はじめての入院で感じたこと

体から、とっくのとうにSOSは出ていたというのに。気づかない体の主人としての私。『いつもこんな感じだから、大丈夫だろう。』慢性的な不調を、変、だとは思わなかった。

2021年、28歳になる直前の2月頭の日曜。はじめての入院を経験した。診断名は『腸閉塞』だった。大腸の一部がねじれる事で排出が出来ない状態。これを病気と呼ぶのか?今でも少し思うが、私の場合、本人が胃と間違う程度に大腸の一部(S字結腸というらしい)が上部に移動し、膨れきっている。大腸の動く周期に合わせて痛みがくるのだが、お腹がパンパンすぎて、もう苦しい。この苦しさから解放されるなら、ままよ。という感じ。大も屁も何も出ない。はじめて内視鏡をして、怖さと痛さで変になりそうだったが、担当の女医さんがずっとトントン肩を叩いてくれて、会ってから数時間の人だったけれど、とても有難かった。ちなみに関係者はイレウスと呼んでいて、完全にねじれて、血液が行かなくなると腸が死滅してしまうから、その場合は手術して一部取って繋げたりするらしい。こう聞くと、怖い。

人(医師)に説明をすればするほどに、『あ、この痛み、いつもと同じやつだ。』と気づく。いつも我慢してる痛み方と同じ。我慢出来るか、出来ないかの違い。我慢出来る痛みだった気がするけれど、悪くする前に気づく方が本当は良いよね。意外と声にするのが難しいんだな。病院とは不思議な場所で、途端に自分の体の声を聞こう、と思うよう。出産でもして、赤子と向き合あうとこんな感覚じゃなかろうか。なにせ到着後、すぐに点滴。すぐに入院決定。

日曜外来という選択肢を、人に言われるまで気付かないような私だ。入院に向けての荷物なんて持ってきていない。最軽量の格好で来た。着替えの下着も充電器も本もなく。コロナで面会も外出も駄目。院内で揃えるのに5千円以上はかかった。話を省くが、始めベッド差額が+4万/日の個室しか空いておらず、そこに入る可能性があった。とんでもないことだ。結果そこが埋まって、13万/日の部屋しかなく、それは流石に汲んでくれて、緊急患者用にいつもは開けているらしい部屋(差額なし)に一時的に入れてくれた。その後+8千/日程度の部屋に移るのだが大変に有難かった。検査代、入院代、食事代、患者着代、化粧品代(病院意外と乾燥してる)と諸々の費用含め、1週間で15万強を費やした。健康が一番お金がかからないというが、これは本当。休みは全て有休で賄えた。これが本当に有難かった。

検査結果は、内視鏡で見る限りは腫瘍等はなく、原因解明をするなら手術であるがリスクがある為に行わない、ということである。はじめは、(その日は朝からお腹が痛くて寝ていられなかった。3回以上/Hでトイレに駆け込むような感じ。入院する頃には夕方になっていた。それだけ時間が経過したし、ずっとこの事ばかり考えざる得なかった)もう入院になったし、これを機会に原因解明をしてもらおうという気持ちだったので、残念であった。入院当初は、なんだか、使命感?みたいなのが強かった。今まで我慢出来た事を知っているのは、私の強みのはず。とか思っていた。

食べる事、について。最初は点滴のみ。進んでトクホのドロリとしたドリンクのみ。その後、流動食(重湯)、中粥食と続き、固形食まで進まないままに退院した。

ここから入院していた時に不思議に感じた事をメモしておくが、これは病院を否定したい訳ではなく、体が不調になると、こうなってしまうのかという危機感を感じたから記す。

まず、この〜食という言われ方が普通のこと。患者によって違うから必要だと思うのけれど。美味しそうでは無い。お皿も全てプラスチック、調味料もおそらく...。同室の方はご年配の方が多くて、飲み物が飲み込みにくかったり(だから瀞みがついた食事が多い)、歯がなくて噛めなかったり、耳が遠いが為に看護師さんの声が荒くなったり、自分では歩けなかったり。ずっとナースコールが鳴っている場所。集団部屋の場合、ご飯を食べた後、トイレに行くタイミングが人と重なりやすい。比較若い私は我慢してしまうので気を使う。なにせ戻りたくない。健康寿命と平均寿命の差が男女共に10歳程度が普通のこの国は、一体どうなるのだろうかと思う。

いいとこもある。食べる事は生きる事、だって実感出来た事。お腹が鳴って、お腹が空いて、便や屁や出る事が尊いと思った事。かつ、食事はそこまで食べ過ぎなくて良いと身を持って体感した事。1日の時間をルーティンとして生活する事を強制的に出来た事。生活習慣矯正期間とでも言えようか。

また、点滴をつけていると動く気力がなくなってくる。やはり身軽さは大事なのだ。これも気づき。入院をしている間、身軽にする事ばかり考えていた気がする。退院した後は、家の片付けばかりしていた。吐いているような感覚。人から貰ったけど使ってない物も、なんだか捨てるのは忍びないと思っていた物も、全部吐き出した。体がもう、自分が操れるものしか求めていなかった。ふと見上げたら新月だった。吐き出す時だったのかもしれない。休みは入院日だけにしようかと思ったけれど、実際出勤は出来たのであろうけれど、退院してからも3日ほど休ませてもらった。自分を甘やかした、と言えよう。

心から願った事がある。個室がとても日当たりがよく、ベッドで寝ていても、足の先まで太陽の光が当たった。これがとても気持ちが良くて、生きていると思った。心から、裸足で散歩したいって思った。退院ではなくて。仕事で色々と悩んでいたけど、そんなことじゃなくて、単純にそんな行動がしたいと思った。そんな我慢して、いったい何になる?語弊はあれど、いっそ、もう全てどうでもいい事なのではないか?と思ってしまった。ご飯が食べられるのであれば。

なにせ、このコロナ下で丁寧に受け入れてくれた、私は幸福であるとしか思えない。