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好きな服。

 僕が自分の好きな服を選んで買えるようになってから、まだ一年も経っていない。
 幼い頃、当時育ててくれたヒトと感性が合わなかったのか、着たいと思った服はほとんど却下されていた。僕はその時々で服の好みが大きく変わるタイプなんだけど、そのヒトはカジュアルでアジアンちっくな服が好きで、ふりふりやチェーンのついたゴテゴテの服は好まない。僕はどちらがかというと後者が好きなので、根本的に合わないんだと思う。「私の後ろについていないで、自分で服を探してきなさい。」と言われて探すものの、「あなたの顔では似合わない。」とか「それは小さい子が選ぶ服だ。」とか「相変わらずセンスがない。」と言われて、結局笑われるために選んでいるようなものだった。「私のお金で買うんだから私の好みの服を買わせてもらう。嫌なら自分で買いなさい。」と言われてしまえば、財力の無い子どもにはどうしようもなかったし、このヒトの言っていることは別に間違っていないなと思っていたから反論もしなかった。
 自分で服を買えるようになってからも当時の記憶は根強く残っていて、好きな服を見た時に一番に頭に浮かぶ言葉は、「こんな服似合わない。」だ。実際に着てみると似合っていないような気もする。センスが悪いというのは昔からずっと言われていたし、自分でもそう思う。でもよく考えれば、僕にセンスが悪いと言ってきたのはそのヒトだけだ。もしかしたら、このヒトの言葉が呪いみたいになって、まるでそれが事実かのように思わされていたのかもしれないし、事実なのかもしれない。今でも素敵な服を買た時に、服に対して「かわいい!」と言うが、それを着た自分がかわいいとは一度も思えたことがない。
 僕は過去に自分の好きなものを否定されてきて悲しかったから、今はみんなの好きなものを「素敵だね。」と言って受け入れたいと思っている。どうやったらヒトが傷つくのかを知っているからこそ、出来るだけ優しくなれるような気がしている。でも同時に、自分はヒトの傷つけ方をたくさん知っているということを忘れないようにしなければいけないとも思っている。
自分の大好きなものを身に着けて、あわよくばそれが大切な誰か数人に認められれば、それはとてもしあわせな世界なんだろうなと思う。


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