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Rainbow㉛

 月光③

 消毒液の匂いが染みついた壁に囲まれ、ベッドに横たわるエリーシャ。真里と千夏、そして史はベッドを囲み座っていた。真里はエリーシャの冷たく痩せ細った手を、温まめるように握りしめていた。

 千夏は救急車の中で、咲人から電話を受けていた。
「エリーシャの病気は『上咽頭がん』なんです。病院に着いたら、医師にそう伝えてください。俺と母さんもすぐに病院に向かいます。……え、でも。……分かりました。そっちは千夏さんに任せます。……はい、エリーシャさんをよろしくお願いします」
 千夏は咲人と南乃花に、エリーシャの容態が落ち着いていることを伝え、後日お見舞いに来てほしいと頼んだ。千夏は咲人にはもう一つお願いをした。それは、エリーシャの仲間たちにも「エリーシャは無事だ」と伝えてほしいと。咲人は、納得してくれ電話を切った。
――「いつでも、どんなときでも、どこに居ても、助けに行くよ。君がそう望むなら」千夏はエリーシャが言ってくれた言葉を思い出していた。
「死んじゃったら、助けに来られないでしょ。……自分の命を最優先に考えてよ。あなたは『エリーシャ』なのよ。自分の命ぐらい、救ってあげなさいよ。……」千夏は唇を噛みしめ、鼻を啜った。両手でエリーシャの冷たい手を握りしめながら。

 エリーシャが目を覚ましたのは、次の日のお昼前だった。千夏と真里が病室でエリーシャが目を覚ますのを待っていた。
 エリーシャは、目の前が白く霞んで見えることに気づいた。いずれはそうなると覚悟していたけれど、まだ先のように思っていた。ベッドの上で、「最後に見た景色は何だったろう?」とぼんやりとした頭で考えていた。
「エリーシャ! お母さん、エリーシャが目を覚ましたよ」真里の声が聞こえてきた。そういえば、真里と話しをしているときに意識を失ったんだっけ? 朧げな記憶だが、真里の笑顔が白く霞んだ視界に見えたような気がした。
 医師が病室にやってきて、エリーシャの状態を確認した。医師は上咽頭がんによくある症状の一つとして白内障のことを真里と千夏に説明した。エリーシャは、声が出し辛いようで、話すことが出来なかった。もしかしたら喉にも影響が出てきているかもしれない。と医師は病室から出る際に付け加えた。
 夕方になり、咲人と南乃花が病室を訪れた。その頃には、エリーシャの意識も随分と明瞭になり、明後日のドラァグクイーンショーのことを心配していた。
 エリーシャは掠れた声で、咲人にショーの準備の進捗状況を聞き指示を伝えていた。咲人は、変わり果てたエリーシャの姿を見て涙を流していたが、エリーシャに気づかれないように、それを拭おうとはせず、メモ帳に筆を走らせた。

 その次の日に、マネージャーの立花がいつもの白スーツでフルーツのたくさん入ったバスケットを持って現れた。目を隠すためにサングラスを掛けたエリーシャは、「ありがとう。変わりわない?」とだけ聞いて、あとはしばらくの間、二人とも黙ったままだった。千夏は、立花の持ってきたフルーツを切って二人に食べさせながら、「有名人とマネージャーの関係以外に何かあるのではないか?」と思うのであった。
 立花が席を立つと、エリーシャは手で彼を呼び内密な話しをするように口元を手で隠し、立花の耳元で話した。話しを聞くと立花はただ頷き、病室を去っていった。
 千夏はエリーシャに聞いてみた。
「立花さんとエリーシャは、どんな関係なの?」するとエリーシャは、掠れた声で「分身」とだけ告げた。
 千夏は、ますます訳がわからなくなった。恋人でもなくそれ以上の関係でもない。
 エリーシャは、千夏の戸惑う顔を想像して笑った。
 久しぶりに見るエリーシャの笑顔に、千夏も安堵の笑みを浮かべた。

 明日は、エリーシャが企画したドラァグクイーンショーが開催される。しかし、医師からは、一週間の安静を取るようにと言われている。残念だが、エリーシャはショーには出られない。エリーシャは、おそらく自分の代役を立てているだろう。
 真里は「練習に行く」と言って朝は史にフサキリゾートホテルまで送ってもらっていた。もうすぐ練習が終わり、帰りにここへ寄るだろう。
 千夏は、汚れ物などを袋にまとめていると、病室のスライドドアが開いた。「真里、……」と言って止めた。ドアには、真里の姿は無く史だけが立っていた。
「あれ? 真里は?」千夏が不思議に思い聞いた。
「明日が本番だから、咲人くんともう少し練習してから帰るって。帰りは咲人くんのバイクに乗っけてもらうって言ってたよ。あ、エリーシャさん。体調はどうですか?」史の言葉に、千夏は呆れた。
「ちょっと、年頃の娘をイケメンと二人きりにするなんて、正気なの? しかもバイクで二人乗りして帰ってくるんでしょう」千夏が何故怒っているのか分からず、史はエリーシャを見た。するとエリーシャは、左手の親指を立てて「Good job!」とサインを送っていた。
「もう!」千夏は、ベッドシーツの上に持っていた袋を投げ置いた。(つづく)

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