発掘された昔の文章その4

湾曲

Zというのは実際禅であり 飛んでいるハエの動きだが
これはどういうことなのか?
ジグザグの話というのは 先ほど言っていた普遍の話と一緒だ
普遍などなく 特異性の集合だけがある
バラバラの特異性をどう関係づけるかが重要だ
――ジル・ドゥルーズ、ジグザグについて

 ドゥルーズが飛んでいるハエの動きをZの字形に見立てるとき、縦横無尽に飛び回り事物を関係づける意志の閃きがそこに描かれている。一辺から次の一辺へと逃れながら自在に世界を縫い上げていくジグザグの動きは、重力から解き放たれたわたしたちの意志の理想のかたちだ。そこでは、ジグザグの次の一辺を描くことにおいて、未来は無限の可能性に触れている。
 しかし、わたしたちは現実には過去の慣性力に未来を拘束されている。時間的制約のなかに生きることは速度を要求し、速度はわたしたちの意志が触れることのできる事物、思考することのできる関係を限定する。過去の及ぼす力を受けて、未来の可能性は実際的には無限ではない。これまで描いてきた関係が、これから描く関係に向けて方角を生成するのだ。わたしたちの意志が生きながら進路を定めようとするとき、直線から次の直線へと分裂的に変化するジグザグは、動き続ける意志の速度と重みを捨象した模式図でしかありえない。ハエの飛行は本当のところジグザグではない。
 速度に拘束された意志が振り絞った可能性のなかで不断に未来を指さし続けるとき、その軌跡は湾曲線を描く。バラバラの特異性のなかで生きながらそれらを関係づけることは、Z(igzag)ではなくS(pline)を描くことだ。生成し変化することとは身にまとった速度と重みを受けて踊ることであって、速度を散り散りに殺しながらその都度仕切り直すことではない。
 つまり、湾曲することは非常にまじめでいることだ。止まらない時間を生きながら、ある関係から他の関係へと湾曲航路を拓いていく。直線運動と停止を繰り返すジグザグよりも遥かに微細に意志を操り、特異性をゆるやかに振り付けていくことで、わたしたちはこの持続のなかで間違いなく生きている装飾になれる。

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