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辻タダオの三多摩だより29

更新のペースあげるぞおおおお
みたいなことを書いておきながら全然あがってない
「有言不実行」ぶりを発揮しているのは
パソコンが壊れたりなんだりとバタバタしてたからで
決して自分のせいではないのだ。
何かと「自己責任」と言い募るのはもうやめているのだ。

で、相変わらず「派遣」「日払い」の件は
ネタにする機運が盛り上がることもないので
日々の主戦場となっているツイッターにおける
自分のツイートを肴にして一杯いかがですか旦さん
ってなノリで今回は流す。

で、これはどういうことなのかというと
小学3年から5年くらいにかけて
学童保育に通ってたんだが
その頃は学童保育が主導して「習い事」をさせていて
その中に「絵画教室」もあったわけだ。

当然のことながら自分で行きたくて行った場所ではない。
なにしろ図画工作苦手のブッキーであるから。

上記ツイートでは端折ってるので
若干
というか端折ったおかげで事実伝達という意味では
歪みが生じており
「学童保育」が通常行われている教室とは別の場所の
「絵画教室」にわざわざ歩いて出向いて行ってたのだ。

特に好きでもないものを習いにわざわざ歩いて出向く
なんてなことは
物心つく前の洟垂れ児童にとってはそれだけで苦痛であり
そこへもってきて
自分の好きな言葉で交通安全ポスター描きなさい
って指示に忠実に従って
しかも自分の「実感」から
「青でも突っ込んでくるヤヴァイ車いるぜー」
ってのをテーマに掲げて黙々と
下手な画力でも堂々と字をデカデカと
描いてたってのに教室の講師だか教師がいちゃもんつけてきたのだった。

「絵画教室」であるからして
「字」とか「言葉」とかより
「絵」に主眼を置けよ、と言いたかったのかもしれない。

が自分は「絵」より「言葉」や「字」の方が楽なのである。

真向から利害が対立していた。

しかしながら「早熟」とは縁遠かった自分は
こうゆう場合言い返す言葉を当時持っておらず
ただ内心で立腹した、と。

と思うのだが実際どうだったのかは
遠い過去過ぎてほんとのところわからない。

その場でダダこねたり
泣き出したり
してたのかもしれない。

ただやはり児童初期中期の自分には
「自我」というか「自意識」みたいなもの、
というより「自己顕示欲」のようなものは
ほぼ皆無だったように思うので
こういう理不尽な局面において
「忍」の一字であったことが多かったはずだ。

未熟児で出生し身体つきも小さい部類だったので
気に入らないことに対して腕力で訴えるなんてことも
ほぼ皆無だったし。

ただ「内心で立腹」した、という記憶になってるのは
やはりそのどう考えてもその時期全般に渡って
「やられっぱなし」ではなかったし
何かにつけ怒ってたような感じは濃く脳裏に残っている。

よくはわからないが「早朝性反逆症」みたいなものか。

でいまになって
ああ、あの頃大人のいうこと素直にきいておけばよかった
ってな具合に後悔する気持ちは毛ほどもないかわりに
あの頃の自分が「ほんとうの自分」だとも思わない。

ただ今はもう
朝っぱらからいちいち何かにつけて反逆するにはならん、
とシンプルに考えて過ごす日々である。








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