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今日のあるある「ペヤングとか、お湯をちょっと入れた段階でお湯がなくなると完全に進退窮まる」

かなり腹が減っているゆえ、目を疑う時がある。こういう絶体絶命な状況といえば、「風呂から上がってから、バスタオルが外に干しっぱなしだったことに気付く」もある。なにごとも事前の準備・確認は必要だ。

でも僕はnoteに関しても、これと似た状況にあるような気がした。

noteをはじめたのは半月くらい前の、4月のはじめであった。すでに3つほど記事を書き、使い方を結構把握した。HTML編集がない、大見出しだけで中見出しがない。シンプルなスタイル。確かに手軽で面白い。人のブログとかあまり読まない派だった私も、ふしぎとnoteは読まされる。よーしやるぞ。

しかしよく考えると、今何かを始めるのは結構危険なのかもしれない。だってまだ湯が沸いていない。コロナの問題で、色々なシステムや、世界の経済構造全体が根底から変わっていきそうな、その途中なのである。不景気も来るらしい。大量生産・大量消費の必勝セオリーが通用した2010年代も終わるらしい。で、次に何がはじまる?というと、特に政治・経済に明るくない私は皆目わからない。

そんな時はとりあえず、打球が飛んで来たらすぐに動けるようにつま先重心でいるべきかもしれない。そもそもnoteをはじめた理由もよくよく考えてみると「コロナで暇。」あるいは、「緊急事態宣言とかなんか怖いし、誰かと話がしたい。」といった薄弱で、軟弱なものだった気もしないでもない。

なのにはじめた。

あとはソースと青のりでどこまで味を誤魔化せるかである。

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