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「輪になる」ということの効果

こちらにも書いたクラス会議。

一体何をやっているのか、ということで。

「クラス会議で子どもが変わる」には、このようなことが書いてある。

「クラス会議は若者たちに、人生のあらゆる領域ー学校、職場、家庭、社会ーで成功を収めるために必要不可欠なスキルと態度を教えるのです。」

やることはいたってシンプル。

1:輪になる

2:ポジティブな空気感が醸成でき、参加意識が感じられるワーク(基本は輪番で、うれしかったこと、感謝したいこと、いいな!と思ったことを話す。)

3:議題の共有

4:話し合い

5:解決法の提示

6:解決策の決定

7:次回へ向け

といった感じか。これを基に、実際にツクルスクールではどんな感じかを踏まえつつ、その目的や効果なども書いていく。

1:輪になる。

ツクルスクールにはチャイムがない。(一時あったが、すぐ廃止したw)

だいたい決められた時間になると、ゆるーく集まりだす。既存の学校とは違い、スタート時間がきっかり決められているわけではない。

それまでは、メンバーそれぞれがレゴをやっていたり、踊っていたり、スマホをやっていたり、switchをやっていたりしている。

その中で何名かが動き出す。そして、つられてほかのメンバーも動き出す。

最初のうちは、メンバーもよくわかっていないから、私が声掛けをしていたりしたけれど、今はしていない。ただ、大事なことは確認した。それは、

「時計が読めるかどうか。」

ということ。これができていないと、集まれない。そりゃそうだ。

こういうこと確認せずに、子どもにやらせて、勝手に怒っている大人がそこそこいるw 自作自演でしかない。

話を戻して。

ということで、全員のいる前で確認。1年生が「読めない!」

「オッケー。じゃだれか声をかけてあげてね。」

もしかしたら、ここで、「じゃぁ時計を読めるように教えなきゃね。」ってなりそうだけれど、それはやらない。

この辺は縦割りのいいところだな、と思う。

分かる子が教えてくれるから。

そして、なにかができないことが悪いことではないし、出来る人がいて、出来ない人がいるならば、出来る人は出来ない人を手伝うということを当たり前にできるようになってほしいという思いがあり、私は教えず、そのように関わっている。

そして、ゆるゆると輪ができあがっていく。決められた机に座るわけではないから、お互いがコミュニケーションを取りながら、座っていく。

クラス会議本には、正円になることを進めている。

お互いの顔を全員が見えるようにするためだ。

そして、だれもが対等に大事だということを示すのが正円だからだ。

このあたりは、それほど指導はしていないが、ゆるく伝えたりはしている。椅子の上に座る子、地面に座る子など。特に低学年。

アドラー心理学に基づくと、こちらはイラっとする感じなので、彼らは「注目を得たい」という目的のために椅子の上に座ったり、寝転んだりしている。そう考えると、まぁ可愛く見えたりもする。低学年は、「見て見て!」の塊だし。

そのように理解した上で、椅子に座るように少しずつ促していく。不思議なもので、おそらく自分の所属感、重要感を感じられるようになると、そういう行動は減っていく。そして、こちらは気長に待ちつつ、ほかの建設的な行動に言及するように関わっていると、気が付くと座って話を聞くようになっている。それでもたまに立ったりする子もいるけど、そのあたりは御愛嬌。

そしてある程度整ったところで、次のフェーズに入る。

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今回は「輪になる」ということだけ。

でも、これだけでも本当に様々なことが育める。

みんなの顔が(見ようと思えば)見える、対等感、輪になるためのちょっとしたコミュニケーション。これが話をするときの基本形。

学校にいっていると、こういう機会が日常的に保証されていることが少ない。基本は対面。直線的やりとりが基本形。席は決まっているから、特にコミュニケーションは発生しない。そこには上下関係があって、前にいる人が偉い人。

細かいがこういう積み重ねがその子のものの見方や考え方、やり方をつくっていくのだと思っている。

だから、私は、学校の先生に、クラス会議を全部やらなくていい。

「輪になるだけでもやるといいよ。全然違うから。」

という話をする。

ツクルスクールのようにやるには、学校のように時間割がしっかり決まっていると難しいが、輪になる、くらいの時間は取れるのではないかと思うんだけどね。

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