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負けず嫌いが止まらない

昔から負けず嫌いだった。
幼い頃はトランプゲームで負けると、トイレにこもって一人泣いていた。
悔しいけど、悔しさや涙を他人に見せたくなかった。
それは見る方に関しても当てはまり、敗者をつくりたくない気持ちからプロ野球は常に負けている方を応援した。
今も残っている当時の写真には、阪神タイガースと福岡ソフトバンクのグッズをごちゃ混ぜに着倒した、曖昧な表情で写る私の姿がある。

それからも負けず嫌いには拍車がかかり、ついに小学生からは勝敗がつくゲームにできる限り触れなくなった。
当時の友達はよくノリの悪かった私と仲良くしてくれたと思う。

そんな子どもが大人になったらどうなるか。
変わらないのが事実だ。
人に見せている顔が大人びているからといって、中身はそうそう変わらない。

先日、それを痛感する出来事があった。
私は編プロにて編集とライティングを仕事にしているのだが、専門学校に行ったことはないし、プロの門戸を叩いたわけでもない。短絡的に表現すると、いわば素人だ。
そんな私は短い文章に苦戦している。文章は短く要点をまとめて魅力的に伝えるのが一番難しいのだ。
そんな短い文章の仕事が私にまわってきた。私の作った文章は、ベテラン編集者により朱書きを入れられる。
どれもあぁなるほど、と納得することばかりだ。
しかしいざ自分で書くとなるとやはり難しい。
数回朱書きを繰り返したとき、ついにベテラン編集者が我慢できなくなった。
答えの文章を書きあげてしまったのだ。

もちろん納期もあるしこんな仕事に時間をかけられないのはわかっている。
でも、でも…!!私はこんなにもできないのか?!
入社前に自称ライターとして名乗ってきた私は、心底傷ついた。
そりゃあ、20年以上のキャリアを持つベテランと比べることはないが、それにしても自分を否定されたような気持ちになって、ひどく落ち込んだ。

私は例に倣ってトイレに行き、社会では中堅程度とみなされる年齢にもかまわず泣いた。
悔しくて涙が止まらず、しかし正しいことを言われているので自分に向けて怒るしかなく、どうすることもできなかった。
負けず嫌いな性格は、自分の至らなさに直面するとしんどいのである。
自分の中で自分と闘いながら、理不尽に外に怒りを向けないように、常に理性を保とうと努力が必要だからとても疲れる。

常に自分をアップデートさせようと勉強しているのだが、それでも及ばないことは日常で多々ある。
私はこの先もこの性格と付き合っていかなければならないと考えると非常に嫌気が差すが、この性格のおかげでハングリー精神を保つことができ、常に上を目指していけているのも事実。
自分を完全に扱うにはまだ時間がかかりそうだが、暴れ馬の手綱を握り、共通の目標に向けてうまく利用できるように自分をもっと知りたいと思う。

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