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見えないほどに心が響いてスッキリ見えるようになるのかも

vol.56【ワタシノ子育てノセカイ

知識だけで人は変わらない。知ることがわかることではなく、わかることが変わることなんだ。

変わるためには入れて出す。しかも出し入れは2回ある。1回目のプロセスは時に激痛を伴うけど、2回目までのプロセスは意外と楽しめるかも。1回目は過去の精算で、2回目は未来の生産だから。

知識から教養をえて人は心を育んでゆくんだ。

ところで私には「実子誘拐」で5年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。

2023年11月2日「いいよ」とLINEがやってくる。

長男タロウの文化祭についてだ。私が観に行く旨を伝えて、タロウの意見を問うた際のお返事になる。

どうやらクラスごとに劇をするらしく、中学生活で初の合唱もあるようす。タロウは小道具を担当している、とさらりと教えてくれた。

文化祭は3日。タロウと会話したのは半月以上前だったかな。クラスメイトとどんな練習をしてきたんだろうか。

なにはともあれ、三文字で幸せいっぱい。残りわずかとなった中学生活を、タロウに便乗して、私も存分に楽しむべし。

文化祭当日。霧が深くて肌寒いけれど、体育館は熱気を帯びていた。

午前中の合唱は1年生から3年生まで、休憩なしで発表がつづく。後半の劇とは違って、子どもたちがフル参加するからか、観覧席は満員御礼。立ち見の観覧者で壁面も埋め尽くされている。

とはいえ参観する家庭は2/3ないかも。観覧席の数が毎年の参観者を物語っているようだった。

さて、壇上に並ぶ子どもたちの列はなんだかコンパクトで、30人いないクラスもありそうだ。そういや4学年下の次男ジロウの登校班の人数は、タロウの登校班だった同級生より少ないな。

小学生のあどけなさが残る1年生を眺めながら、ほぼ知らない子どもたちの姿に感動しはじめる私。少しだぶついた制服姿や変声期のおぼつかない歌声を抱きしめたくなる。

まぁとにかく、子どもたちの透き通るような声が、全身に響いてくるんだな。

日本の少子化の原因は「単独親権制度」といって過言ではない。

理由は単純で、近代社会において「子育てしにくいシステム」だから。しかも今は、21世紀。

単独親権制度は家制度なので、家を強くして存続させることが目的になる。つまり富国強兵による近代国家の確立を目指すシステムだ。産業革命時代にぴったり。

核家族と女性の社会進出がデフォルトになった今、大家族と男女格差ありきの家族システムを使う意味はなんだろうか。

男女たがわず働ける社会では、女性の働きにくさは男性の子育てしにくさで、女性の子育てしにくさは男性の働きにくさとなる。そして両親の働きにくさと子育てしにくさは、子どもの生育環境の悪化となる。

世界的にすこぶる男女格差のあるお国柄で、男女平等を中途半端に推進するから、「子ども」という「未来」にしわよせがいくんだろうな。いつの世も、痛みを耐え忍ぶのは、声をあげられない小さな小さな存在なんだ。

声をだせる私たち大人は、どうして声をだせなくなったんだろう。

大人も、文化祭をすれば、いいのかも。

3年生の合唱がはじまり、舞台を覆う面積が縦に増え、声質に厚みもでる。よき人間関係を体現するような歌声が響き、会場の空気圧も一変した。

タロウのクラスの順番がやってくる。ジロウの運動会のときと同様↓↓偶然となりにいた保護者に撮影をお願いすると、快く応じてくださった。

ところがタロウが見あたらない。壇上に歩いていく子どもたちをいくら探しても姿がないんだ。タロウを知る撮影を依頼した保護者も、「あれ?タロウくんどこや?」と困惑気味。

クラス間違えたか?もしや病欠?そうこうしているうちに、曲名や伴奏者を知らせるアナウンスが流れだす。

「指揮者、タロウさん」

いちばん手前に、ひとりぽつんと立っていた。盲点。

タロウが客席に向かって一礼し、指揮台に上がって右腕をあげると、みんなの視線が一気にタロウへ集中する。

伴奏者に首を振り、息を大きく吸うように両腕をかきあげて、最後の合唱がはじまった。

我が子の後ろ姿しか見えないのに、手が震えて、耳が熱くなってくる。学校にて目立つ役割を避けたがるタロウが、なんで指揮者をしているんだ。

相変わらず姿勢のよい背中を見つめていると、幼少期のタロウがぼんやり現れて、タロウはもうじき、15歳なんだと突きつけてきた。

てか、母に知らせる文化祭の役割、なんで小道具やねん。いや、小道具は大事やけど。

文化祭の代休の前日。「明日ご飯食べに行っていい?」とタロウからLINEがとんでくる。

きっと会いに来るだろうと思っていた私は、終日の予定をあけていた。ひと月ぶりに我が子と食事できる、ありがたい日を逃してはならない。いつもの如く、昆布を水に浸す。

翌日、車で迎えにいくと、タロウがすました顔してやってきて、いつもの如く「今日のご飯なに?」。

いやいやいや、指揮者の話ちゃうんかい。

文化祭について、あれこれ尋ねて感想を述べまくる私に、タロウは少しハニカミながら、溢れだすように裏話を次々と教えてくれた。

実子誘拐から5年半後のに思いがけずはじまった、「ご飯食べに行っていい?」は「お母ちゃん、僕の話を聴いて」。

体験から知識を得て、得た知識を体験に変えたとき、人はものごとの道理がわかり、心が深まって変わってゆくのかも。

だけど14歳タロウのエクボは、赤ちゃんのころと、なんにも変わらないんだ。



2014年11月
右手をあげる5歳のタロウさま

2023年の下半期から「子どもの連れ去り事案」の相談件数が増えていて、社会問題の認知の拡がりを感じています。

一方で、裁判所や弁護士の法実務が、私たち母子が連れ去りに陥った6年前となんら変わらず、チルドレンファースト皆無がまだまだ散見。現状、行政は裁判所より劣悪かもしれません。

時代は過渡期。家族問題については、相談先を注意して選ばないと、家族を破壊しつくされます。丁寧な情報収拾を。

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