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2023年 桜桃忌

 6月13日(火曜日)

 友人と献杯にアフタヌーンティーへゆく、学生時代から訪れたかった十誡にて、桜桃忌の献杯をする。
 昔から、家族のなかで『お前は、変わっている』と言われてきたが、もう、そんな言葉を気にするほどの自分ではない。例え、誰に何を言われようと『自分は、自分』であり続けるだけ。

背の高いのはシャンパン・低いのはブランデーのカクテル

 桜桃忌について

 今まで書かなかったが、6月19日に三鷹、禅林寺のあの場所へ行こうというのが無理らしい。頭では、そうしたくても、身体は拒否しているせいか、いつも不調になる。毎年のその日は「顔が青白い、何かあったのか」と、言われるが、特段に身体には異常がないと言われ、大抵は夏バテと診断され、点滴を受けている。写真で見る、今年も墓穴に桜桃を詰められた、墓。あの儀式にも、あの光景を想像しても、自分は目眩を感じる。理由は、わからない。
 きっと、考えすぎなのだと、恐らく、あなたは思うだろうか……が、どうしても、無理なことは、自分には、できない。

 今年も、6月19日の三鷹へは、行けなかった。
 Twitterにて、桜桃を代わりに墓穴へと頼まれているが、来年の自分も19日の桜桃忌には三鷹へ行くことができないかもしれない。
(まあ、拠点を三鷹へ移転すれば、変わるかも知れないが……)

 来年は、より資料をまとめて、青森へ行くという計画も、三鷹への移転計画も、ひとつずつ無事に終わればいいなと祈るばかりだ。

 私が、彼の作品について思うことや、研究じみたことを始動させたのは二年前ほどで、本始動はまだ、できていない。

アフタヌーンティーのスコーンと季節の季節のジャム

 作者の命日に、その作者の読者同士があつまり、こうして笑って、作品について語り合っているのをその作者が知れば、どう思うだろうか?

 考えなかったけれど、これを書きながら振り返り思った。

 今の歳を考えると、自分は、そろそろ人生というものでは折り返し地点だと思う。十代の頃に憧れた場所で、ベルを振れたことも、気の許せる友と過ごす時間も、すべて幸いなことだと思う。

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