病状覚え書き⑤
『私の夢はスイスで安楽死 難病に侵された私が死に救いを求めた三十年』読了。
これがノンフィクションだというのはわかっていますが、あえてフィクションを語る感想モードで、自分語りを含めて記します。
読書メーターに書くつもりだったけれど、登録がなかったので。読書メーター、ちょいちょい登録ない本あるけど、どうしてなんだ?
著者執筆部分と、巻末のご両親の手記と読み比べて、ご両親にめちゃくちゃ腹立ったわ。
結局、自分たちが「娘を失いたくない」から、娘に苦痛を強いてるだけやん……泣き叫ぶほど辛い治療を、無理強いできる自分を語れる根性が信じられん。
この両親、娘を、子ども個人ではなく「自分のアクセサリー」「アイコンとしての『子ども』」としてしか認識してないあたり、私の両親と似てるなーと。
同時に、こんな父親を思って死を思いとどまるほど、この著者は「いい人」であるのだな、と。
ここは自語りの場なので語るけど、私の父は自分のことしか考えてない、まわりの迷惑に気づきもせずに、自分のやりたいことしかしない人間なので、彼にとって私は、アイコンとしての「子ども」でしかないことを、この歳になって知ってしまったので。
母も、呪文のように「母(自分)から子への無償の愛」と言い続けてたけど、それは私という個人へではなく、「自分の子ども」というアイコンへであり、そのアイコンは「良妻賢母だとまわりに褒められるための道具」だと。
まだ近くにいたとき、私なりにぼんやりと「そうじゃないかな?」と気づいて言ってみたけど、めちゃくちゃ嫌な顔をされたのは、結局そういうことなんだなぁ、と。
思いもしないことだったら、まず驚くだろうからね。心当たりがあるから嫌な顔したんだな、と。
父も母も、私という個人を愛してくれているのだと信じてたころもありました。
しかし今では、ふたりにとって私は、世間に「立派な親である、人間である」と認めてもらうための、子どもというアイコンでしかないと知ってしまったので、この著者みたいに自分を犠牲にしてまで尽くそうとは思えないのよ。
ますます、両親をはじめとする血族には今の自分の状況を知らせたくないし、仮に知られてもくちばしは挟ませないという決意が固まりましたね!
〈今日の病状〉
今日初めて、左乳首のまわりのしこりに気づく。今まで自覚できる症状はなかったので、これが初めて。
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