辻村美月『傲慢と善良』を読んで③~現代の婚活と自己評価について~

 再度、改めまして、『傲慢と善良』についての感想を、③婚活について、書いていこうと思います。前回の記事をまだ読まれていない方は、そちらも確認していただけると嬉しいです。
 本作は、スペックが非常に高く恋愛に苦労したことのない架が、婚活になった途端にうまくいかなくなるという形で、恋愛と婚活の違いを描写していきます。「出会うために、出会う──という婚活のやり取りにも心底疲れていた」うえ、「これ以上続けていても、真実以上には会えないのではないか」と考え、架は友人たちに「まずは一緒に住んでみようかなって思って」と話します。親友の大原や女友達は「その同棲期間に何の意味があるんだよ?一緒に住むくらいならもうプロポーズして結婚したらどうだ?一緒に住んで、それで満足して結婚に踏み切れなくなったっていうケースもよく聞くだろ」、「やっぱり合わないってなったらどうするの?…同棲解消の撤退作業はきっとむなしいよー」と反対します。「今、何パーセントくらい結婚したいの?」と聞く女友達に対し、「七十パーセントくらい」と架は答えますが、「それはそのまま、架が真実ちゃんにつけた点数そのものだよ」「架はあの子に七十点をつけるけど、別の相手がつきあったら真実ちゃんは相手から百点がもらえる彼女かもしれないじゃない」と言われます。架は「百点の相手となんて、婚活で巡り合えるわけがない。真実の七十パーセントは、架の中でとんでもなく高い、めったに巡り合えない数字」と考えていたためうんざりします。のちに判明しますが、真実は架に対して百点に近い数字をつけていました。相手に何点をつけているのか、その相手を選ぶのが妥協の産物かどうか、両者の見解が一致しているとは限らないのです。婚活という場では、このようなことが当たり前のように起こるのかもしれません。
 では、そもそも婚活とはどのような場なのか。これについては、結婚相談所の小野里に対して現代の婚活(マッチングアプリ)事情を話す架の考えが解説の役割を果たしてくれています。「婚活の最初では、肝心なのは会うことの方で、その時点から相手に自分を理解してもらうことの方ではない。最初の段階から相手に自分の個性や魅力を受け入れてもらいたい、理解してもらえると信じている時点で理想に縛られている」。そして、「会うまでのやり取りは、毎回テンプレのような無個性なものになって当然だし、そこに過剰なアピールは必要ない。…そのコツに流されるのを嫌がって個性を捨てられないなら、そもそも婚活に向いていない」と、架は考えています。これに対し、昔ながらの結婚相談所を経営する小野里は「自分を傷つけない理由を用意しておくのは大事なことなんですよ」「資産家であることも、個性的であることも、美人であることも、本当は悪いことではないはずなのに、婚活がうまくいかない理由を、そういう、本来は自分の長所であるはずの部分を相手が理解しないせいだと考えると、自分が傷つかなくてすみますよね」と話します。この話は、「婚活のために人と会う」ことの労力が非常に高いことを表しているのだと思います。人と会うことですごく疲れるのに、その上うまくいかなかった理由が自分にあると考え、反省して改善する、なんてことはそう簡単にできるものではないのでしょう。だからこそ、何度も人に会うことが大切になる。マッチングアプリでは人と会うまでのコストが極限まで低下しているため、出会うために出会う、ということになるのではないでしょうか。
 架は小野里から真実がどのようなお見合いをしていたのかを聞きます。真実は二人の男性とお見合いをしますが、その後「しばらくお休みしたい」と小野里に伝え、それきりお見合いはしていません。架はこの「お休み」という言い回しに共感します。「『休むことができる』、というのが、婚活を緩やかに苦しくしていた…『やめる』ではなくて、『休む』。休めるからこそ、やめられない。そして、休んでいても状況が変わらない以上、その苦しさはずっと続くのだ」と考えている架に対し、「うまくいくのは、自分が欲しいものがちゃんとわかっている人です。自分の生活を今後どうしていきたいかが見えている人。ビジョンのある人」だと小野里は言います。これは、多くの物事に共通することではないでしょうか。一時的に休んで、ビジョンのない自分から一瞬目をそらすことはできますが、いずれは自分自身と向き合わないといけない、というつらさがあるのだと思います。
 小野里と話しているうちに、架は自分の婚活に対する疑問も話し始めます。「ピンとこない、は魔の言葉だ。それさえあれば決断できるのに、その感覚がないから、どれだけ人に説得されようと、自分で自分に言い聞かそうと、その相手に決められない」と考えている架に対し、小野里は「ピンとこない、の正体は、その人が、自分につけている値段です」と簡潔に答えます。「私の価値はこんなに低くない。もっと高い相手でなければ、私の値段とは釣り合わない」「ささやかな幸せを望むだけ、と言いながら、皆さん、ご自分につけていらっしゃる値段は相当お高いですよ。ピンとくる、こないの感覚は、相手を鏡のようにして見る、皆さんご自身の自己評価額なんです」。
 その後、架は、小野里との一連の話を真実の姉である希美に話します。希美は「みんな、自分のパラメーターの中のいい部分でしか勝負しないんだよ。自分の方が収入が低くても、外見が悪くても、相手より勝っている部分にしか目が向かない。傲慢だけど、人ってそういうものじゃない?」と見解を話します。架はその後、「選ばない理由の方をむしろ探してしまうようなことが…よくあった。それが傲慢であったことも今ならよくわかる」と回想し、「傷つく前に傷ついてもいいようにと心の準備をして自分を卑下した真実は」お見合いでうまくいかなかったのだろうと想像します。このような、自分自身でつけた自らの値段に基づいて相手を選んでしまうことについても、多くの物事に共通することだと思います。恋愛や婚活で起きるのはもちろんのこと、進学や就職などの進路でも頻発することなのではないかと思います。仕事の場合、「ピンとくる」かどうかを、自分の強みと合致するかどうか、という点のみで評価しているということになるのではないかと思います。
 男性が婚活をする場合、自分のスペックを高めること(収入や学歴、変えられないけれど身長など)や、デート時のスキルを磨くこと(外見や会話術を磨く、良いお店をセッティングすることができるかなどのエスコート技術を学ぶ等々)こそが必要とされているように、一見すると見えます(少なくとも私には)。しかし、本作で描かれた婚活では、自分が本当に欲しているもの、小野里の言葉を借りれば、自分の今後についてビジョンを描くことの方が、婚活がうまくいく上で重要であるという結論になるのでしょう。ハイスペックである架も、決してハイスペックとは言えない真実も、最終的には自分自身と向き合うことで、パートナーに対して「ピンとくる」ことになります。先ほども少し触れたように、これは仕事や趣味、友人関係などにも当てはまることが多く、決して婚活だけの話ではないと思います。
 最後になりましたが、もしまだ『傲慢と善良』を未読の方がいらっしゃいましたら、ぜひ一読してもらえると嬉しいです。きっと何かしら自分の生活を良い方向へ導いてくれるヒントが見つかると思います。また、既読の方は、私の書いたことでより『傲慢と善良』を好きになっていただけると、本作の一ファンとしてうれしいです。映画化も楽しみですね。長文に付き合っていただき、ありがとうございました。

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