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クラスター社を卒業して沖縄へ

直接ご連絡ができなかった方にはこのnoteでお伝えするのが最初になりますが、2023年6月末日を以って、トータル6年半関わったクラスター株式会社を退職しました。当初7名のタイミングで参画しましたが、なんと今では250名ほどの組織になりました。

ちなみに、揉めたりということは一切なく、むしろどうしても新しいチャレンジがしたいという私の我儘を聞いてくださった既存メンバーや経営陣、株主の皆さんには心から感謝しています。そんな自分を温かく送り出していただきありがとうございました。

自身のキャリアで最も長く務めた会社でもありますし、クラスターやメタバースに興味を持たれている方にも自信を持ってオススメできる会社なので、この折に振り返りも兼ねてつらつらと会社の軌跡に触れながら書いてみようと思います。クラスター社に興味を持った方に少しでも参考になれば幸いです。

クラスター社との始まり

代表の加藤さんは大学時代の同級生です。二人とも京大生協学生委員会という生協系サークルに所属していました。当時の加藤さんは誰の目から見てもわかりすいガリひょろなオタクだったのを覚えています。

時期はうろ覚えなのですが、確か2015年の前半の頃だったか、当時まだ京大で引きこもっていた加藤さんから突然久しぶりに連絡をもらいました。内容は「スカイランドっていうベンチャーキャピタルが会おうって連絡してきて、今度東京行くから久しぶりに会おうぜ」的な話でした。

当時は株式会社LiBという人材系スタートアップに務めており、当時全社一丸となってエンジニアを探し求めていたので、これぞ渡りに船と思ってLiBの当時のCTOと3人でランチをしたのを覚えています。

結果としては、まぁ彼が誰かの下で収まるタイプであるわけもなく、そのランチ会は特に盛り上がりを見せることなく終わりました(笑)

程なくして、加藤さんから「出資を受けて起業することにした」という連絡がありました。その際に「まだ最初はプロダクトを作る段階だけど、プロダクトができた頃に呼ぶわ」というようなこともノリで?言われた気がします。

2016年10月、初訪問時の写真

そんなミイラ取りがミイラ的な伏線もありつつ、2016年10月にクラスター社を初めて訪問し、その時にバーチャルボーイを除いて人生で初めてのVRを体験しました。(※ちなみに初めてのコンテンツは「ROBO RECALL」でした。)

初VRプレイの様子

そこで加藤さんが、VRゴーグルの先に見る壮大なビジョンを語ってくれました。当時加藤さんが言っていたのは以下のような内容でした。

  • あらゆるものがテクノロジーの進化によってインターネットに乗っかっていくトレンドは不可逆

  • 従来インターネット上に再現できていなかった一体感・熱狂感が、VRテクノロジーによって実現しうる

  • 人類は今以上にお金や時間をインターネット上での体験に費やすようになる

  • 将来あらゆるコミュニケーションや経済活動がバーチャル空間で行われるようになるが、その中心にあるプラットフォームを自らつくりたい

  • コミュニケーションの場所も益々インターネットに移り、リアルな体験やコミュニケーションは、特別な誰か(家族・友人・恋人等)と行う贅沢なものとなっていく

今見てもこの言葉たちは色褪せることなく、むしろその未来に向けて真っ直ぐ進んでいるようにも見えます。

私自身の軸としては、社会人になって以降ずっと変わらず、むしろより一層の危機感を持って「日本をもっと元気に」というモットーでやっています。デジタル敗戦という言葉でも揶揄される通り、日本は特にIT/インターネット産業でボロ負けの状況です。海外に出ていくどころか、国内マーケットもSNS含めて海外製(主にアメリカ)のサービスが多いです。

日本が散々負けてきたこの領域の中で日本が勝ちうる領域なんてあるんだろうか?

これについてはずっと思案していました。そんな中、加藤さんと話せば話すほど、VR(今で言うメタバース)はもしかするとインターネット領域で唯一日本が世界を取れるかもしれない。いや、むしろここを取らないとどこで取るんだ?と思うようになりました。

VRはゲームの技術をベースに動きます。それは任天堂やソニーを生み出した日本人の得意な分野という観点でも、ソシャゲを含めた豊富な開発人員が人材マーケットに存在するという観点でも日本に強みがあります。

また、当然ながらバーチャル空間をつくっただけではコンテンツがありません。その観点でも、ポケモンやドラゴンボール、ワンピースといった世界に誇れるIPを多数抱える日本は勝率が高いと思います。

さらに、この空間において最も重要なのが、自分という存在を投射する「アバター」という要素。これについても、ジブリ作品や「君の名は。」等で世界に認められるキャラクターを日本人クリエイターが生み出すことができるし、世界で初めてバーチャルYouTuberが誕生したのが日本だという文化的な土壌を考えてみても、ここまで日本が勝ちうる条件の揃っているドメインはないのではないでしょうか。

これが、私がこの事業領域にコミットして本気で日本から出ていく世界的なインターネットサービスをつくりたいと思った背景です。そんなこんなもあって、2016年末に岩崎のミイラ化が決まりました。


会社の軌跡と自身の役割

入社後の会社の話でいうと、創業当初から5周年に至るまでの軌跡をこちらのnoteにまとめていますので、ご興味ある方はぜひご覧ください。ここに書いていないことも含めて、なかなかにトライ&エラー満載のスリリングが時間を過ごさせてもらいました。

ちなみに自分の役割はというと、入った当初はまだ7人しかおらず、その上自分以外が全員開発者という状況でした。そのため、開発以外のすべての業務(事業開発や資金調達、月次決算から椅子の組み立て、豆乳の補充まで文字通り何でも)を担当し、肩書は当初COOと名乗っていました。新卒で総合商社に入社して会計や税務、財務の仕事をした後、その次のスタートアップで営業や事業開発の仕事をしていたのが結果的に何でも屋としてぴったりハマった格好となりました。

そこから3年経った2020年の頃、当時従業員全体で50名ほどとなり、(不謹慎ながら)コロナの追い風もあって法人向け案件のニーズが急増する一方で、IPOに向けた最初の準備(監査法人選定等)も始まってきました。

さすがに規模的にも責任範囲的にも、法人向けビジネスの責任を持ちつつ、経営管理や人事組織も見つつIPO準備を進めるのは手一杯の状況となっていたところ、ちょうど縁あって入社した元サイバーエージェントの成田さんにCOO(当時は法人事業統括がメインミッション)を引き継ぐことになりました。入社日当日、全社会での自己紹介で「得意なことは営業です」と自信満々で宣言していたのを今でも覚えています。新たに心強い経営メンバーを迎えられたことで、この会社の成功確率の高まる音が聞こえた気がしました。

その後、IPO準備やガバナンス強化の中で経営管理の業務が増えてくるとともに、ますます加速する採用オーダーや組織拡大対応するための人事業務も増加してきたため、CFOと人事責任者で業務を分担することに決めました。実は正式にこの会社に入った2017年、最初にご飯に行って「いつかうちでCFOやってくださいよ」とやんわり声を掛けていたのがLiB時代の同僚宇佐美さんでした。5年越しのラブコールに応えていただき、CFOに就任していただくこととなりました。

そして意外と外部に知られていないのですが、クラスター社で最も大きな組織を率いているのが共同創業者でCTOのじょんそんこと田中宏樹さんです。彼のおかげで恐らくスタートアップ界隈では最強クラスの開発力を誇り、かつ離職率も異常値と言えるほど低いです。先日8周年を迎えましたが、最も人数の多いエンジニアでも累計で数名しか辞めておらず、デザイナーやPMに至ってはまだ辞めた方が一人もいません。クラスターの加速を支えている影の立役者です。


クラスター社の現状と展望

上述の通り、これまで岩崎が何でも屋として担っていた各ファンクションを、会社や事業のフェーズ変化に合わせて、より適任な各領域のプロフェッショナルにバトンタッチすることで、それ以前より強化された体制へとアップグレードされてきました。ちなみに、最後まで手元に残った人事領域についても、人事企画と採用に強みを持つお二人にそれぞれバトンを託しています。

役員を含めたマネジメント体制が拡充されるとともに、自身もがっつり関わってトータル53億円という大きな追加資金も得ることができました。マーケットが冷え込み、会社を畳むスタートアップも少なくない状況でここまで資金が集まったのはありがたい限りです。業界でもインパクトのあるこのファイナンスはまとめ上げたCFO宇佐美さんの手腕はお見事でした。

こうしてヒトとカネという最重要リソースを潤沢に確保し、これからクラスター社は教育分野やグローバル展開など、さらなる高みを目指して新たなチャレンジをしていくフェーズに突入しています。

とはいえ、まだ何か成功の確定した状況にあるわけではなく、日本発で世界を席巻する企業になっていくためのスタートラインにようやく立ったタイミングとも言えるかもしれません。

ここからまだまだいろんな困難や挑戦があると思いますので、日本をなんとかしたいと思っている方、メタバースに未来を感じた方はぜひクラスターの門を叩いてみてください。


一番大変だったこと

せっかくの機会なので大変だったことも書いていきます。
最も記憶に残っているのは、2018年8月にSony Musicさんと共に行った世界初の商業VR音楽ライブです。

2017年末から突如ブームとなったバーチャルYouTuber。その中でも当時チャンネル登録者数が2番目に多かったのが輝夜月(かぐやるな)でした。当時、世界的に見てもVRライブを興行としてこの規模で実施するというのは世界初の試みでした。

体験としては、VRゴーグルを持っている方が1枚5,000円のチケットを購入し、当日自宅からVR空間に入ってライブに参加するというものでした。また、VRゴーグルを持っていない方向けに全国14か所の映画館と連携してライブビューイング会場も用意しました。

数千人の方がVR空間か映画館に同時刻に集まって行う音楽ライブ。これが成功すれば世界に先駆けて新たな市場を切り拓いていくことになる一方で、ここで失敗するとなれば日本のVR業界の歩みにブレーキをかけることになりかねません。

実際、どこにも前例のない体験を提供するため、オペレーションの面でもシステム開発の面でも相当な試行錯誤を繰り返したのを覚えています。ライブ開催日までの日数が少なくなってくる中、当時まだ少ない人員で夜な夜な(日によっては朝まで)リハーサルを繰り返し、みんなでより事故発生率の少ないオペレーションやシステムのアイデア出しに知恵を絞りました。

その一方で、並行してクラスターはシリーズBの資金調達にも動いていました。手持ちの資金にはまだ少し余裕があったものの、もし万が一ライブ当日にトラブルが発生して中止にでも追い込まれたら…。今考えてもゾッとしますが、その万が一が起こったら資金調達ができない、つまり会社が死ぬ可能性も出てくるかもしれない。だったら、会社の財務を預かる身としてはなんとしてもライブ当日までに着金まで漕ぎ着けたい、そんな思いでした。

事業開発を担う身としてVRライブ推進のフロント業務も行いながら、並行して調達活動とそのドキュメンテーションを進めるというのはなかなかにハードでした。それでも会社の未来のためにも両方達成しないといけないと自分に言い聞かせて奔走しました。

いろんな方々のご協力も相まって、VRライブの前日(ギリギリ!)に4億円全額が無事口座に入金され、VR音楽ライブ自体も大成功に終わりました。きっと今振り返っても日本のVR業界の歴史に刻まれるイベントだったと思います。実際にこれ以降、上場企業を含めて大小様々な会社がVRライブ事業に参入していくことになりました。


一番恵まれたこと

逆にクラスター社が本当に恵まれてると思ったのは株主の方々です。

まず何よりも、京都で引きこもっていた加藤直人という一つの才能を、社会に引っ張り出してくれたのがSkayland Venturesの木下さんです。シード期の2回、シリーズA、そして直近のシリーズDに至るまで、加藤さんとクラスター社の可能性を信じてなんと累計4回も投資をしてくれています。

また、シリーズAの調達活動をしていた2017年は巷で「VR冬の時代」と言われてる厳密期に突入しており、その調達は相当に難航しました。それでもVR技術の先に来る加藤さんのビジョンを信じてエイベックスさんやユナイテッドさん、DeNAさん、個人投資家の方々に支えられて2億円のラウンドをクローズすることができました。

正直調達はできたものの、我々が正式ローンチしたばかりの「cluster.」というサービスは好きなアバターも使えず(ロボしか使えず)、好きな空間(ワールド)もアップロードできず、今と比べると自由度に乏しい状態でした。ローンチ当初は多少使われたものの、人が滞留するようなコンテンツもなく、正直誰も使っていない日も結構ありました。

そんな中でも、株主から厳しくゴリゴリ詰められたり、質問攻めにされるようなことはありませんでした。SNSのようなコミュニケーションサービスを当てようとしている中で、加藤さんを激詰めしたところでサービスが伸びる訳ではないと私も思っていたので、サービス開発に集中させてもらえた(良い意味で放置していただけた)のは大変ありがたかったです。

また、直近ラウンドではすでにIPOを見据えた会社フェーズに移行しており、法人ビジネスが売上のベースをつくりつつ、CtoCのクリエイタービジネスや海外展開を本格的に立ち上げていくところにあります。今度は逆に、IPOに向けてガバナンスを強化していく必要があるので、新しい投資家の皆さまには良い意味で気になるところはしっかりと突っ込んでいただいています。

今振り返っても、クラスター社は必要なフェーズに最適な投資家の方々に入って来ていただけて非常に恵まれていました。私が去った後もクラスター社を陰ながら支えてくださる大事なパートナーとして、今後ともよろしくお願いいたします。

最後に

最後に会社ではなく自身の話を書いてみます。

「自分は何屋なのか」

クラスター社にいた時も、そして今この瞬間も現在進行系で考え続けている自分への問いかけです。

法学部出身で、商社では連結決算や税務・M&A等を担当とし、人材系のスタートアップでは売上ゼロからの営業や法人サポート組織の立ち上げ、WEBサイト企画等を経験しました。休みの日にプログライミングスクールに通ってHTMLやCSS、Rubyを勉強し、分析用にほぼ独学でSQLを覚えて業務で使っていました。クラスターに入ってからは事業開発やPMっぽいことをやってみたり、Unityやモデリングツールを触ってみたり、資金調達や採用、法務、労務、総務等、求められることは何でもやってきました。業務や社内コミュニケーションで必要と判断して(睡眠時間を削って)アニメは100本以上見ましたし、PS4とSwitchを買ってゲームにも勤しみました。

周囲の方から「なんでもできて凄いですね」と言われることもあります。

でも、果たしてそうなのか?

確かに何でもやってきましたが、逆に言えばこれだけは他の人に負けないと思える専門領域を持っていないのがコンプレックスでもあります。

クラスターの会社と事業のフェーズが進んでいくにあたって、会社の成功を願って合理的に考えるなら、圧倒的に営業の強い人を法人部隊の責任者に連れてくるべきだし、私のようななんちゃってCFOではなくて、投資銀行や会計士キャリアでバリバリ強い人を連れてくるべきだと思いました。(そして実際にそうしました)

じゃあ何か一つの領域に決めて専門性を磨いていけば良いのでは?

これについてもずっと考えていますが、現時点でこれと思える領域に絞れていないのもありますし、絞るのが正解かどうかもわかりません。例えば、事業部を経験した人事の方が、より現場の気持ちのわかる人事施策や制度設計ができたりします。

そもそもなんでこんな何でも屋なキャリアになったのか。

上述の通り、社会人になって以降、自身の軸は「日本をもっと元気に」です。この生まれ育った日本という国がこのまま衰退していくのは悲しいし、未来の子どもたちが前向きに生きていける国にしたいと強く願っています。

もしかするとまだ見ぬ事業、私が想像もしていない事業がその突破口になるかもしれないと思うと、どんなことにも対応できるオールラウンダーになっていたいとぼんやり考えていたのがキッカケだったのかもしれません。

事業を任せられる人材になるためには「営業・企画系能力」と「経営管理系能力」の掛け算が必須だと考え、新卒の商社では管理部門を希望してゼロから簿記を勉強するところよりスタートしています。

次の人材系スタートアップでは、社員5人しかいなくて売上ゼロのThe立ち上げフェーズに入りました。そこで未経験から1号営業マンとして採用いただき、信頼のおける元リクルートの役員の薫陶を受けつつ、リストをつかって上からテレアポ(リクルート用語では"テレクリ")して見込み顧客に突撃していきました。

一応はこんな狙いもなんとなく持っていたし、そもそも新しいことや変化が好きな人間なので、目的にも性格にも合致したキャリア戦略でした。

実際、大手もスタートアップ立ち上げも経験し、管理系も営業系も一通り経験している人材は少ないです。今でこそ当たり前になりましたが、2014年に三菱商事を辞めて名もなきスタートアップに行く人なんて皆無でした。

そんな珍しい経験も手伝って、加藤さんがクラスターに誘ってくれたのだと思っています。そういう面白いチャレンジの機会が舞い込んで来やすいように、人生の要所要所で人とは違う意思決定を行ってきた結果なのかもしれません。

普通の人なら尻込みする選択も、逆に不確実性が高いからこそ刺激的でワクワクして選んできました。そういう意思決定をした方が、のちのちの自分の人生に大きなリターンとして返ってくるのでは?という打算的な直観もありました。私は自分のことを「運が良い」と自認していますが、チャンスが訪れやすい選択を繰り返し、いざそんな機会が来たら直観を信じて「えいや」で掴んでみるという心構えはバッチリだったように思います。(普段の業務ではリスクを極小化する志向が強く、また元々もきっちりしている性格なので、節目の大きな意思決定にはいつも周りから驚かれます)

そういった経緯なので過去の意思決定については特に後悔はしていません。ただ、会社が大きくなるタイミングでは、その後のキャリアや専門性のあり方について頭を悩ますかもしれません。

まぁでもそれはそれで人間らしくて良いのかもなとも思っています。何も悩みがない人生はそれはそれでつまらないし、キャリアに関して健全に悩めるのは自身のあらゆる可能性に対して常にアンテナを張ることになるのでむしろポジティブだとも言えます。



さて、長くなりましたが、そんな自分に転機が訪れました。

元々週1で行っていたリモートワークがコロナによって大幅に増えました。それに伴って、必ずしも都心に住み続けなくても仕事とそれ以外の時間が両立できるようになりました。

その時に真っ先に思ったのが、長年住み慣れたこのコンクリートジャングル・東京を離れたいという感情でした。本能的にもっと自然に溢れた環境を欲していました。それは下関にある島で海に囲まれながら漁師の孫として育ったのも関係あるかもしれません。

何にせよ思い立ったが吉日。週1は五反田へ通うことも鑑みて、大学時代に4年間住んだ大好きな京都へと移住することにしました。京都では週に何度も大文字山や比叡山を駆け回る生活を1年ほど送った後、全国のいろいろな場所を転々とするホテル暮らしを9ヶ月ほど経験しました。

極寒の中、後悔するほど軽装な比叡山初登頂

そういった生活を送る中で、ある意味メタバースとは真逆の、自然や歴史、文化、食、安全といった極めてリアルな価値を再認識するとともに、そこに何か自分が仕事として関われないかと考えるようになりました。

「日本をもっと元気に」という想いに対して、初めて自分の中でどうやってそれを達成するのかという「How」が芽生えました。この日本にあるリアルな価値をもっと輝かせたい、しかもそれを小さいな規模でやるのではなく、GDPレベルでインパクトのある事業をやりたい。そんなことを思うようになりました。

そんな折に、たまたまあるプロジェクトとご縁がありました。

次の舞台をバーチャル空間から沖縄に移して、またもや立ち上げフェーズです。これで3社連続3回目となります。このnoteを読まれている頃にはすでに自分は沖縄に居を移しています。

知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、2025年に沖縄本島北部に大規模なテーマパークが開業する予定です。ディズニーランド以上の敷地面積に約700億円かけて現在絶賛建設中のところです。

このテーマパークはUSJのV字回復で知られる森岡毅氏が率いる株式会社刀のプロジェクトとしてスタートし、現在は株式会社ジャパンエンターテイメントという会社が中核となって開業準備を進めています。

今回、その数名しかいない開業準備室の一人として、沖縄と日本の未来を背負って新たな一歩を踏み出します。客観的に見ても、何でも屋というのは立ち上げ期のカオスとの相性が良いので、新たなフィールドで獅子奮迅の活躍を見せられればと思っています。


改めて、自身の我儘を聞いてくださった皆さんには心より感謝しています。クラスター社で学んだこと、経験したことをフルに活かして邁進してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

クラスターの社員や経営メンバー、株主、企業、ユーザーの皆さま、本当にお世話になりました!沖縄に遊びに来られた際にはぜひご一報ください。


おまけ

2017年のIVS LaunchPad優勝を果たしたプレゼンです。
今見てもまったく色褪せない、clusterのエッセンスが詰まった加藤さんの最高のプレゼンです(岩崎のお気に入りです)。見ていない方はぜひ見てみてください。

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