未来は過去の積み重ねで教育というらしく今が未来になってゆく
vol.69【ワタシノ子育てノセカイ】
世界は繋がっている。木を見て森を見ずになると、森はじわじわ腐敗するんだ。
だけど森を見ない住人たちは気にしないから、腐敗の森を一掃する如く、自ら朽ち果ててゆく。本来の美しい森を未来に贈るには、きっと近道でありがたい。
多様性のない世界は循環せず、自然に淘汰されてゆくんだ。だから大丈夫。がんばろう。
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ところで私には「実子誘拐」で6年間離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
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2024年2月10日。長男タロウの受験日。滑り止めの私立高校を受けるらしい。
私は中学生活の年間行事をHPで確認しているので、受験日はもちろん知っている。一方でタロウが中学生になってから、進路について母子で会話したことはほぼない。
もちろんしようと思えばできなくもないが、月に2-3時間も会えれば「今月はようさん話できたなぁ」などと幸せをかみしめている状況である。
人生の通過点である進路はとても大事で、それこそ人生を分岐させるんだろう。だけど分岐点の話を丁寧にする時間は、私たち親子には、ない。中途半端に会話して、ストレスを与えて、フォローできない、とかありえん。
実子誘拐による親子分断だけで、私は我が子に、一生分以上のストレスを与えつづけている。
受験日を逆算し、受験に向けて努力を重ね、自信をつけゆく計画を、親子で取り組むなんて夢のまた夢だ。
教育を子どもに贈れる環境は、この上なく贅沢なんだろうな。日本に生まれ育つと、教育の大切さを忘れてしまうのかもしれない。
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1月30日。タロウが下校中にひょっこり訪ねてきた。いつぶりだろう。
11月と12月は私の祖母のご供養がてら、週一で再会をつづける奇跡が起こった。次男ジロウとは年末にできた新たな習慣を1月も継続中↓↓
一方でタロウから毎週あった放課後のお迎えLINEは途絶えた。思春期だし、受験だし、そもそも会う習慣が2021年からなくなってるし、まぁこんなもんだろうと思いつつ私は日々を過ごす。
ところで、親子分断で身に着けた私のスキルには「どうにかなる」がある。30日も実際、タロウが自らやってきた。どうにかなって今があるから、人生はヤッパリどうにかなるらしい。
タロウが自ら赴いているので、私はタロウの話にただただ耳を傾ける。受験の話は一切してこなかった。そういう私も受験どころではない母子の15分。
来週なのになんてこったい。とはいえ受験は日々の積み重ねみたいなもん。今からできるこなど、しれている。
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2023年秋の終わり。もし滑り止めを受けるならこの高校、とタロウは私に教えてくれた。その後、それとなく尋ねたりするも、自発的な知らせはない。
そもそも2学期から、タロウは成績や勉強の話を一切しなくなった。これまで点々としてきた会話をつむぐと、背景はだいたい読める。省略しますが。
受験日は2月10日。気がついたら8日になっていた。私はタロウに第一希望以外も受験をするのかLINEで尋ねた。返信どころか既読つかずで翌日の夜となる。こんなことは初めてだ。
直前になって我慢できなくなるのなら、もっと早く聞いておけばよかった。しかも私は、ただ「応援してる」と伝えたかっただけで、これまでもちゃんと伝えてきている。だから受験するかしないかを私が知ることに、たいした意味などないじゃないか。
ひとりで後悔しまくっていると、LINEの着信音が鳴る。高校名がポロンと送られてきた。表示される時間が目に入り、塾終わりだと気がつく。たぶんタロウは連日、塾の課題に追われていたんだろう。
こちらからのLINEは画面にポップアップしているはずなので、タロウのCPUを無駄づかいして勉学の邪魔しとるがな、私。3往復くらいメッセージを交わし、タロウの「ありがとう」でLINEがまとまる。
あぁ、私こそ、ありがとうでしかない。
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日本の教育制度の礎は親権制度になる。つまり単独親権制度である家制度的教育を、私たちは受けつづけて今にいたる。
戦後から近代を経ても、土台が変わらぬ教育システムを使った結果、日本は消滅まっしぐら。子が生まれぬ国家となった。
変わらないとはそもそも絶滅を意味するので、そらそうだ。生物は環境に適応して変化するから命がつづく。万物は流れに逆らうことはできない。できるのは、流れを変えたり流れに乗ったりすることかな。
2024年の今、約130年ぶりに日本が根底から変わろうとしている。77年ぶりの親権法の改正は、76年前に半年だけ施行した、家制度解体の再チャンス。ようやく流れがきたんだ。
ほんの半年前まで届かなかった声が、なんだか届くようになったんだもの。叫べども叫べどもかき消しつづけた社会から、共同親権賛成の声があがり始めた一方で、本質的な意味がなんだかズレていく。
実子誘拐から7年以上、私は親権問題をじっと見つめて感じとる。エイヤっと枠を与えてしまうのが、今の日本には最良なのかも。矯正は悪ではない。
単独親権制度の罪は、甚大である。
心が、カラッポになるんだ。
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1月の放課後。ジロウとの密会交流にて受験の話になる。ジロウは私がタロウを心配していると感じたらしく、慰めてくれた。「高校受験って3月やねんから、まだまだ勉強せんでも大丈夫やろ」。
中学校の定期テスト前、ジロウはタロウの勉強を邪魔してはならないミッションをもつ。なので高校受験も1週間前くらいから、勉強を始めればいいと思っているみたいだ。和ませてくれるジロウとお茶しながらお喋りがつづく。
「中1から勉強してきたことを高校の受験で試すから、直前の勉強でできることは限られるかもしれへんね」という私の意見にジロウは地蔵になった。
せっかくなので「あと、中学校の勉強は小学校の勉強が土台やで」とつづけてみると、地蔵ながら苦笑いしておやつを食べはじめた。
夢のあるジロウは、日々コツコツと積み重ねる学びが大切だと、なんとなくは知っている。だけどこればっかりは「環境」しだい。先を生きる人間たちの整備によって、子どもたちの才能は枯れも咲きもする。
子どもは未来。だから教育も未来。
過去である大人が今を生きる瞬間、大人も未来になるのかもしれないな。ほら、やっぱり、誰もに社会を変える力があるんだ。
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