cs no.004 いつだったか

いつだったか遠い牧場に牛を見に行った。牛は優しく賢い生き物だ。牧草地を風が吹き抜けて、遠くまで見晴らしの利く丘の上だったので、私は少し泣いた。
いつだったか、8月がいつまでも終わらなくてそのまま、雪が降り始めたことがあった。雪の中に点々と牛が埋まっていて、その生のまだら模様が目の奥に焼き付いてどうしても、離れなかった。牛なのか家なのかわからない。牛の背は屋根なのか。牛の世話やめたのか。
牛は一頭あたり1日100リットルの水と岩塩の塊、そして青々とした牧草を食べる。牛は胃の中から咀嚼した牧草を取り出しては、噛む。そのままずっと噛んでいていつまでも消えない。牛の内臓もそのようにできていて、私たちもいつまでもそれを噛んでいる。朝起きた時から夜寝るときまでずっと噛んでいる。
8月になると牧草も青々として牛の目には痛い。だから牛はいつも目をつぶっている。夏を見つめたりせず、どこか横の、春とか秋とかを見ている。
妻がいなくなった。8月になって、草がボーボーと茂って、句読点や耳鳴りばかりが僕たちの日常になるとき、妻はいなくなった。背の高さよりもずっと高く青々とした草、寄り道するように真剣に話していた。

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