見出し画像

納豆とシュークリーム(朝ドラ『エール』第8週に寄せて)

NHKの朝ドラ『エール』が面白い。

観たことがない方のために。
『エール』は福島県出身の作曲家・古山裕一をめぐる物語だ。

日本が生糸輸出量世界一となった明治42年、急速に近代化がすすむ福島の老舗呉服屋に、のちに多くの名曲を生み出すことになる作曲家・古山裕一が誕生する。老舗の跡取りとして育てられた裕一だが、少々ぼんやりしていて、
周りには取り柄がない子どもだと思われていた。しかし音楽に出会いその喜びに目覚めると、独学で作曲の才能を開花させてゆく。
青年になった裕一は、一度は音楽の道をあきらめようとするが、ある日家族に内緒で海外の作曲コンクールに応募してなんと上位入賞を果たす。それをきっかけに、裕一は歌手を目指している関内 音と知り合う。福島と豊橋―遠く離れた地に住みながらも、音楽に導かれるように出会った二人は結婚する。そして不遇の時代を乗り越え、二人三脚で数々のヒット曲を生み出していく。(公式サイトより)

特に、今日(5/21)の回は最高だった。

上京して1年あまり、その間の裕一の「曲が書けないという絶体絶命の挫折」が先週後半から引き継がれたテーマであり、今週はそこに加えて、早稲田大学の応援歌を依頼されてそれでもなお書けないという葛藤のプロセスを通じて、「挫折からの再生(更新)」が描かれている(正確には明日金曜日が今週ラストなので描かれていく「はず」だ)。あまりにも面白かったので、その理由を書いておきたくなった。大きく3つの観点からお送りする。

ドラマのモチーフである『エール』

冒頭から結論めいたことを書くことをお許しいただきたい。
『エール』とは、つまり「応援歌」のことだった。まあ、いざ書いてしまえば、なんということはない。文字通りも文字通りである。

そもそもの裕一のスランプ(不調)の原因を探ると、「国際的な作曲コンクールを受賞した自分」という自己像と、実社会における他者からの評価が一致せず、結果バランスを崩し、自己像にすがり、ますます自己像が歪んだ形で肥大化、その狂った自己像の虜囚となっている(どこまで言っても、自分、自分、自分・・・の無限ループ)、そんな感じだ。

不調のきっかけの一つたりえたのが他者の存在だったとしたら、その不調をまた回復に導いたのも、他者の存在だったように思う。

今回の後半部で「なぜ自分が応援をするのか」という自身の核にある個人的なストーリー(WHY)を裕一に向けて絞り出すように語った早稲田大学応援団の団長。その個人的な物語と、そしてその彼自身の個別的な呼びかけに応じるように、今回のラストで裕一は「明日までだね?」と清々しい表情で応援歌を書くことを腹に決めている。彼は終始「書かないんじゃない、書けないんだ」と言っていたが、本当のところは種々の理由をつけて「書かない」だけだったのだろう。大衆向けの歌をつくるなど、西洋音楽の才のある自分のやることではない、と。

その直前、団長の物語に心を動かされ、観念した裕一の、苦笑まじりの応答もまた良かった。

裕一「なんで僕なんですか?」
団長「(中略)先生は不器用やけん」
裕一「(呟き声で)なんだ、賞を獲ったからじゃないのか・・・(苦笑)」

匿名的な「実績のあるすごい人」だから頼みたいのではない。
他の誰でもない、「あなた」に呼びかけている。

初めから自分があるのではない。他者の存在があって初めて、自分の存在(輪郭)が規定される。僕はこういう物語が好きだし、こういうのにとことん弱いという自覚がある。

15分の物語の中のつながり(リレー)

団長のストーリーテリングの締めくくりに述べられた以下のセリフは、今回の15分間の物語を象徴しているし、おそらく半年間のドラマ全体をも象徴しているのだろう。

「頑張ることは、繋がるんやって」

冒頭から、裕一と団長の「シュークリームの氷解」(後述)のラストまで、1本の糸のようにリレーがつながっている。

裕一の挫折に対して、どうすることもできなくなった音(裕一の妻)は、実家に帰省するが、そこで姉の婿候補と出会う。夕食の席で、音の母(薬師丸ひろ子)から裕一の挫折に対して意見を求められた彼は、軍人という自身の職業を引き合いに出しながらこう答えた。音楽のことはわからないが、自分が務めを果たせるのは「誰かのためだからです」と。

この回答にヒントを得たらしい音は、急ぎ東京に戻り、前述の応援団団長にもう一度裕一を説得してもらうよう懇願し、焚きつける。

「あなたのために(応援歌)を作ってもらうの」
「早稲田大学の勝利も、古山家の未来も、作曲家・古山裕一の将来も、あなたの双肩にかかっています。がんばって!」

最初は戸惑う様子こそ見せた団長だが、音の最後のこの一押しを受けて、覚悟を決めたような表情を浮かべる。そこから先に述べた裕一に対する物語りにつながり、その呼びかけは、ついに裕一を動かした。

〈 軍人の姉婿 → 音(妻)→ 団長 → 裕一 〉と見事に15分間のバトンは繋がれた。美しいストーリーラインだと思った。

納豆とシュークリーム

先日放送回のミルクセーキとコーヒーの対比表現も良かったが、今回は納豆と、そしてなんと言ってもシュークリームである。

妻が実家に帰ったという非常事態を裕一が相談してか、あるいは心配で向こうから訪ねてきてくれたかわからないが、裕一の元にやって来た古い友人のヒサシ。裕一とヒサシが2人で朝ごはんを食べるシーン。他愛もない雑談をしているのだが、この間、カメラが捉えているのは朝食の納豆をかき混ぜる手元だけだ。発話に合わせて交互に納豆のネバネバが映される。この納豆がこんがらがった今の状況を表しているのだなどと考えるのは野暮ったいだけだ。それはわりとどうでもよくて、単にこの演出が好きだった。

納豆対納豆。

このヒサシというのが、良い働きをする男だ。そもそもこの早稲田の新作応援歌の依頼を裕一の元に招き寄せたのも彼だし、音(妻)が不在の間、裕一の良き対話相手となって、彼の内省を静かに手伝っている。学校をサボってシュークリームを買ってきて「君が書けるまでいるよ」と曰うヒサシ。「その割には、せっつかないんだね」と感心する裕一。

ヒサシ「自分で気づかないとね。人は変わらないから」
 裕一「僕は変わったから、書けなくなったんだ」
ヒサシ「それは違うよ」

そこへ音の説得で動いた団長が古山家に駆けつけ、ヒサシは子ども時代からの得意技・瞬間移動を発動して、舞台から消え去る。

三度繰り返すが、その後に団長と裕一の例のやりとりが行われる。

最終部、「明日までだね?」と裕一、「はい」と団長、「はい」と観念した裕一。ここで美しく終わってもいいはずなのに。いいはずなのに。もうちょっとだけ続く。

団長「先生、ちなみにこん食べ物はなんですか?」
裕一「シュークリーム」
(シュークリームをかじる団長)
(少しの間のあと、2人同時に息があって)「うまかー!」(つづく)

なんですか。いまだかつてこんなに美しい終わり方をする朝ドラ回があっただろうか。これが僕が「シュークリームの氷解」と名づけた、朝ドラ史上屈指の美しい最終シーンである。まさかのシュークリーム終わりである。

とあるノンフィクションをベースに制作にされた映画のストーリーの核には、こんな言葉がある(あまりに好きすぎで自社のコンセプトに引用してしまったくらい、好き)。Happiness is only real when shared.

あの魂の込もったやりとりの後というこのタイミングで、この同じシュークリームの美味しさをシェアしたこの2人は、絶対に良い友人になれる予感しかしない。このシュークリームが、ゴールであり、新しいエールのスタートなのだ。いいよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?