cs no.002 ハイ・シエラ

 カリフォルニア州東部、南北に長く、長く、六五〇キロメートルにもわたり続いているハイ・シエラの連なりをはじめて肉眼で見たとき、絞り出された生クリームのようだと思った。
 わたしはその山脈を東から西へと越えたのだった。それが一度目。いつのことだったか、正確に思い出すのはもう難しい。わたしは震えていた。バンの左右の車窓からは広大な荒れ地が見えた。それはどこまでも続いていて、縁のない板にスープを注ぐように不安になり、そうして、わたしは震えていたのだ。バンを運転する男は、何十時間もの間一言も発することなく、単調に続く道路をひたすらじっと見ていた。対向車のハイ・ビームに目を細めるときだけ、疼痛か、笑顔の片鱗か、いずれにしろ粉雪のような肌理で舞うものが、短く刈り上げた襟足の向こうに微かに覗いた。
 そして、彼の目線のさらに先にハイ・シエラは横たわっていた。いや、浮かんでいた。暮れ始めた荒野の道はコーヒー色の闇のなかに沈んでいて、冠雪した山脈の一筋はその上に絞り出され、甘く浮かんでいたのだった。わたしを載せたバンはコーヒーと生クリームの間に吸い込まれるように静かに進んでいき、その夜、わたしが震え疲れて眠っている間に、そっと山を越えてカリフォルニアに入った。
 二度目にハイ・シエラを越えたのは、ずいぶん最近のことだ。こちらは日付だって思い出せる。八月四日、二〇六二年。今度は西から東へ。友人に借りた古いホンダに車内泊用の道具を詰めて、自分で運転して山脈を越えた。そのときは、こんな文章を自分が書くことになるとは思ってもいなかった。
 三度目はまた、東から西へ。二度目のすぐあと、八月十日。車のトランクからは缶詰めが消え、ランタンのオイルが消え、飲み水が消えていた。そのかわりに増えたものはといえば、とくにない。カメラのメモリに数GBのデータが増え、車内に砂が入り込み、この文章へとわたしを傾ける弱い風のようなものが、どこからか吹くようになっただけだ。
 風はハイ・シエラに穿たれたわたしたちの小さな隙間を通り抜け、友人に車を返したあとになっても、わたしのフラットにどこかから吹き続けた。真夜中、キッチンで水を飲んでいると、その風を感じる。荒野の匂いがする。わたしは耐えきれなくなり、狭いキッチンに椅子を引き込み、サイドテーブルの上でPCのキーボードを打つ。
 ライ。
 真夜中に、キッチンにひとりでいると、どうしてもあなたに話しかけたいと思う。

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