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エッセイ本。

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日々、思った事、感じた事、いろいろ書いてます。
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記事一覧

お前のひたむきさは人を動かすから。

何かに夢中になると狂気的なくらい夢中になる癖がある。 飽きっぽいという気質があるにもかかわらず、 夢中になったときの集中力が異常なので、 そのギャップで周りを驚かせる時がある。 そのちょっと変わった特徴を 父は親バカ目線で、 「お前のひたむきさは人を動かすから」 と言って褒めてくれた。 この言葉は、強い言霊となって 私を応援し、支え続けている。 父からの『I LOVE YOU』が凝縮されてる言葉だ。 何かに向かって挑戦している時、 この言葉が頭の中で聞こえる。 「お前の

風を感じる。

空気の流れが速いと 風を感じる。 それは、 自分が速いスピートで 進んでいることによっての時もあるし、 周りの気流のスピードが 速いがゆえの時もある。 実際の空気の時もあれば、 こころや感覚や直感で感じる空気の流れで 風を感じる時もある。 何かがこっちに向かっているなと、 本能が風を感じている。 次の流れがやってくるなと、 第六感が風を感じている。 風を起こすと、自分の生を感じる。 風を感じると、世界の生を感じる。 生き物はみな 風を感じるのが好きなのだと思う。 飼ってた犬

パンツ見られるより恥ずかしい。

友達とカフェでまったりした。 お互い長年の友達なので、 会っても何も話さず、 互いに別々の事をして過ごす事もある。 せっかく会っているのに お互いぽつぽつ喋っては、 スマホでニュースや動画をみて 各自の世界に入って遊んでいた。 すると、友達が急に 「腹立つわー!」 とスマホのニュースに文句を言った。 「何何何?」 と、スマホを覗き込むと 芸能人がインスタに おでこを出してる写真を投稿する際に "おでこを見られるのはパンツ見られるより恥ずかしい" とコメントを添えている内容の

残念なお知らせがあります。

最近、少し落ち込み気味だった私を 友達が、気遣ってくれて、 気分転換をしようと言ってくれた。 「イメチェンだ!イメチェン!」 と騒ぐ友達を見て 過去に逆の事があった事を思い出した。 二人とも大学生だった頃に 彼女が彼氏と別れて 落ち込んでた時に 二人で気分転換に「イメチェンだ!」と 美容院へ行き 二人で劇的に髪のカラーも長さもかえ パーマをあてた事があった。 あの時は、「イメチェンだ!イメチェンだ!」と 叫んでたのは、私の方だったのに、 立場は逆転していた。 懐かしさと、彼女

直感の不思議

「直感だけで生きてるよね。」 とよく言われる。 確かにそういったところある。 大きな人生の決断も、 根拠なくフィーリングで決めたりする。 「多分、こうだな」 という考えがよぎった時は大体それを信じる。 信じると言うより疑う気持ちが起きない。 なので間違いない気がして 確信めいた態度で挑む。 ただ論理的に理解したい人には 根拠をうまく説明できないし、 喋ると急にゆらぎが起こりだすので、 自分の中に留めて直感的に感じた事を 遂行する様にしている。 不言実行になりがちだ。 そしてな

彼女の運命の人よ。

友達は今、こんなことを感じているらしい。 面白いと思ったので共有します。 その人が近づいて来ている。 その人が自分の元へ 運命に導かれて、 彼女の引力に引き寄せられて、 とにかく急速なスピードでで どんどん引き寄せられて来ている。 どんな人かはまだ知らない。 ただその人が運命の人だと分かる。 そのまだ見ぬ人を出会う前にイメージする。 毎日毎日まだ彼女に出会えてない人生を どう生きているんだろうと 寂しかないかと、つまらなくはないかと、 彼女と出会うXデェイまで、 後どのく

善意の連鎖

「善意の連鎖」という言葉について最近よく 思いを巡らせている。 誰かの善意に触れた時、 それがトリガーとなって善意が生まれ、 誰かに善意を与え、またそれがトリガーとなって 次の善意が生まれる。。。 そして善意は連鎖する。 善意が感染していき、善意が蔓延していく。 全世界に自分の些細な善意が波紋を起こしているのかもしれない。 世界の色々な場所で同時多発的に(別に同時じゃなくてもいいけど) 善意を起こしたら世界がまるっと善意に包まれる瞬間をおこせるのかもしれない。 そんな考えを巡

きみの元気は僕の元気さ ファイト♪

突然、頭の中でニプロのCMの歌詞が流れ出した。 もうかれこれ1年以上まともにテレビを見てないはずなのだが、 流れ出した。 「きみの元気は僕の元気さ ファイト♪」 けっこういいこと言っている。 「きみの元気は僕の元気」って ほんとにそうだなって思う。 自分ひとりだけ元気でいれることなんて 絶対にできない。 誰かが元気がないと、元気がなくなってしまう。 誰かがひとりでも元気だと、元気をもらえる。 友達が元気ないと、 私たちという単位では、元気が減っている状態になる。

褒められる事への嫌悪

褒められる事は、もともと嫌いなわけじゃなかった。 大した事してなくても 「すごいじゃん!」 「よくできたね!」 なんて褒められると、まんざらでもない気分になりうかれていた。 多分、褒め言葉の内容でなく、 相手が自分に好意的であり肯定的である事に 純粋に嬉しかったのだと思う。 それが、褒められる事に素直に喜べない事が ある時期から起こった。 どうしてもその褒め言葉にひっかかってしまうのだ。 本心で言ってるの? 褒めとけば、喜ぶとこっちの事見下げてない? 不快感と共に、

大親友がいること。

神様にいつも感謝することにひとつに、 何か頑張っているときに、いつも神様は、 私に大親友を引き合わせてくれる。 すごく信頼できる仲間で、 いつも頑張れる勇気をもらえる人。 その人が、頑張っているんだという事実が 私に大きなモチベーションとやる気を起こしてくれる。 その人と力を合わせてだったら、 なんだか、目の前の困難も乗り越えられる気がする。 そんな大親友を、いつも送り込んでくる。 何か頑張り始めた私に、 神様は、絶妙なタイミングで 新たな大親友をプレゼントしてくれる

それに自信は必要ですか?

私は、実を言うと 「自信」と言うものを 体感することがほぼない。 でも「自信がない」という 世間で言われている 不安定な状態でいることもない。 自分への信頼はあるが、 「自信満々」といった感じを あまり持たない。 逆に自信満々な感じでいても 間違える事もあるし 自信どころか手応えゼロで うまくいくこともあるので、 自信を感じるか感じないかは バロメーターにしていない。 だからあえて感じる努力もせず、 結果、自信があるかないかに対して 自問自答しないので、鈍感になってる。 ある

良かれと思って。

相手を喜ばせることとして、 自分がしてもらって嬉しいことと、 相手がしてもらって嬉しいことと、 その両方を人間は、してあげることができる。 それが、犬や猫になると だいたい自分がしてもらって うれしいことばかりをしてくれようとする。 私が病気で寝込んでいると 実家で飼っていた犬は 心配そうに周りをうろうろし ふと思いたったように洗面所へ行き 洗濯カゴから父親の洗濯前のTシャツを 咥えてきて私の顔面にポンと置く。 「このニオイ嗅いだら、落ち着くぞ!」 と彼なりのお見舞い

目覚める時の感謝。

その人が言っていた。 視力を失ってから何度も 朝、目を覚ました時に、視力が回復していて もう一度、目が見える様に戻っていたら どんなにいいだろう。 そうであれば、 どれほどその事を感謝するだろう。 そう思って毎朝目覚め、現実に落胆する。 その期待と絶望の繰り返しが 儀式の様になり長い期間続いた。 でも、絶望さえも、人間は飽きるんですよ。 毎日、毎日同じ絶望を繰り返すと、 まるで自分が自分に ばかばかしくおもえてくるんですよ。 だから、言える事は絶望の先に希望を見つける事が 最

ふんどし

友達が 「私、他人のふんどしで相撲とる男、  超嫌い!ほんと超嫌いだわ!!!!!」 と彼女の家で女子会をしている時に言い出した。 本当に唐突に言い出したので、 その場にいたみんなが笑った。 「なにそれ、久々に聞いた、そのことわざ。」 「そもそも、ふんどしって言葉が久々。」 「やだ、もうツボにはまった。笑い止まらない。」 「ふんどしって笑えるぅ!」 ともうみんなゲタゲタ笑ったが、 彼女は超真面目な顔して、 「冗談じゃなくって、本当に嫌いなんだってば!」 と力をこめて説明しようと