでじゅーぶんだよねえ」ほろ酔いの彼女はそう言う。いつだって隣の芝生は青いけれど、わたしにはわたしの芝がある。種まきをして、小さな花を咲かせて。そんな日々の美しさを感じられたら、それだけで。

最終日、荷物を詰めて家を去る。タクシーに乗り込むと、運転手さんが「どこいくのー?」と尋ねてくれる。四国です、と言うわたしたち。「四国は綺麗なところだよなあ、ずっと四国にいればいいんじゃない?」わたしの事情を知ってか知らずか、そう言って笑ってくれた。東京という場所を諦めて、挫折を感じたわたしに優しくその言葉は響く。「いい旅になりますように!」そう送り出してくれた運転手さん。わたしたちの引越しはそうして幕を閉じた。



人生は、旅だ。時間とともに変わってゆく自分と出会い、変わってゆく周りの人たちと出会う。どんな悲しみも苦しみもいつかは思い出になって、わたしたちを慰める。

新しいこの地で、わたしは誰と出会い、どんなものと出会うのだろう。きっといい旅になる、だってあの街がくれたのは優しさだったから。

ありがとう、そして、またね。

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