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(聖) なぜ人に感謝しなければならないのか? (聖書の学び 15)

人に感謝することは良いことだと知っている人がほとんどだろう。これは信仰心の有無にかかわりなく、そうであろう。問題は、なぜ感謝した方がいいのか?という理由である。

無信仰な者は、とりあえずいろんな理由を持ってくるだろう。その根拠は人それぞれだ。だから、「感謝の根拠」を「利を得るための手段、戦略」と捉える人もいるだろう。ビジネス系の自己啓発本でたまに見かける。

では、聖書の教えではどうか。

心からの反省、神の祝福(愛)、感謝、はごく自然な流れ

聖書では、これなのである。神に対する懺悔、祈り、祝福への感謝、これは自然の流れなのです。

さて、では人に対してはどうか。これもまた、同様です。人は皆、神の子、兄弟たちです。神を愛する者にとっては、神の子たちを愛することもまた、自然なことなのです。神への懺悔と、許しと祝福に対して感謝するように、人同士であっても、反省し、許し、許され、感謝し合うことになるのです。

答え

神に感謝することが自然であるように、神の子たちである私たちが互いに感謝することは、自然なことだから。するべきとか、した方がいいというレベルではなく、感謝することそのものが、まるで最初からあったかのように、自然なことだから。

ただし、信仰のない者にとっては、そのような考え方がないから、何かへの信仰心の有無によって、感謝できるレベルが異なる。「すべきか否か」というように。

ここまでで、わかりやすいように私たちのことを神の子と表現しましたが、聖書での解釈によっては正しくない表現かもしれません。ご容赦ください。より正確には、私たちは神による創造物であり、神から生まれたというよりも、神によって作られた存在です。旧約聖書の創世記参照。故に死して土に帰る肉体があります。神の子は「イエス様」を意味するように表現されることが多いと思います。
聖書における「子」とは、文脈によって読み替える必要が多いです。普通に人間の子のこともあれば、神なる父から使わされた子(つまりイエス様)だったり、まちまちです。(私の勉強不足かも知れませんが)

(189回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊