神秘ではなく仕事を

『Cooking for Geeks』という本がある。ご存知ですか?

この本は普通のレシピ本ではない。料理においてどんな化学変化が起こっているか。調理プロセスを効率化するにはどうしたらいいか。料理をあくまでエンジニアリングとして見て、良い料理にたどり着くための「理屈」をひたすら説く。

小説の資料として買ったこの本が僕は好きだ。単なる読み物としても、実際的なマニュアルとしても面白い。読まなくても、そういう本が世の中にあり、日本語に翻訳されているという事実にシンパシーを感じる。『Cooking for Geeks』は料理をむやみに神秘化しない。「料理の才能」とか言わない。誰もが理解を深めて、発想を注ぎ込める楽しい活動として描いている。

僕が小説に対して向ける情熱は、この本の姿勢にかなり近いと思う。つまり、プロセスを神秘化せず、興味深い法則を導き出し、他の人が使えるよう共有することに意味があると考える。文芸は教養や暇のある一部の人だけのものではなく、誰もが人生の中で考えたり出会ったり興味を持ったりすることを注ぎ込み、何か素敵な洞察や感情の結晶を生み出せる活動であってほしいと思っている。

今、SF小説を商業出版のために書いている理由は何かとよく考える。僕は残念ながらSFマニア、小説愛好家を自称できるほど本を読んでいない。単純に趣味(余暇の活動)としては、小説を読むよりゲームをしたり散歩をしたり音楽を聴いたりする方が好きかもしれない。それでも書くのはなぜか。それは小説が、会社でやっているのと同じ平面上にある「仕事」だからだ。つまり、それは僕の私的な空間だけでなく、何かしら公的なものにつながっているからだ。

公的なもの。僕にとっての公的なものの1つが、『Cooking for Geeks』にもあるようなプロセスやノウハウの開発なのだと思う。僕が書こうとする作品は、文芸という公共財に捧げられた1つの「事例」だ。それはプログラマーが技術解説書に載せるサンプルコードに似て、単純な有用性を超えて、何か美しいものを目指そうとしている。

別に、小説の技術解説書を書きたいということではない。『Cooking for Geeks』が料理について探求したことを、僕は小説や、デザインや映像を含むSF作品について探求していくということだ。その先に、もし多くの人の役に立ちそうな知見が溜まったら、『Fiction-Writing for Geeks』とか『Story-Telling for Geeks』とか『Speculating for Geeks』みたいなものを書くのかもしれない。いずれにしろ、それはだいぶ先になると思う。


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