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#042 30年後の2月の勝者になるために

今日は、教育格差に関する文献を読んでの所感。

親の学歴と子どもの学歴には相関がある、という文献をいくつか読んだ。そりゃー、まー、そうだろうな、と思う。因果関係は定かではないが、能力という遺伝の部分もあるし、大学へ行くことが前提、みたいな家族の基本的な考え方という部分もあるだろうし、教育を受ける選択肢が豊富にある、という環境要因もあると思われる。

さて、そんな文献を読了後、父親が中卒ヤンキー、母親は高卒、しかし、私は大学院卒という、いわゆる第一世代の私が何を思うのか、というと。両親が大卒であるということは、一つの分かりやすい目印である、が、実際に、因果として関係するのは、別の軸なのではないか、と思っている。

私が読み漁った文献の一つに、私のような下剋上系、第一世代の人も、ある程度、金銭的もしくは文化的に恵まれた環境であった傾向が高いと書かれているものがあった。別の文献には、家庭内の文化資本の量が多かったり、父親が管理職以上であることが多いという調査結果が載っていた。

私は、まさにこの結果にどんぴしゃに引っかかっている。私の両親には学歴は無いものの、家にある蔵書の数は、中学生までに出会った友達の誰の家よりも圧倒的に多かった。そして、私の伯父・伯母の家にある蔵書数は、我が家のそれを遥かに凌いでいた。もう一つの要素として、私の父親は、小さいながらも、土建屋を営んでおり、そして、父の兄弟には、他に3人の経営者、姉3人はすべて教員をしていた。文化資本の量と、そこで話されている事柄の教養レベルは非常に高かったといって良いと思う。

つまり、いくつかの文献でも指摘していたことに私も同意で、その家庭の学歴水準ではなく、その家庭の文化教養の水準によって、子どもの学歴が影響されるという至極ごもっともな話でしかないと思っている。

さて、そう思うと、同じ大学卒の中でも、文化教養レベルには大きな違いがあるように思うが、悪いながらも安定した日本経済といまだに残る終身雇用のおかげで、経済的に困窮していない同年代の親がたくさんいて、彼ら・彼女らは、自らの経済力を用いて、子どもへの教育投資を行っているのが、今の中学受験そのものだと思う。

中学受験の波を初めてかぶってみて、改めて、この受験自体になんの意味があるのだろう、と考えてしまう。これから過去問を解きまくる季節に入ってきたが、父は息子に、受験勉強も大事だが、毎日、必ず読書をすることを優先させなさい、ということにした。

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