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国際政治の道具と化しているアマゾン熱帯雨林の火災問題(5・終)

アマゾン森林火災問題が世界中の注目を集めてから、1週間が過ぎました。

国外からのプレッシャーの高まりがブラジル国内でも大きな論争を呼び、その議論は未だに収まる気配がありません。

その間に、ブラジル政府は森林火災が収束に向かっていることをアピール。軍の消火活動への参加に加え、火災が起きていた地域に降雨があったためとも説明されますが、ブラジル国立宇宙研究所(INPE)が発表するアマゾン地域の火災検知データの信憑性について大統領が盛大に批判を行ったことから((3)参照)、このデータは政府の説明には使われておらず、今ひとつ数字面での明瞭さに欠いたものでした。

とはいえ、INPEのデータは引き続き毎日公表されており、これを基にした8月30日の当地メディアの報道によると、軍による消火活動が8月24日に開始されてからの5日間の火災検知件数は、前年の2,821件に対して2,696件と、前年を少しだけ下回る件数となったということです。従って、問題が注目され始めた時点よりは事態が落ち着いてきていると言えるのかもしれません。注目が増したこともあると思いますが、同時に違法伐採業者の摘発に関する報道も増えてきています。

さてこのシリーズの前回では、6月末に政治合意に至ったEUとメルコスル(南米南部共同市場=ブラジル・アルゼンチン・パラグアイ・ウルグアイが加盟)のFTA協定に、この森林火災が影を落としそうだというところで話を終えていました。

今回は、決して日本も無関係とは言えない、通商交渉や投資活動に及びそうな影響について考えてみたいと思います。

アマゾン森林火災問題の国際化と反発

年初に発足したブラジルのボルソナーロ新政権と、今年10月の選挙で再選を狙う隣国アルゼンチンのマクリ大統領による顕著な外交成果として大きくアピールされたのが、6月末に「20年もの長き交渉を経て」政治合意に至ったEUとメルコスールのFTA協定でした。

EUの工業製品に対するメルコスール側の段階的な関税削減を認める一方、農作物を中心としたメルコスール産品にEUの門戸が開かれる内容となっています。

この政治合意は、気候変動の脅威に対する世界全体での対応強化を定めたパリ協定をブラジルが脱退しないことを、政治合意の条件としていました。ボルソナーロ大統領は、(トランプ大統領と歩を合わせるように)一度はパリ協定からの脱退の意思を表明しましたが、強い批判を受けて脱退を撤回した経緯があります。そのため6月末のFTA政治合意にあたっては、改めてEU側から念を押されていたところだったのです。

しかし森林火災でのブラジル政府の無策ぶりを見るや、フランスのマクロン大統領はボルソナーロ大統領を強く批判。FTA政治合意の際の約束を反故にしたとして、「嘘つき」と批判します。そして国際社会が連帯してこの問題に対処しようと呼びかけ、問題の「国際化」を図りました。

この禍根は、今でも尾を引いています。G7諸国からの総額2千万ドルに及ぶ火災対策支援の申し入れに対して、ボルソナーロ大統領は「マクロン大統領による中傷発言が撤回されてからでないと受け入れない」と話し、態度を硬化させたままです。

この問題の「国際化」も、陸軍から政界への道を歩んだボルソナーロ大統領からすると面白くない話です。ブラジルの軍部には、国内資源がアマゾンに干渉してくるのは、その地下資源を狙っているからだという考え方が、未だ根強く残っているためです。政権の中枢の役職者となっている軍出身のメンバーからも、その手の発言が度々聞かれます。

マクロン大統領側としては、G7議長国としてのイニシアティブを見せたかったことに加え、EU、それも最大の農業生産国のフランスの農家からのメルコスルとのFTA協定に対する批判を交わす狙いがあったのではないかとの見方がされています。メルコスル産の穀物や肉類が、フランス国内農家への脅威として捉えられているためです。こうして今回の件は、改めてEU側にFTAの交渉カードを与える結果となっています。

ドイツのメルケル首相も、8月10日にアマゾニア基金への拠出を凍結してこそいたとはいえ((3)参照)、当初はマクロン大統領ほど強い批判はブラジルに対して行なってはいませんでした。しかし、環境問題に元々熱心に取り組むドイツ政府ですから、農務大臣が「ブラジルは持続可能な森林管理の導入を約束していたはずであった」と主張し始めるなど、やはりメルコスルとのFTA交渉に対する態度をこの数日間で改めてきています。

こうした動きに対して、ブラジルの輸出産業部門からは、自由貿易を促進するはずだったブラジル現政権のトップが、あまりに自身の言動の影響を理解しておらず、回復基調を見せつつあるブラジル経済にさらなる乱気流を発生させている、との批判の声も挙がっています。

日本も無関係ではない通商交渉への影響

メルコスルは、EUとのFTA交渉に続いて、欧州自由貿易連合(EFTA:アイスランド、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタイン)とのFTAの政治合意を今月に完了させているほか、韓国との交渉も進めています。

仮にEUや韓国とメルコスルの間でFTA協定が締結されると、メルコスル向けの輸出条件で日本が劣後するとの懸念から、ブラジル進出日系企業などからは早期の交渉開始を求める声が挙がっています。

その日本政府は、すでに衛星を用いたリモートセンシングによるアマゾン熱帯雨林監視システムなどでブラジルに対して技術協力をしてきた経緯があります。今回の件では、河野外務大臣が消火活動への支援と中長期的な森林保全における協力を表明しています。

G7の一員であり、そして食料安全保障面ではブラジル産のコモディティにも大きく頼る日本が、日・メルコスルFTA協定の交渉においてアマゾン熱帯雨林の保護というテーマに今後どのような立場で臨んでいくのか、注目されます。

コモディティ輸出への影響

アマゾン熱帯雨林を伐採して農地を切り開くことで生産されるのは、大豆などの穀物だけではありません。

その土地が牧草地として活用されることで、食肉・皮革産業に原料を供給する牧畜が行われます。また森林から切り出される樹木も、木材として市場価値を有しています。

天然樹木と植林を合わせたブラジル国内の木材の出荷額は250億ドルとも言われ、大半が主に製紙・パルプ、建材・家具用木材、木炭としてブラジル国内で消費される一方で、約1割が輸出に回されています。

天然林から合法的に産出される木材には認証が与えられ、サプライチェーン上で確認される制度がありますが、一方で違法伐採による木材の流通も引き続き問題となっています。今回の森林火災で改めてアマゾン熱帯雨林に注目が集まったことで、木材を原料とした幅広い輸出製品の合法性の説明に多大な労力が必要となるだろうと、業界関係者はため息を付いています。

牛皮については、Timberland、Kipling、Vans、The North Faceといった20のブランドを傘下に置くアメリカのVF Corporation社が、環境に悪影響を与えていないことが確認されるまで、ブラジル産皮革の調達を中断すると発表しています。

本件について、ブラジル政府は一時的な問題だとして深刻なトーンが拡散しないように努めていますが、「買わない」という具体的な企業からの声明が実際に出てきていることは重く受け止めなければなりません。企業イメージを損なうのみならず、ESG投資を受けている企業の原料調達である場合には、このような判断を下す企業がまだ他にも出てくる可能性もあるからです。

ESG投資への影響

そのESG投資の観点でも、今回の件に伴なうブラジルのイメージ悪化は、投資先にブラジルが関係することに対する慎重さを高めるとして、懸念の声が聞かれています。

今回の森林火災に特定の企業が関与しているかどうかは、実際にそうなのであれば今後明らかにされていく可能性がありますが、今のところはそうした直接的な関与が不明なため、ブラジルからの資本流出がすぐに起こるということは考えにくいところです。ただ、投資家がブラジル事業への投資により注意を払わなければならなくなったというネガティブな効果は、今後表れてくる恐れがあります。

一方で、コモディティーのサプライチェーンの過程で森林伐採対策が適切に行われているかの監視強化が、政府による取締り以外でも期待できる、という見方もあるでしょう。

「利益」とは何か?

この森林火災問題が表面化するのに並行して、アメリカの経営者団体がある興味深い発表をしています。

アメリカの大手企業181社のCEOらが、今後は株主利益だけでなく、全てのステークホルダーの利益を考えた企業活動を推進するとの行動原則を示したものです。企業の経営層にESG投資の考え方が浸透した結果であろうと指摘されています。

この利害関係者には、株主だけでなく従業員、サプライヤー、地域社会が含まれ、その中には環境対策も盛り込まれています。

さて、アマゾン熱帯雨林における「利益」とは何なのか?

これは実に答えるのが難しい問いです。

例えば、生物多様性の保護、あるいは森林火災による温室効果ガスの待機中への放出を抑制することによる気候変動への影響の最小化である、とも言えます。

しかし、アマゾン地域には先住民もいれば、国内法を守って農牧畜で生計を立てる人もいます。それも大半は貧しく、十分な公共サービスも受けられない人々です。

その点では、その地域で合法的な経済活動を行っている住民の所得向上を図ることによる生活品質の改善、先住民コミュニティーの保護、あるいは先住民による経済活動への参加促進のための教育・職業訓練もまた、「利益」に含まれるのかもしれません。

森そのものを守るのか、それとも森とともに生きる人々の生活の質を向上させるのか。後者の場合は、森林のある土地での開発は避けられません。

この問題の現地からの見え方については、以下の外山記者による現地ルポも大変参考になります。必ずしも、大豆や牛肉をブラジルから世界に輸出したい大規模農家だけが自身の利益のために森林を伐採しているわけではないということが理解いただけると思います。

自然環境を守りたい。それが例えば、人の住まない南極大陸であれば話はまだ単純なのです。しかしアマゾン熱帯雨林は文字通り熱帯に位置し、そこで生活している人々はブラジルの人口の約12%、2,400万人いるとも言われます。

彼らにただ木を切るな、火を放つなと言い、法律の力で止めればいいというのは外の人間の綺麗ごとにしかなりません。同じブラジル国内でも、首都ブラジリアから発せられる法律など効果が本当に及ぶかどうかは怪しい世界なのです

ボルソナーロ大統領は60日間の火気使用を禁じる大統領令を出したところですが、当地メディアもその実効性は疑わしいと見ており、問題の本質は、やはり違法に木を伐採し、火を放つ人々をどう取り締まるかの1点に集約されます。

しかし、EU諸国がすっぽり入ってしまう広大な土地は、人間をそう簡単には寄せ付けず、監視の目がどうしても行き届きません。

そのためにもブラジルは、ノルウェーやドイツが拠出を一時中断したアマゾナス基金を改めて活用し、連邦政府と州政府が連携して取り締まりにあたっていく必要があるのでしょう。資金的にもG7諸国の支援は仰がざるを得ないはずで、その際には政治的・侵略的な思惑があるという裏をかかず、違法な森林伐採の取り締まりという現実的かつ地道な活動に注力願いたいところです。

広大な土地に、豊富な天然資源。日本人からするとブラジルはまるで全てを持っている国に見えて羨ましい限りですが、それはそれで、抱える悩みもまた根深いものです。

そして日本からは想像しにくい現実がそこに存在しているからこそ、我々はなるべく正確な状況の理解に努め、冷静にこの問題に向き合う必要があると考えています。

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