2023年度の東大日本史について

2023年度の東大日本史について簡単にコメントしておきます。

詳しくは
つかはらの日本史工房(東大日本史/解法の研究) をごらん下さい。

1.国家的造営工事のあり方の変化

 律令制期,摂関期,院政期にわけて説明することが求められている。
 律令制期は戸籍に基づく人民支配をベースに律令の規定に則して,摂関期は受領の成功により,院政期は荘園・公領を問わず一律に賦課する制度を導入して,という違いが説明できればよい。

2.家督継承決定のあり方の変化と,応仁・文明の乱との関係

 この時期にどのように家督継承が決定されていたかは資料文からデータを引き出せばわかる。
 義教期には,家督継承は当主(現家督)ではなく,一族・家臣や将軍の意向によって決定され,将軍と一族・家臣の意向の一致によって安定性が確保されていた。ところがそれは武家の内部で一族や家臣どうしの分裂・抗争を潜在的に醸成していた。したがって,将軍権力が後退すると実力による家督継承が生じるようになる。そして,実力をおぎなうものが,(将軍権力を支える)有力な大名の合力(支持・協力)。家内部で家督継承をめぐって抗争する両派が,それぞれ有力な大名と結んで実力で抗争し,応仁・文明の乱につながる。そして,それぞれの家督継承を安定させるべく,乱の最中には,東西両軍が将軍(将軍に準じる存在)を擁して東西二つの幕府が成立する。
こういった内容を説明できればよいと思うが,字数内に収めるのがしんどい。

3.天保期における江戸の都市政策

 Aは寄席の観客が「その日稼ぎの者」であり,それが江戸の町方人口の半数に及ぶようになっていたことを指摘できればよい。「その日稼ぎの者」が増加した背景にまでふれられればよいのだが,寄席の歌舞伎との違いを説明していると字数に余裕がなく,不要だろう。
Bは,今年の直前講習(西日本)の論述ファイナルで類題を扱った。とはいえ,何を懸念したのかは難しくない。
 ところで「幕府がこれ以前に直面したできごと」とは何か。
 設問では「町奉行が⑵⑸のように…」とあるので,1841年や1844年,つまり天保の改革期に町奉行が何を懸念したかを説明すればよいのだから,「これ以前」とは資料文⑶にある「これより以前の1837年」のできごとを想起すればよいだろう。1837年段階で打ちこわしを懸念しているわけだが,それと類似の事態を思い浮かべるとすれば,大坂での大塩の乱。これを指摘したい。

4.1950年代の対外関係と政党間対立

 第二次世界大戦後だけで問題が構成されたのは,これが初めて。その意味で画期的です。
 Aは占領終結から岸内閣期にかけての対外関係の変化が問われている。条件として国際政治の動向に留意することが求められているが,日本の内閣の対外政策とその変化が求められているわけではない点に注意し,資料文に即しながら,占領終結頃=冷戦が激化していた時期である吉田内閣期と,米ソの平和共存(いいかえれば冷戦構造が定着していく時期)が進んだ鳩山・岸内閣期,という2つに分けて対外関係を説明すればよい。
 ただ字数内に収めるのがきつい。
 Bは1950年代後半から岸内閣期における政党間対立の変化。
保守政党が分裂・対立し,吉田系と反吉田系の保守&社会党とが対抗している時期と,社会党の再統一と保守合同が実現して保革対立となった時期の2つに分けて説明すればよい。あとは,鳩山内閣期は改憲をめぐって,岸内閣は安保改定をめぐって保革が対立した点を説明すればよい。


Twitterのスペースで田中一平くんと語ったもののアーカイブ版がこちらです。音声だけです。


東大発表の「出題の意図」は下記をごらん下さい。


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