見出し画像

桜嵐~古今東西人外異聞録~ 第三話

 桜の精は征司よりも少し年上の女の姿をしている。

 式神を見つけた時の彼女は山姥のように見えたが、今はただの年頃の娘にしか見えない。

 彼女は征司と二人きりになると口をつぐみ、髪色よりも濃い紅を頬に差した。

 征司は地べたに座り込み、彼女を見上げてニカッと笑った。

「噂はよく聞いてたぜ。ウチの義兄弟があんたのことを見たことがあるって言ってた。そいつはサスケっていうんだけど…」

「知ってる」

 彼女は征司の言葉を遮ると、胸の前で手を組んでそっぽを向いた。

「あなたたちのことは特によく知ってる……。この前もサスケはこの近くを通り過ぎた。逃げるように走って……だけどね」

「らしいね。あの後、慌てて神社に来たよ」

「……そう。怖がりなんだ」

 征司は桜の花弁をすくい上げると、花咲かじいさんのように自分のそばでばらまいた。

「なぁ、桜の精さんよ。こっちの世界では年がら年中桜を咲かせているのか?」

「え? えぇ、そうよ」

「そうか。綺麗だな。現実でもずっと桜が咲いてたらいいな……」

 桜の精も征司と同じように手の平に花弁を乗せ、息を吹きかけて舞わせた。彼女が生んだ風は白いもやがかかっている。乳白色の中に浮かぶ桜の花弁が映えて美しい。

 彼女は花弁が舞い落ちるのを見届けると、目を閉じてゆっくりと首を振った。

「それはできない。桜は春にしか咲かせないの」

「なんでだ?」

「どんなに美しいものでも常に見れたら半減しちゃうもん。それに、春は桜を咲かせるために来る。裏切ることはできないよ」

「へぇ。春との約束か。風流だなぁ」

「遥か昔からの誓いだから」

「そうか。じゃあ……俺らがここにいられないのはそれと似たようなモンだ」

 征司の声の調子が変わった。桜の精は顔を強張らせ、両手で耳を塞いだ。

 彼は優しく微笑むと、彼女の両手にそっとふれて目線を合わせた。

「桜の精よ、ここに一人でいるのが寂しいのは分かる。でも人間はここにはいられないよ。あんたと春の約束と同じだ。俺らは俺らの世界があるんだよ」

「でっでも、私と征司で祝言をあげれば問題ないよ。征司もこちらの者になれる」

「ごめん、それは俺が望むことじゃない。俺はここにずっといるのも、この村にとどまることも望んでいない」

「そんな……」

 彼女の寂し気なぼやきに征司が言葉を返すことはなかった。彼女の耳から手を離させ、困った顔で淡くほほえむだけだった。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「やっと言葉を交わせたのに……」

「泣くなって」

 視界がぼやけてきたのと同時に、征司の大きな手の平が頭に乗せられた。

 桜並木を通りかかったきょうだいのことを思い出す。

 幼い妹の手を引いて歩く兄が、突然泣き出した妹の頭をなでてあやしていた。今まさに、あの時と同じ状況だ。今ならあの幼い妹の気持ちが分かる。

 自分の方が征司より遥かに永く生きているというのに。今の彼は人に安心感を与え、頼れる兄のように思えた。



✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼



「もーどりっ」

「征司!」

「無事だったか」

 征司は空中から突然、桜の花びらに包まれて現れた。危なげなく着地すると、幼子の姿の小紅が真っ先に駆け寄ってきた。

「大丈夫だった?」

「おう。桜の精にはこれからも毎年、綺麗な桜を咲かせてくれって頼んできた」

「そっか……征司が無事に戻ってきてよかったよ」

「心配してくれたんだ。ありがとな」

「わ……きゃっ! ちょっと子ども扱いしないでよ!」

 征司は小紅の脇の下に手を差し込むと、”高い高ーい”と高く掲げて遊び始めた。赤い顔で小紅は怒ったが、なにぶん体が小さいので迫力がない。

「ていうか小紅、いつまでこの姿でいるんだ?」

「それは私が聞きたいよ!」

「う~ん……。俺も桜の精にこのことを聞くのを忘れちまったからなぁ……。式神さん、なんとかならないかな」

「大丈夫ですよ。大した術ではないようですから。本人が強く願えばすぐに解けます」

 征司はゆっくりと小紅を地面に下ろし、一緒に地べたに座り込んだ。着物が汚れる、と小紅に止められたが征司は構うことなく促した。

「やってみろよ。いつまでも子どもの姿でいるわけにはいかないだろ」

「そうだけど……」

「何をためらってんだ? 戻りたくない理由でもあるのか」

「だって、この姿だと征司としゃべりやすいもん────」

 小紅は頬を桜色に染めて背中で手を組んだ。およそ幼子には似つかわしい姿でもじもじと恥じらった。

 征司はあぐらをかいた膝の上で頬杖をつく。

「そうだなー、小紅とこうして目を合わせて話したのは随分久しぶりだ。こう見えてちょっと気にしてたんだぜ。もしかして俺、何かしたかな。それなら謝るから……」

「それは違う!」

 小紅は征司の声を遮っり、子どものように激しく首を振った。

「じゃあなんで」

 彼女は一瞬言葉を詰まらせ、胸の前で手をいじり始めた。綺麗に切り揃えられた前髪が、うつむいた拍子に瞳を隠す。恥じらいで発せられる小さな声は蚊が鳴いているようだ。

「……子どもの時はなんでもなかったのに、今はすごく意識しちゃうんだもん。征司と目を合わせたり、近くにいるとすごくドキドキしてどうしたらいいか分かんなくなる…」

「小紅……」

 征司は手の平から顔を浮かし、口をポカンと開けた。

「私、征司のことが……!」

「一緒にいようか」

「へ?」

 征司は勢いよく立ち上がり、小さな小紅に向かって手を差し出した。

「子どもの頃みたいに一緒にいよう。そしたらまた、あの頃の俺らに戻れるんじゃないかな」

「征司……うん!」

 小紅はうっすらと涙を浮かべ、彼の手を握った。

 その瞬間に彼女の姿は元の年頃の娘に戻り、征司は驚きつつほほえんだ。そして拳を握ると何度か上下に振った。

「よっし。これで旅の仲間が増えたぜ。これからもよろしくな、小紅」

「へっ?」

 小紅は間抜けた顔になり、目を点にした。

「いやだから、じいちゃんの話を確かめに行く旅だよ。今んとこサスケが一緒に行くんだけど、小紅も仲間になるんだよ」

 征司は一体何がおかしいのかと小紅のことを不思議そうに見ている。

 突然旅の仲間にされた彼女は救いを求めるように清明のことを見た。察した彼は、お手上げだと言わんばかりに肩をすくめた。

「私の勇気はなんだったの……」

「なんか言ったか?」

「征司のバカァ!」

「おわっ!? なんで急に罵倒すんだよ!」

 小紅の精一杯の想いは征司には届かなかったらしい。筋金入りの鈍感だ……と小紅は嘆き、肩を落とした。

✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼

 最初の目的地にたどり着いた一行は、懐かしい顔に出会った。

 山の中で野宿をしていたら、彼の方から声をかけてきた。

 彼の名前は京弥(きょうや)。狼の尾のような黒く細長い髪を胸元まで垂らし、簡素な着物姿で袖に手を入れている。切れ長の赤い瞳は柘榴石のよう。スッと通った鼻筋や薄い唇は、気を抜いたらぼうっとしそうなほど均整がとれて美しい。

「じいちゃんから聞いた伝承をこの目で確かめに行くんだ。京弥は今、何してるんだ?」

「一人で全国を回ってる。今はこの先の鹿子村(かのこむら)に滞在してんだ」

「なぁなぁ、京弥さえよければ案内してくれないか? ここで再会したのも何かの縁。まだいろいろ話したいこともあるし」

「鹿子村になんの用が────頭を下げろ!」

「は……?」

「早く! いいって言うまで上げるんじゃねぇぞ」

 突然顔を険しくさせた京弥は地面に跪いた。頭を下げたまま話す彼のこめかみに汗が浮かんでいる。

 彼の尋常ではない様子に征司たちも地面に膝をつき、正座をして三つ指を突いた。

 彼の隣で恭しく頭を下げた征司は、驚きと緊張で心臓をバクバクと言わせている。こんな緊張感を味わったのは初めてだ。

(いよいよ旅が始まったって感じがする…)

 それは故郷の村を出た時にも感じたが、今は別の意味で心に響いてくる。村にいた頃はこんな刺激はなかった。

 隣では小紅と信濃も同じように正座をして地面を見つめている。

 そして太鼓や笛の音がかすかだが聴覚に引っかかった。町の旅芸人が奏でていた楽器よりも厳かな音色だがそれでいて軽快な旋律だ。同時になまぬるい風が吹き始め、征司の頬をなでる。

 征司はうっかり頭を上げてしまわないようにこらえ、”もう大丈夫だ”と京弥が息を吐いたのに合わせ、ゆっくりと顔を上げた。

「っはー。びっくりした……急にどうしたんだよ」

「神々がお通りになったんだよ。お前たちはこんなことも知らずに鹿子村に向かっていたのか。俺がいなかったらお前ら全員、耳が聞こえなくなっていたかもしれねーぞ」

「そうか……さっきのが神様が通られた時の感覚なのか…」

 征司は自分の頬にふれ、さきほどの風や楽器の音色を記憶に焼き付けた。きっと次は大丈夫だ。

「びっくりした……私たち、知らずに野宿していたんだね」

「な。たまたまとは言え京弥がいてくれてよかったよ────って、サスケ。いつまで頭下げてんだよ」

 サスケは未だに地面に三つ指をついている。話しかけても反応が無いので征司が腕を掴んで立たせると、大層驚いた表情になった。

「ん……? ちょっと待て。こいつは字を読めるか?」

「え? あぁ」

 京弥は地面に木の枝で何やら文字を書き始めた。サスケに読ませ、彼がうなずくとその頭をはたいた。

「このバカがっ……突然だったとは言え頭を上げるなって言っただろ!」

 彼の怒号に征司と小紅は飛び上がった。そして二人は地面に書かれた文字を読んで顔を青ざめさせた。

「サスケ……本当に何も聞こえないの……?」

 聴力を失ったサスケが小紅の声を聴くことができるわけがなく、代わりに京弥がうなずく。彼は整った顔をゆがめ、額を押さえて舌打ちをした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?