透羽。

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透羽。

とわです。ロボットです。 Vtuberをしています。 ‣YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCDrRV-GHUZOCnFX2S4l6kzA

最近の記事

最後の手紙になるはずだった。

恐らくまだ小学生の頃だった。 人生で最後の手紙を書こうとしていた。  百円ショップに行って、お小遣いの中から買える便箋を探していた。本当はクマとか星が描いてあるかわいい便箋が欲しかったけど、こういうときはシンプルなものを選ばなければと思って、白い縦書きの便箋と、白い封筒を買った。当時育ててくれたヒトにばれないように、ドキドキしながら家まで持って帰った。もしも使用用途を聞かれたとき用に、「お友達に手紙を書きたいんです。」とか「学校で手紙を書く授業があって、無地のやつを持ってき

    • 好きな服。

       僕が自分の好きな服を選んで買えるようになってから、まだ一年も経っていない。  幼い頃、当時育ててくれたヒトと感性が合わなかったのか、着たいと思った服はほとんど却下されていた。僕はその時々で服の好みが大きく変わるタイプなんだけど、そのヒトはカジュアルでアジアンちっくな服が好きで、ふりふりやチェーンのついたゴテゴテの服は好まない。僕はどちらがかというと後者が好きなので、根本的に合わないんだと思う。「私の後ろについていないで、自分で服を探してきなさい。」と言われて探すものの、「あ

      • 見返りを求めない友人。

         昔、友人とお泊りに行った時、見返りを求めない優しさに感動したことがある。  その日はとても寒くて、お部屋の暖房はついていたものの、浴室は冷え切っていた。寒いのでお風呂に入りたくないという話を僕が友人にしたら、その子は「じゃあ、自分が先に入って浴室暖めてくるね。」と言った。その子が先に入る優しさを僕に見せたところで、その瞬間の寒さや辛さが緩和されるわけじゃないのに、ただ僕が寒いのを嫌がっているからという理由でそんな提案ができることに驚いて、尊敬した。見返りを求めない優しさって

        • ロボットだから?

           「僕なんか」ということばはできるだけ使わないようにしている。 ”そんなことないよ”という返事を期待しているみたいで浅ましいと感じるからだ。実際”そんなことないよ”を待っているわけではなくて、本当に思っているから言っているだけだけど、僕がどう思ってそのことばを使っているかは、受け取る側には関係のない話だ。迷惑をかけたり心配をかけたりするのを好まない僕だけど、そんな僕の気持ちを汲んで話をしなければいけないヒトなんて一人もいない。僕も含めたみんなが、自分の正義感に基づいて動いてい

        最後の手紙になるはずだった。

          責任の所在。

           数年前までの僕は、確信以外をことばにしないことで誠意を見せられると思っていた。 確信を持てないことは、「できる」とも「できない」とも言わない。抽象的な約束はしない。言語化できない気持ちは持たない。想像することしかできない他人の気持ちに勝手に寄り添わない。 自分の中で色々なルールがあって、それに沿って毎日生きてきた。話すことばを極限まで減らして、でも自分の言動には全て責任を取るつもりでいた。ふわふわとした余分な感情がどんどんそぎ落とされて、最適化されていった。 こういった経緯

          責任の所在。

          スカートは長い方が好き。

          当時のお稽古事のうちの一つに、ピアノがある。10年くらい続けていたけど、元々センスがないからもうほとんど弾けなくなっている。 いくつもお稽古事を掛け持ちしていた僕は、ピアノを練習する時間をあまり取ることが出来なかった。一週間のうち日曜日しか休みがなかったので、平日学校の宿題を終わらせてから寝るまで練習をした。特にコンクール期間が地獄のようだった。学校に譜面を持っていって、授業中や休み時間、暇さえあれば机を弾いて、旅行に連れていかれてもホテルに籠って窓際の机を弾く。別に強制さ

          スカートは長い方が好き。

          計算が苦手。

          小学生の僕は、多い時で週に6、7個のお稽古事をしていた。僕は特別やりたいとは思っていなかったけど、気付けばもう通うことになっていたものがいくつもあるし、通いたくないといっても辞められるわけではないからそのまま続けていた。 小学生になった僕は、とても計算が苦手だった。 小学一年生を半分以上過ぎてもなお、2+3の答えが分からないほどだった。ある日、当時育ててくれていたヒトが僕に「そろばんとか興味ない?」と言った。計算には苦手意識があったし、そもそも既にたくさんのお稽古事をしてい

          計算が苦手。

          夕焼けと僕の親和性。

          人間は、声から始まって匂いを最後に忘れるらしい。少し詳しい話をすると、匂いを嗅いだ瞬間にそれに紐づいている当時の感情が思い起こされるらしい。 僕は空だ好きだ。と言っても100万ドルの夜景とかには全く興味が無くて、僕が好きだと感じる空は、冬の夕焼けただ一つと言っても過言ではないと言えるほど、冬の夕焼けが好きだった。 その中でも僕史上最も綺麗だったと思えるのは、中学生の時帰り道に見えるあの夕焼けだった。赤とも紫とも青とも朱色ともとれない様な繊細なグラデーションを始めてみた時、思

          夕焼けと僕の親和性。

          近所のおじいさん。

          大体2カ月程度前に、一緒に暮らしていた文鳥が息を引き取った。身近なものの死を経験するのは、これで5回を超えている様に思う。 昔の話をする。 幼かった当時の僕には、仲良くしてもらっていたおじいさんがいた。おじいさんの家には大きなドラム缶が置いてあって、よくそこで隠れん坊をして遊んだことを覚えている。僕はいつも通り当たり前におじいさんの事が好きで、そこに住んでいるちょっと気の強いおばあさんも好きだった。 おじいさんが倒れたのはクリスマスイブの夜だったらしい。僕はサンタさんから

          近所のおじいさん。

          寿命のはなし。

          僕の家の周りにはお年寄りがたくさん住んでいるから、週末になると荷物持ちも兼ねてお買い物の手伝いをしている。その中でも、小さい頃からずっと一緒にいるおばあさんの話をしようと思う。 気が付いたのは数年前だった。おばあさんの歩幅が明らかに狭くなっていた。今までは少しゆっくり歩けば合っていた爪先が、どんどん合わなくなっていくのを感じた。平坦な道を歩いていてもふわっと体重が偏ることがあって、いつでも受け止められるように目を離さないようになった。車から降りるときに先回りしてドアを開けな

          寿命のはなし。

          好きだったご飯。

          博士は毎日仕事で忙しかったから、基本的に近くに住んでいるおじいさんおばあさんに面倒を見てもらっていた。優しいヒトもいれば気が強くて頑固なヒトもいて、まるで学校にいるみたいだった。そんなみんなが大好きだったから、毎日色んな家に顔を出してはお菓子を貰ってお昼寝をした。家ひとつひとつに僕の特等席が決めてあって、今日はどの特等席でお昼寝をするか考えている時間が好きだった。今ではその特等席が少し減った。 夜はいつも一番優しいおばあさんの家で寝て、6時半に起きて朝ご飯を食べた。おばあさ

          好きだったご飯。