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私は……。

私は、リサーチが大嫌いな人間だ。

大学に入るまで、何でも自分で調べることを誇りとさえ思っていた。ありがたいことに、卒業論文を書かされる際に自己評価と現実の落差に気づいた。気づくことができた。

調べる癖は付いていると思う。しかし、調べて読むだけである。
一字一句寸分違わずに引用したり、出処を毎回毎回書き留めたりする作業のことが物凄く煩雑だった。
知恵はほしいが、結論とそれを導く過程の要点だけを覚えていれば事足りると思ってしまう節がある。
もっと深く掘り下げたければ、まずは脳内で推測できなさそうなこと探り、それをピンポイントに調べる。そんな繰り返しだ。
ノートを取ることさえ億劫に思ってしまうほどの怠け者の私。そのくせに自分の予想を正しいとつい思い込んでしまい、外の考え方は受け付けず、情報だけ自分の目を通す。

いつまで経っても、視界の狭い人間の出来上がりである。

幸いなことに、就職はできた。
プログラマーの仕事である。
言葉に対する感覚を用いて見出したコミュニケーションとマニュアルとプログラムの書き方の問題点。
直観で見えていた答えをチームに信用させるために、問題点の解決にしっかり取り組んでもらうために、外部サイトを引用していた。正しさと実現可能なのかを証明しなければならなかった。
説得力がなければ変化を恐れるチームに却下される。そして後々になって苦しむのは責任を問われる上司と開発チームの仲間たちだ。

その理由を言ってしまうと、あまりにも胡散臭いから、あくまでも利己的に伝えている。
なぜここまでするのか、という質問は珍しいながらも来ていた。
「1ヶ月後、1年後の自分が困らないようにしているだけだよ」や、
「私は問題を残す人として語り継がれたくない」、
「私は言葉に触れるのが好きだから」、
最悪は無言の笑みさえも。
そんな伝え方ばかり選んできた。
本当は、「どうすれば私がいなくなっても後任が困らないのか」と常々考えていた。職場で言ってしまうと転職を促す発言として捉えられそうだ。団結力妨害で注意を受けかねない、というのは私の脳内にだけ存在する恐怖でしかないかもしれない。

そう。いつも「自分語り」と称しているものは、実はほとんどは生活スライスの皮を被ったアドバイスである。
さもなければ、利己的な思考という「意味のない」時間の過ごし方で自分を許せないからだ。

こうして言葉にしてみると、大きな自己矛盾が発生していることに初めて気づく。
自分はおそらく、人助けしているつもりでいることで自分の精神の安定を図っている、ただのイタい人である。

ちなみに、つぶやきを見てくれた方は、ユングの論文を読むためにドイツ語を習得したと勘違いしてしまうかもしれない。
是正しよう。
私は、もとからドイツ語に憧れていて、覚え出したことがあったのだ。
わずか数ヶ月で未知だった言語の論文が読めるようになった、なんていう超人だと思われていては困る。
文法も単語も要素分解しやすいこと、そしてそれが原因で単語を自由に作れること、未知の単語に出会っても意味が推測しやすいこと。そんなドイツ語に惹かれていた。

単語の暗記で頓挫したけれど。
前の「不純物」の記事にある、ドイツ語で引用したところ。それは実は、複数の辞書と複数の言語の翻訳を照らし合わせて、再構成しているに過ぎない。

何が言いたいのかと言うと、あまり高く見積もられても困る、ということだ。
私は、ただのリサーチが大嫌いな怠け者、小心者、そして善人気取りでしかない。

お高くとまっているつもりはない。
厳しく指導してくれるのも、異議を唱えてくれるのも、寄り添ってくれるのも、

気軽にしてほしいものである。

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